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映画「グレート・インディアン・キッチン」と「パッドマン〜5億人の女性を救った男〜」を見た。

映画「グレート・インディアン・キッチン」を見た。
噂通り胸くその悪い映画だった。タイトルの皮肉の効かせ方たるや。
2人とも高学歴っぽいハイクラスの男女が見合い結婚し、夫の実家で暮らすことになるが、家事はすべて女性が行い、義父は自分で歯ブラシすら取りに行かないし、夫は、外のレストランではマナーはちゃんとしているのに家では食卓のテーブルクロスの上に平気で毎食食べ残しを汚く置く。それを毎日妻が片付けるということに気づきもしない。
米は炊飯器で炊かずに釜で炊けだのチャパティーにしてくれだの、外食は嫌だから弁当を作れだの。他にもややこしい事をいう親戚のおっさんやら、黙って従ってきた義母やら。
あんまり書くとネタバレになるし、胸くその悪さが甦るのでこの辺にしておくとして。

淡々と静かに名前のない主人公がむちゃくちゃ手の込んだ美味しそうな料理を作り続ける。
水漏れのする排水溝はいつまでたっても直してもらえない。
女性が唯一家事から逃れられてスマホでSNSを楽しめたりするのは生理の時だけだが、生理になったらなったで、「生理中の女が触れたら穢れる」という考えで狭い部屋に閉じ込められてしまう状況下。
自分や何かに生理中の女性がうっかり触れると、そのたびに嫌そうな顔をして「神様、お許しください」と祈る男ども。
ミソジニーをインドの映画でここまで描くとはなあ。そりゃ上映も断られるだろうとも思う。(宗教的な意味合いでNGがあったよう)
これが上映されると困る男性たちも多かったんだろうなあと思ったが、映画の中でも「生理は穢れであるという考えは違法」というニュースを見ている義父が、全く我が事として考えられていないシーンから考えれば、凝り固まった考えを映画一本で変えることは不可能だろうとも思う。ケーララ州というインド一の識字率の高さと高学歴女性の多さを誇る土地ですらこうなのだから。

「インドは差別がある」とか「女性の地位が低い」などという観点からこういう問題を語られることはよくあるが、日本だって変わらないと私は思っている。
「家事とか手伝ってくれる旦那さんでいいなあ」「旦那さん偉いなあ」「夜に家空けて来て旦那さん大丈夫?」「晩御飯作ってきたから大丈夫」「嫁さんに家事を手伝わされている」などなど当たり前のように私の周囲の人たちがそういった会話をしているのを聞くたびに、奴隷かよ、手伝うって何やねん、など時々私は心の中で悪態をついている。
だけど、自分が子供の頃はどうだったかと思い返すと、母親が当然ほとんどの家事を1人でしていたし、それが当たり前だと思っていたし、自分は子供なのをいいことに手伝いもしなかった。
それに、女性が家事を主にやることに喜びを感じる女性もいるわけで、やりたい女性とやってもらいたい男性とくっつけばwin-winだとは思う。
だがそれを当たり前だと思う女性が男性女性を育てて、それに疑問を抱かない男性女性が世の中に出ていくと、このループは続く。
止めるには、勇気をもって声をあげて活動をしていくか、さっさと「いち抜けた~」をするしかない。
私はそういうループに入る前から「いち抜けた」をしているので、抜けたくても抜けられない人が勇気を持てればいいなあと思う。

それから、「生理は穢れ」繋がりで、映画「パッドマン~5億人の女性を救った男〜」をアマゾンプライムで見た。
昔から、子供を産むつもりはないと思って生きてきた私にとっては、生理は本当に面倒くさくてしんどい現象でしかなかった。
どうして女だけが1か月に1週間もナプキンをあてて捨てて張り替えてを繰り返さないといけないの!とやるせなかったし、毎月こんなにも痛くて(生理痛が重い方だった)辛い思いをするのが嫌でたまらなかった。学生時代のバイト先で店長にネチネチ小言を言われた時も、じゃあお前も下から血を流して働いてみろやと心の中でよくヤサグレていた。
生理前のしんどさやイライラは、大人になるとPMSという名前が付けられていることを知り、私は1か月の半分を酷いコンディションで生きているということに気づいたが、どうしようもないし諦めるしかなかった。
映画の中でパッドマンは「女性は月に5日間、1年で2か月を奪われている」と言った。
ほんまそれな、と心の中でうんうん頷いてしまった。
しかし、私(つまりは現代の日本女性)なんかは幸せな方で、ナプキンを使えて家で眠れるだけマシであった。
インドの一部では、生理中の女性は穢れているからと家の中に入れてもらえない。
この映画は、愛する妻に生理が来たら、しばらく一緒に眠れず、妻は外で5日間暮らすということに納得がいかない男が、ナプキンが高すぎて買えないから汚い布切れを使っていること、それが原因で病気になる人もいることを知って立ち上がる。
インドでは、この映画の時代(2000年頃)で、ナプキンを使える女性は12%しかいないという驚き。
そういや私が15年くらい前にインドを旅した時も、アメリカ製の大きくてかさばるナプキンしか売っていなくて、日本のバックパッカーの私にとっても高くて買うのを躊躇したのを覚えている。もちろん買ったけど。

この映画は、そこから自分の手で生理用ナプキンを作っていくという実在する男性の物語だが、生理の問題だけでなく、女性の抱える問題へ広げていき、ちゃんと循環していて、優しくて強くて愛すべき男の奮闘物語。
色々と引っかかる点はあったが、面白かった。

よく伝記物の映画では、才能あるアーティストの周りには足を引っ張り堕落へと導くクソみたいな奴が必ず現れがちだが、才能ある一途に変な人の周りには、いい奴と力ある協力者が現れがち。凡人が天才になるには、引き寄せる能力、手を差し伸べたくなるキャラクターというのが必要不可欠かもしれない。

この2つの映画や「マダム・イン・ニューヨーク」など、女性の地位向上的なメッセージのあるインド映画が日本で広く上映されている。日本に入ってきやすいのか、誰かが何かの意図でそうしているのか分からないけど、必要な人の元に必要な形でメッセージが届くといいなあと思う。



余談:
パッドマンの主人公が自転車で走り回るあの町がとても印象的で美しかった。バラナシに似た、川のある町。どこなんだろう。行ってみたい。
久しぶりにその想いに駆られる映画であった。
「パッドマン ロケ地 インド」という検索ワードで検索してみたら、案の定いつものサイトがトップに躍り出た。
やっぱり。
またしてもこのお方が。

映画を旅のいいわけにしておられる先生。
そういえば、2019年に私がインドを旅していた秋頃、この方もインドを長く旅しておられたのを思い出す。行ってはったなぁ。
まだ、私がnoteで惑星ソムニウムさんと再会する前の2019年。
とほさん、私はまたあなたに導かれてロケ地に訪れることになりそうです。
いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
フェアリーより。



写真はインドで食べたもの。

インドで食べたものの写真。
この食器を見るだけで、「グレート・インディアン・キッチン」の映画の中の、あの洗い物の山とカチャカチャ音、すぐに詰まるシンクを思い出して、嫌な気持ちになってしまう、今。

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