《悩めるセカンドシングルウーマンへ》7、気合いが違う

離婚届けの提出は元夫に任せた。

彼には有給休暇があるけれど、派遣社員の私には無いからだ。

1日休むと生活に響く。

当時子どもは小学5年生と3年生の12月。

新しく勤め始めた職場は大手メーカーのロジスティクス管理部だった。

自社製品を海外の現地法人在庫用に輸出する。

仕事自体は、貿易手配なのでそれほど不安も感じなかったが、

配置されたところは、いわゆるベテランの女性派遣社員数人と、若い正社員と、それをたばねる係長というサバンナ状態の職場だった。

当時、最も古株で仕事のできるベテラン派遣社員のイケダさんから私は「U子ちゃんは3歳だもんね〜」とよく揶揄われた。

私の言動が、経済社会からズレていたからだったろうと思う。

それまで何かに守られて生きることが当たり前だった私と、彼女とは

生きることの気合いが違ったのである。

イケダさんは、小柄で声がよく通って、ご主人が物流関係であまり仕事がうまくいっていなかった。

英語の教員免許を持っていて、良い人だけど仕事は厳しく

海外向けのサンプル梱包で何度やり直しと言われたかわからない。

誰よりも仕事ができる(たぶん係長よりも)人だったが、正社員の若い嫌味な女性に逆らわなかったのは

立場が弱いことを知っていたのと、

イケダさんには仕事が必要だったからだ。

お子さんの大学受験が迫っていた。

(その後、息子さんが京都大学に合格したので、
私までホッとしたのだった。)

この会社にいた1年7ヶ月に、

イケダさんから、初めて自分が生きるために

仕事をするという体感を学んだと思う。

それは厳しくもあり、また清々しかった。

イケダさんは、私にとって師だ。

その後、地方移住する前に2度転職したが

イケダさんとは付き合いが続き

出発直前に、ミスタードーナツを持って

激励に家まで来てくれた。

そして、遠くなることをさみしいと言ってくれた。

イケダさんにとっても、

社会に無防備なまま飛び出し、

失敗ばかりするのにひかない私との出会いは

何かのきっかけになったようだった。



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