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文化の日に南蛮文化館へ

今日は面白そうな文明開花の扉が開いたので、現時点での色々と無知のままの状態で書いておくことにする。
私はデフォルトが閉鎖的人間なので、あまり人間関係を広げる活動はしていないのだが、カミーノ(スペインの巡礼)絡みでひょんなことからSNSで知り合いになったお仲間2人に誘われて、3年ぶりにお会いした。
そのお仲間は個性的な2人で、1人は毎年スペインへ歩きに行っているカミーノの博士のような30代の女性。そして、もう1人は70代の女性で現役バックパッカーで、海外に行けない今、日本中のトレイルを旅して歩きに行っている凄脚の人。この2人は別々にそれぞれ一人旅をされており、スペインやルピュイの道も別の時期に歩いているという、なかなか私の普段の生活では出会えない人たちである。ちなみに2人とも超絶いい人で超絶美人で笑ける。
そんな2人のうち1人、東京在住のカミーノの博士の方から「南蛮文化館に行きたいのですが良かったらご一緒しませんか?」とメールが来た。私は、突然南蛮文化館に行きませんか?と誘われるような生活圏で日常を生きていなかったもので、いい意味で笑ってしまった。
南蛮文化?チキン南蛮は好物だけど、高校時代、世界史・日本史の成績が海底二万マイルに沈んでいた私は、オーマイジーザスに南蛮文化がさっぱりピンと来なかったのだが、コロナも今は一旦落ち着いているし面白い誘いだったので「ぜひ」と返事をした。
行く前に一緒にランチをしたのだが、3年ぶり2〜3回目の会食なのにめちゃくちゃ盛り上がった。
そもそも、イスラエルに一人旅した話を2人から聞くことはあまりないし、ドゴール空港で寝た話で盛り上がれる相手もあまりいないし、インドの薬局で高山病の薬が買える話をして,教えてくれてありがとうと言われることもあまりない。とにかく旅の話に花が咲いた。



3年前に会った時にこの2人から散々ルピュイの道の素晴らしさを語られて、その半年以内に私がルピュイを歩きに行った経緯があるのだが、「まさかホントに行くとは!」「しかもすぐ行ったし。のりまきさんはノリがいいよね、旅のノリ!」「普通は『いつか行きたいなー』で行かずに終わるよね」「パリとかじゃなくてルピュイアンヴレなんて普通行かないよ」と褒められた。
いや、あなた方が先に行ってるじゃないの、私からしたらあなた方も普通じゃないし。と心で笑った。
ルピュイの道は、2人の旅の話が刺激をくれたのと、それ以外にも色々と偶然が重なって、気づいたら次の目的地になってただけなのだが、確かにノリ?勢い?で旅をしていたな、あの頃は。と言ってもたったの2年半前だけど。そんな風に振り返っていた。

同じカミーノの道を歩いた3人なのだが、目の付け所がそれぞれ違っていて面白い。博士はキリスト教の文化、教会、絵画、建築にも詳しく、「あそこの街の教会に螺鈿細工があったよね」と語るし、シニアバックパッカーは景色や出会いを語るし、私はと言うとあそこで食べたあれが美味しかったと食べ物を語った。
そんな似ているようで色々違う3人で、博士の念願の南蛮文化館へ行った。
ここまでが驚きの長さの前置きです。
さて。
南蛮文化館。

