見出し画像

追いかけて、追い抜いて、交差して、通り過ぎていった旅人

ルピュイの道を歩いて旅をしていた時、あちこちに小さな名もなき教会から大きな教会まで、いろんなタイプの教会が道中に点在していて、毎日何ヵ所もの教会に、見学という名目で休憩や気分転換に立ち寄っていた。


キリスト教の聖地でもあるこの巡礼路は一本道で、クリスチャンでもない私がこんなに毎日教会に立ち寄る行動が一見変な感じなのだが、スタンプラリー的な楽しみにもなっていたので、見かけては必ず立ち寄っていた。
立ち寄ったそのほとんどの教会に、メッセージを書き残すためのノートが置いてあった。
本来は教会の来訪者の個人情報を記帳するためのノートだったが、どこのノートも、巡礼者が何となく今の気分や感想を書き記す用途として使われていた。

最初にAさんの日本語のメッセージと記名を見つけたのはナスビナルの手前あたりだったと思う。
私が来た日の1日前の日付と名前とそれから
「今朝起きたら一面雪景色となっていた。素晴らしい!」
という一言が書かれていた。

あ、日本人だ!とその日本語を見つけて嬉しくなり、普段はあまり書かないのに何となく自分も日付と名前と一言を書き残すことにした。
見開きのページに日本語のメッセージが2つ。
Aさんと私。
全くの他人だが仲間意識を持ったし、私の後にもいつかやって来るかもしれない日本人がこれを見て私と同じような気持ちになったら嬉しいなあ、とか。そんな軽い気持ちで書いてみた。
日本人にはまだまだマイナーな旅路であるため、めったに日本人に出会うことはないが、それでも何となく気まぐれに日本語で書いた。
一本道の巡礼路なので、歩くコースは同じ。
私はAさんに1日遅れた形で訪れていく。

それ以来、教会に寄るたびに何か一言
「お腹すいた、ラーメン食べたい」
とか
「一日中雨です。寒い。晴れないかなー」
とか
「昨日食べた郷土料理のアリゴ、めっちゃ美味しかった」
など
Twitterのような感覚で教会のノートに罰当たりなことを呟き、1日前にAさんが立ち寄って書き残しているちゃんとした内容の日本語のメッセージを読むのが楽しみとなった。

サンコームドルトあたりの教会でいつものようにAさんが書いたメッセージを確認すると私と同じ日付となっていたのに気づく。
すぐ前を歩いているのか。
ワクワクしてきた。

私と同じ道を歩いて旅していて時々出会って仲良くなっていたフランス人のルドが、どうやらAさんとも知り合いになっていたのを知った。

「昨日日本人の男性と晩ごはんを食べたんだよ。君の話をそのAさんにしたよ。もう1人日本人の女性が歩いているよって教えておいたよ。」
とルドは言った。
Aさんの後に教会に立ち寄っては私が日本語でメッセージを書いているのを知らないAさん。Aさんのことを私が一方的に知っていると思っていたが、ルドが繋いでくれて私の存在もAさんが知ったらしい。
嬉しい驚き。本人同士は知らないのに両方と知り合いになっているルドという存在も面白いなぁと思った。

しかし、ルドの話以降、そういえばなんとなく、Aさんの書いているメッセージが、この後に立ち寄るであろう日本人(の私)に向けてのメッセージかなというような気がしなくもなかった。
「今日は25km歩きます。登りが続くけど頑張ろう。」
とか、
「次の目的地は美しい村◯◯です。」
など。
勝手に話しかけられているような、励まされているような親近感を持つようになった。


そんな「Aさんと私」という出会ったことのない二人に動きがあった。


サンコームドルトを夜明け前くらいに私が出発したので、Aさんが眠っている間に、どこかの時点で私がAさんを追い抜いたのである。

小さいけど可愛らしい教会に寄ってノートを見たらいつもは私より先に到着しているはずのAさんの日本語のメッセージがない。
私の予想では、見ず知らずのAさんではあったが、この場所はAさんの好きそうな地味だけど落ち着く礼拝堂だからきっと立ち寄るはずなのに、とそう思った。
その時に、ハッとして、私がAさんを追い抜いたことに気づいた。

