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今振り返る 3年かけて歩いたスペイン、カミーノの道のこと

私の旅の話でよく出てくるカミーノのことをnoteでも説明しておこうと思う。
カミーノ・デ・サンティアゴと呼ばれるスペインの巡礼路のことで、日本の熊野古道とその2つだけが道ごと世界遺産になっている。一番有名なフランス人の道は800kmある。私が歩いたのはフランスのサンジャンピエドポーという街からピレネー山脈越えてスペインに入り、西へ西へ歩いて800km。サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂でゴールし、西の果ての、世界の終わりと言われるフィステーラとムシアの海で伸びた髪の毛を切って海に投げて終わった。歩いたのは36日間。移動、休息日等含めて過ごしたのは7週間くらい。私のGoogleマップはこんな感じ。星マークとハートマークの使い分けに深い意味はありません、多分。

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大半の人が800kmを一気に歩き通すが、私は仕事を辞めずに有給休暇を駆使して2〜3週間ずつ休んで歩きに行ったので3回に分けて歩いた。
なので、1回で歩き通す人の3倍の人数と初めましてと言って出会い、3回もサヨナラをしないといけない旅であった。

歩く目的は人それぞれ。映画「星の旅人たち」の主人公と同じく誰かを亡くして弔いのため、本来の「巡礼」の意味で歩いている人もいる。私も興味を持ったきっかけは人の死であった。
祈りの道と呼ばれてはいるものの、大半はクリスチャンとか宗教的な意味合いとは違って、ただただロングトレイルやバックパッカー旅が好きでやってきたという若者からアダルトも多い印象。
スタート地点で巡礼の目的を聞かれた私はとっさに「Adventure!」と答えたが、その言葉通りの旅になったと思う。

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毎朝、と言ってもまだ暗いうちに、起きたらひたすら西に向かって、黄色い矢印とホタテのサインを頼りに歩き続ける。1日の始まり。

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朝日が登る前から歩き出していたから、朝日が登ればもうそれだけで立ち止まって毎日感動するくらい美しい道だった。

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そして道は、はっきり言って素晴らしい景色の連続。何もない道でも空と道があるだけで絵になった。

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もちろん雨や雪の日も歩く。それはそれで最高。
トレッキングシューズが濡れると最悪だけど。

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大体1時間、5キロくらい歩くと町があってバルやレストラン、トイレや宿がある。

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止まってもいいし通り過ぎてもいいしルールはない。50km歩いて次の日は町の観光をするから休む、という変則的な人もいた。宿に泊まるのに毎日予約も必要なく、私は疲れたら今日はそこで終わり、という感じで歩いた。

朝ごはんだって好きな時や食べられる時に食べるようにしていたから大体2回朝ごはんを食べていた。

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それに加えて毎晩宴会やらバル巡りだから、毎日汗をかいて8時間歩いても太らないという仕組みだった。(カミーノを歩くと痩せる人が多いが、私はギリギリ太らないという着地点で納得がいっていない)

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1日、大体20〜40km歩くので、6〜8時間くらいは歩き続ける。早くて13時、遅くて16時には歩くのをやめて、アルベルゲと呼ばれる巡礼者用の宿に着いてシャワーを浴びて洗濯をする。できるだけ荷物を減らしたいから洗濯して乾かしてそれをまた次の日にも着るようにしていた。雨の日など洗濯物が乾かないと半乾きの靴下を翌日も履くことになり、それは本当に悲惨だったが、とてもシンプルでミニマムな暮らしだった。

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サマータイムのスペインは21時くらいまで明るいので、16時に着いても街の散策や買い物がゆっくりできる。
世界遺産級の教会や建築物があったりするし(とは言え私の好みは何もない小さな町だ)、スーペルメルカド(スーパーマーケット)に行くのが楽しみで、よくチョコレートやさくらんぼを買ったりして、道を歩き終わってシャワーを浴びてからも街をよく歩いていた。
どの街も飽きなかった。

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そして宿の中庭や芝生で寝転がって食べたり飲んだり日記を書いたりしていた。
歩いている時は、足の裏、指、膝、股関節、肩などあちこちがむちゃくちゃに痛い。毎日筋肉痛で階段がある宿だとうめいてしまう。ウォーキングデッドのゾンビみたいになっていた。
だけどその日歩き終わったら不思議と痛みを忘れているし、今も痛みは思い出せない。

夜はいつも同じようなメンバーと同じ宿に泊まることになり、一緒にご飯を食べた。1人で晩ご飯を食べることは覚えている限り1回あったくらい。
1人ごはんは全然苦じゃないタイプだが、1人にさせてもらえなかったし、それが不思議と苦でもなかった。イタリア人や韓国人はキッチンを使って自炊している人が多かったので、よく美味しい料理を作ってもらった。グラシアス。

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寝る部屋は、男女共同のドミトリーと呼ばれる2段ベッドがいくつかある共同部屋が多かった。3年目は、ペースも掴んでいたから疲れた時はご褒美に少し高い個室を選んで泊まったりもしていた。
とにかく自分で選べる。
自分で選択すること、選択の連続が生きることだと改めて思わされた日々だった。洗濯の連続でもあったけど。

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毎日足を動かしてれば進むわけで、そんな日を1か月繰り返すと800km歩いて西のサンティアゴ大聖堂に着く。最後に無事到着したことを祝福していただくミサに出て、祈りの日々を終える。

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それから西の果ての海のあるムシアとフィステーラまで行った。目的地まで800kmだったのにこれ以上進めない海に出て、「0.00km」になっているサインを見て私のカミーノは終わった。

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蛇足だが、
カミーノは恋の道、という別名もあり同じ道の上でたくさんの恋が生まれるのを見てきた。
とても凝縮された日々を送っているので、人と人とが向き合う時間も濃い。濃いだけに恋が生まれやすいというダジャレも出るくらいカジュアルにナチュラルに誰かが誰かに恋をしていた。ビバリーヒルズ青春白書のアウトドア編みたいな感じだ。
結婚したりするカップルもいたがそれは一部で、国をまたぐ遠距離恋愛になるからカミーノの道の上でだけの恋だとどこかで思っている人が大半だったように思う。だからこそより輝くのかな、なんて思って見ていた。
かくいう私もただの恋の傍観者ではなく当事者でもあったんだけど、ブログではこっぱずがしくて書かなかった。
カミーノで生まれた恋のかけら的なものも、もう既に過去の、過ぎ去った優しさも今は甘い記憶スイートメモリーズ(聖子ちゃん)になっている今、振り返ってnoteにちょっと書いちゃおうかな、なんて思っています。








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