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こんなとこにこんなのがあったのか?という大阪人としての驚き。大阪を知り尽くしているというのは驕り高ぶりであった。美術品の保存を優先して、なんと1年のうち5月と11月しかオープンしていないという知る人ぞ知る場所。
入ったら、そこのおばちゃん(あえて親しみを込めておばちゃんと書くが、この方が強烈なキャラだった)に800円払い、じっくりと中を見ることにした。
すると、パステルグリーンのワンピースとレースのストールを巻いたおばちゃんが出てきて、私たちはまだ2歩しか進んでいないのに、この美術館を作った人の由来などを話し出し、南蛮文化について語り始めたのだが、強烈なカウンターパンチであった。
「後で中で本物を見ると思うけど…」と前置きして、パンフレットの写真や玄関にあるレプリカなどを指差しながら膨大な知識を語る。
「この洛中洛外図の何がおもろいって町民なんよ。見てみ、散髪してる人おったりしてるやろ。おもろいねん。
あ、ほんで、こっち。こっちは言うたらにせもん。絵師さんが実物見んと書いたやつ。せやから見てみ、トラの顔がものすご猫やねん。トラちゃうやろ。ほら、ニャー、言いそうやろ。」
…。
40年以上専属で大阪人をやらせてもらってる私も感心するほどのコテコテである。
そして、なかなか中へ進ませてくれない。
玄関のレプリカを指差して全部を説明してくれそうな勢い。
「これも見て。メガネをかけてる人を見たことない絵師さんが描きはったから逆さにメガネかけてんねん、この人。ほら。鼻んとこ、上向いてるやろ」
おばちゃんは、巨大な南蛮屏風の中でもなかなかの面白ポイントを教えてくれる。
「黒人もな、見たことないの丸出しやで。ほら、キバ生えてたりするから。聞きかじりで描いてはんねんわ。奴隷や思てな。」
屏風絵に描かれた黒人に本当に獣のようなキバが小さく生えていた。
もうおばちゃんのおかげでハートを持っていかれ始めた私。
「こっちのはな、重要文化財になってて、ちゃんと見て描きはったんやなー、この絵師さん。あ、絵師にも〇〇派と〇〇派とがあって、その息子さんが…(失念したし長いので略)。
あ、ここ見て。全然ちゃいますねん。ここの青色。修復せんとこの色残ってます。ラピスラズリですねん。
あ、こっち。黒人の髪の毛、ちゃんと縮れてありまっしゃろ。ほら、見て。黒人を見たことある人が書いてる証拠や。キバも生えてないしな。」
「この黒人、ヤスケちゃうかって言われてますねん。」
無知な私はヤスケが誰か知らない。
すると博士が「ヤスケってあのヤスケ?信長の?」と言い、「そうですねん。ヤスケは信長さんの常にそばにおった家臣とされる色の黒い体の大きな人で、南蛮人が連れてきた黒人の奴隷やったんちゃうかって言われてますねん。諸説あるけど、実は本能寺の変で信長の最期に何か重大なものを預かったと言われてて、それをぶわーっと持って走りはって誰々(失念)のお城まで行って、それからどこどこにもそれを持って行ったって言われてます。これは機密事項になってますわ。」
もうすでに私は、おばちゃんとヤスケにも虜。
信長から何を預かったんや?気になって仕方ない。そんな私の好奇心に対して、
おばちゃんは声のトーンを落として
「信長の首を預かったんや、言われてますわ…。首を取られんように持って逃げたっていう、そういう説、ありますねん。」
ええー、ヤスケ!すごいやん。日本の歴史揺るがすやん。ヤスケ、メモメモ。
ちなみにまだ美術品は一つも見せてもらえておらず、入り口である。
次にガラシャ夫人の十字架の話、天正遣欧少年使節の話、千利休の話など、出るわ出るわ、コテコテのおばちゃんトーク。
しかし、私はおばちゃんのトークの虜になればなるほど、南蛮文化の美術品が早く見たくなってきて仕方ない。
バテレン、隠れキリシタン、色んなワードがおばちゃんの口から飛び出てきて興味、好奇心のビッグウェーブが来ている!すぐに乗りたい!はよ中に入らせて!
察してくれたおばちゃんが、ようやく進み出して、鐘を鳴らしてくれたり、フレスコ画の説明をしてくれて、「内緒やで」と言って日本製の工芸品の扉を開けて「ほんまは触ったらあきませんねんで。ほら、内側にこの細工、綺麗でっしゃろー。陰と陽を表してます」とサービスしっぱなし。
博士は真剣に聞いていたが、バックパッカーの先輩の方は笑いを堪えていたので私は安心して笑った。
早く早く…南蛮文化ちょうだい。もはやチキン南蛮よりも南蛮文化を食べたくなっていた。
1階のほとんどのスペースを我々の横にビタ付きでおばちゃんがコテコテ解説をしてくれた後、ようやく解放され2階へ。
本物の巨大な重要文化財の南蛮屏風がお目見え。
ラピスラズリ、黒人の毛、ヤスケ、おばちゃんの見どころポイントを隅々見て回る。
刺激的すぎる南蛮文化館。静まり返る美術館におばちゃんのコテコテ説明が脳内に残っているので、もはやオーディオガイドは要らない。

天正遣欧少年使節のルートが載っていたのだが、マカオ、インドのコーチン、ゴアもきちんと載っていて、スペインのあちこちを通ってポルトガル、ローマなどに辿り着いていた。
そしてようやく気づいたのだが、南蛮文化って私の旅している場所やんかということ。確かにコーチン、ゴアの教会にも行ってキリスト教を感じたし、カミーノ自体がそもそも巡礼路である。
各地を旅して私がこの目で触れてきた文化が、南蛮文化の起源に触れていたらしい。無知なまま旅すると損しているなあと痛感。後追いせねば。
点と点をおばちゃんのトークが線にして繋ぐ手助けをしてくれた気がする。家に帰ったら、南蛮文化にまつわる文献や映画をAmazonでチェックすると心に決めていた。

おばちゃんは最後にまた玄関口でラストトーク(30分くらい)をしてくれた。
おばちゃんは、ここの南蛮文化館を作った人の次女と友達で、おばちゃんも元々美術が好きだったらしく、この文化館に初めてきてびっくりし、感銘を受けたらしい。そして、ひょんなことからここを任されて、知る人ぞ知る場所だからほとんど人は来ないし、1年に5月と11月しか開けていない美術館なので、時間もあるからここにある文献を片っ端から全部読んだらしい。もう文献の全てが頭に入っているような語り。
おばちゃんも70歳を超えているのにスラスラと人の名前、場所、エピソードをコテコテと語る姿に痺れた。置いている美術品は全て凄いものばかりなのに、あえてガードマンも置かず、見たいと思ってわざわざ来る人のためだけに開けていたいから、広く知られたくないねん、とのこと。「今はコロナ禍で外国人も来ないしちょうどええわ、時々NHKなどTVで取り上げられてめちゃくちゃ人が来る時もあるけど、まあ年に2ヶ月しか開けてないしな、南蛮文化に興味ある人にだけ来てほしいねん」と言い切っていた。
こういう一見閉鎖的だけど、情熱があるからこそのこういった考えの人は、自分にも通ずるものがある気がして、好きである。

南蛮文化に興味なくやってきてしまったが、このおばちゃんに出会うために来たような気がするし、これからヤスケについての本を読みたいし、天正遣欧少年使節についての本も読む予定。私の頭の中では、遅れて、コテコテのなにわな感じの南蛮文化の開花の音がしている。
旅人の博士と大先輩から刺激をもらって「次、誰が1番海外に行くかなー」と楽しみにしながら前向きに元気に別れたのも楽しかった。
まだまだ開けていない扉がたくさんある。海外に行くまでの間、南蛮文化を旅しようと思う。




#日本史がすき (ではなかったけど好きになりかけてる)



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