「いつも私の先を歩いていて教会のノートにメッセージを書き残していたAさんへ。
ルドからAさんのことを聞きました。
今どこですか。
私は今日早起きをして、日が昇る前から歩いています。
今日はエスタンまで歩きます。norimaki」

なんとなくそんな言葉を書いた。
読んでも読まなくても良かったが、何となくAさんに向けて書いてみたのである。

その次の小さな教会にも立ち寄り、
Aさんにちょっとだけおセンチな気持ちをこぼしてみた。

「今日の目的地エスタンで、これまで一緒に過ごしてきたイザベラとお別れ。
寂しい。
エスタンに着いてほしいような、ずっと着かないでほしいようなそんな気持ちです。norimaki」

確かそんなことを書いたと思う。
私は歩みが遅いので、そろそろAさんに追い抜かれるのではないかと思って歩いていた。
一本道を歩いているので後ろからAさんが来るのかなぁと何となく気にしつつ。
しかし、追い抜かれることはなく、その代わりに朝寝坊をしたイザベラがやってきて合流した。

エスタンという村にとうとう着いてしまい、後から追いついて合流したイザベラと、川沿いに並んでいたテラスの席に座って休憩をし、今夜は最後の晩餐だし、ちょっといい店で2人でご飯を食べよう、どこにする?などと話し合っていた。

その時、少し離れた場所で「あそこ!あそこ!」と私たちの方を指差して誰かが叫んでいた。
何人かのグループが集団で私たちのところに向かってやってきている。
そこにはルドがいて、ルドが私の名前を呼んだ。

するとなんと、ルドの横に日本人の男性がそこにいたのである。
Aさんが、「日本人女性がエスタンにいるはずだけど知らないですか?」と言って私を探していたらしい。
私は「はじめまして」を言う前に「Aさん!!」と呼んで、彼も私に向かって「のりまきさん!」と言った。
そして、周りの人達が盛り上がって「Finally!」と歓声と拍手が上がった。
みんな、日本人同士で顔を合わせたことがないという私とAさんのことを知っていて、何とか会わせたいと思っていたおせっかいな人たちだった。まあそれくらいアジア人でこの道を歩いている人はレアだったせいもある。

誰かが頼んだビールがなぜか私たちの手元にやってきて、乾杯する羽目になり、Aさんが
「教会のノートのメッセージを読みましたよ」と言ったので、
「私の方が何日間もAさんのメッセージを読み続けてますよ。毎日楽しみでしたよ。」
と言って笑い合った。
Aさんは次の村の宿に予約をしていたため、乾杯して私たちと少し話した後、先に進むために去ることになった。
私はもう少しで今回の歩き旅を終えることを伝え、「毎日ありがとうございました。Bon chemin!」とお礼を言った。
Aさんと顔を合わせて話したのはこの時の10分くらいしかなかったが、初めましてなのになぜか一緒に旅をしていた仲間のような親近感があった。
Aさんは、
「イザベラさんとのディナー、楽しんでくださいね。Bon chemin!」と言ってくれた。
(Bon cheminは、巡礼路を歩く人同士のフランス語での挨拶。「よい道を」という意味)

連絡先も交換せず、そのまま通り過ぎていった人、Aさん。
教会のノートの中での日本語のメッセージを読むだけの関係で、本当に文字通り、通り過ぎただけの人だったけど、忘れられない人となった。
こういう交差する人たちの連続が旅の良さだったりするし、実際に共に過ごした時間の長さと、その後にずっと心に残る色濃さとは関係ないこともあったりする。
Aさんは、私にとっては、ルピュイの旅で出会った思い出深い旅仲間である。

Aさんと本当の意味で出会った場所、エスタン。


前置きに書いてたら長くなりすぎたので切り離したnote


ルピュイの道の旅の話マガジン↓

この記事が参加している募集

#旅のフォトアルバム

38,184件

#やってみた

36,591件

サポートしていただければ、世界多分一周の旅でいつもよりもちょっといいものを食べるのに使わせていただきます。そしてその日のことをここで綴って、世界のどこかからみなさんに向けて、少しの笑いを提供する予定です。