(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)
講談社のpodcastで紹介されていたので手に取ってみました。
著者の平田オリザさんは日本の劇作家、演出家です。
本書でのコミュニケーションに関する議論の出発点として、平田さんは、最初に「企業が求めるコミュニケーション能力はダブルバインド(二重拘束)状態にある」と規定します。「ダブルバインド」とは、“二つの矛盾したコマンドが強制されている状態” をいいます。
この後者の指摘には大きな違和感を感じますね。
以前私も企業の採用活動で学生さんの最終面接に携わった経験があるのですが、確かに「コミュニケーション能力」は採用判断にあたっての重要なファクタでした。
しかしながら、そこでは、本書で著者の平田オリザさんが指摘しているような「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見はいわない」といった従来型のコミュニケーション能力?は全く求めていませんでしたが・・・。
ただ、現実の会社内の様々な場においては、重視するかどうかはともかく、いわゆる「空気を読む」とかちょっと前の流行りでいえば「忖度する」とかの行動スタイルが、時折顔を出すことはありましたね。
そういうスタイルの現出は、まさに忖度する側の意図を反映したものであると同時に、そういった態度を望ましいものとして求める「その場のリーダーの考え方(姿勢・価値基準)」に拠るように思います。
さて、話を戻して、この「異文化理解能力」と「日本型同調圧力」のダブルバインド状態は、企業に止まらず、家庭、ひいては日本社会全体に存在し、そのために「日本社会全体が内向きな引きこもり状態にある」と平田さんは指摘しています。
そして、この “ダブルバインド状態” を解きほぐしていく方策のひとつが「演じる」「演じ分ける」という能力を身に付けることだと説いているのです。
“主体性” がキーファクターという主張ですね。
さて、その他、本書を読んで私の関心を惹いたところをいくつか覚えとして書き留めておきましょう。
ひとつめは「会話・対話・対論」の違いについての平田さん流定義。
この “弁証法的” な対話的精神が相互理解や融和によるシナジー(グローバル・コミュニケーション)を築く礎となるのだと思います。
(再録時の注:この「対話的な精神」と同根の主張は、最近読んだ東浩紀さんの著作「訂正する力」にもみられます)
そして、もうひとつ、平田さんの「学ぶ学生たちへの想い」を語ったくだり。
この発想には、私も全く思い至りませんでした。なるほど、そうですね。
本書には、こういった今まで気づいていなかった “コミュニケーションの実像” がいくつも紹介されています。なかなかに刺激的な内容でしたよ。