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瞬間の価値

僕たちの周りを気づかぬうちに流れていく黄金

普段何気なく目にする、SNSやYouTube、ネットニュースや、話題の曲、話題の人。それらはどんどんと移り変わり、頭の中に入っては流れ、また次の情報が押し寄せることが止まらない。

そうして消費されるコンテンツに黄金が眠っているなら、あなたは掴みにいきますか?
黄金、欲しくないですか?
あなたも”瞬間の価値”の虜になりませんか?

僕たちに溜まり続けるコンテンツ

様々なジャンルや形態のコンテンツが自由な時に、好きな場所、好きな方法で体験できる今の世の中が成熟して早5年近く経つ。

例えば、YouTubeには10年分のコンテンツが溢れ、毎日大量のメディアがネット上の数えきれないほどのプラットフォームに上げられて、すべてアーカイブが残っていく。しかし、それらは賞味期限なしのずっと面白い、楽しいコンテンツなのか?

見たかったはずの作品、名作と呼ばれる作品を忘れ、話題のネットフリックスを追うことに躍起になっている。リコメンドで無限に流れ続ける、見たいわけでもないコンテンツに押し潰されている。

今この世の中に対し、僕は問いかけと、一つの仮説を感じている。

僕たちに共通して提供される価値

2021年初春、Clubhouseというアプリが突如爆発的に話題になったことを憶えている人はいるだろうか。なぜあれだけ話題になり、芸能人やインフルエンサーなども躍起になったのか

昨年の年末、サッカーワールドカップの試合を明け方まで見ていた人も多いのではないだろうか。好きな時に好きな場所で見られる世の中で、次の日の仕事や学校での眠気と引き換えにしてまで、なぜ人々はリアルタイムで見たいのか。

YouTubeを見れば、ひと昔前の素人のホームビデオに毛が生えたような動画を投稿するユーチューバーは消え、長い時間を掛けた良質な映像と凝った編集を施された動画がスタンダードになっている。視聴者にとっては素敵なコンテンツが増えたはずなのに、視聴回数に伸び悩む投稿者が多く、コメント欄には「昔のほうがよかった」という文言が見られるのか。大物ユーチューバーの動画と比べて一見淡泊な味付けに見えるの動画が流行るのはなぜなのか

ネット黎明期から存在していたライブ配信というジャンルが今、これまでにないほど盛り上がりを見せているのはなぜなのか?

ラジオやポッドキャストなど、昔の媒体だとされたメディアに注目する若者が絶えないのはなぜか。

写ルンですやチェキ、といった一見不便で古いものがなぜ流行るのか。若者の間でなぜレトロブームが広がるのか。若者の言う"エモさ"とは何なのか。

これらすべてで共通しているものが”瞬間の価値”であると僕は考える。

僕たちが失った価値

僕たちがまだ子供だった頃、つまり2010年頃まで、一般にゼロ年代と呼ばれる時代は瞬間の価値がメインストリームであった最後の時代だと感じる。

あの頃はまだテレビが唯一のプラットフォームでみんなが同じ時間に、家族一緒に見て、その興奮を次の日に友達と共有していた。

あの頃から時代が大きく変わった、10年代。
プラットフォームが乱立し、消費者である僕たちは自分の趣味に合った好きなモノだけを好きな時間にどれだけでも楽しめるようになった。古いものも新しいものもごちゃ混ぜにされて、人々の嗜好ははジャンルごとの細分化、専門化が進んだ。それによって、主流ではないジャンルを極めてきた人たちにもスポットライトが当たり、それぞれの専門分野で市場が開拓された。

YouTubeの変遷を例に考えてみよう。僕たちの世代では共感できる人も多いのではないだろうか。

僕は小学生の頃、おさがりのパソコンでニコニコ動画やYouTubeに投稿されていく動画をリアルタイムで見る時間が大好きだった。テレビで大好きだったバラエティーも同様だ。そのために予定を合わせて、番組の合間に急いでお風呂に入ったり。

YouTubeが発展していく過程にすごく興奮したことも憶えている。毎晩ユーチューバーと呼ばれだした人たちが動画を投稿するまで待つ時間が楽しかった。その日ごとにみんなが見ているチャンネルがあって、みんなが同じタイミングで盛り上がっていた。

好きなコンテンツだけをずっと追えて、いつでも過去に戻れることが当時の自分にはすごく革新的で可能性の光に見えていた。

革新は当たり前に変わり、現在ではそれぞれのコンテンツをそれぞれのファンが楽しむように変化している。成熟していくYouTubeやその他のプラットフォームで、きっとあの当時の人たちが作りたかったものが前述した今の世の中なんだと思う。様々なネットメディアの描いた未来は成功した。”現地で”、”リアルタイムで” そんなものに拘らなくなっている。しかし、本当に便利でよりよい世界を実現できているのだろうか?
何か失っていないだろうか?

そう、その失ったものを”瞬間の価値”と呼んでいる

僕たちが起こす価値の再発見

これから、時代や流行はきっと繰り返す。すでに僕たちは繰り返しのフェーズにいる。

近年の、鬼滅の刃の劇場版や半沢直樹2のブームは記憶にあるのではないだろうか。スポーツや話題のドラマなども含めれば思い当たるものがあるだろう。TwitterのトレンドやYouTubeの急上昇が全部同じコンテンツに染まるようなムーブメントが近年また増えつつあるように感じている。

この時代でも映画館やライブといった現地でリアルタイムというコンテンツは廃れていない。それどころか、コロナ渦で現地開催はできないというのに、オンラインライブに人々は参加した。いつも見ている動画と提供される体験自体は変わらないはずだ。しかし人々はそこに違う価値を感じるのである。

リアルタイムの体験に人々がまた高い価値を感じている回帰は、確実にインターネットメディアにも流れ込んできている。

始めの問いをもう一度考えてほしい。"生"なコンテンツ、みんなで同じ空気を同時に味わう体験の価値が今、もう一度注目されている。今、その場限りの"瞬間の価値"が再発見されている
昔を思い出して再体験したい大人、瞬間の体験を知らないネットネイティブな若者世代、誰もがターゲットになり得る。

僕たちは黄金を掴む開拓のど真ん中にいる

始めの問いで述べたように、僕たちは今、既に沢山の”瞬間の価値”を提供するコンテンツに囲まれているはずだ。

昨今インタラクティブや双方向性という単語が、様々なコンテンツやサービスで用いられるようになっている。これもリアルタイム感を重要視する流れの影響があるかもしれない。
5Gの整備は僕たちの体験を一変させ、リアルタイムに多くの情報を届けることをさらに手助けするだろう。

”瞬間の価値”は今まさにどんどんと湧き出る石油であり、輝く黄金が眠る岩山だと僕は確信している。開拓は始まっているがまだレッドオーシャンではない。
20年代に突入したこの2年程で、急速に開拓の速度は増している。開拓は進んでいるが、競争はまだまだ少ない。

さあ、あなたも”瞬間の価値”の虜になりませんか?