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いつでも花見

今日歩いていて思ったのは、
毎日花見をしている、ってことです。

桜が散れば、桜は終わりか、
ってなるけど、
野草は毎日が変化の連続。

花見、っていうだけでなく、
昆虫見、蝶を見るチョウ見、っていう世界もあるんじゃないか、ってことに
気がつきました。



蝶を見る

毎日見ていると、植物は思いのほか種類が多い。

また毎日成長して
いる。

伸びたり、花が咲き、
また花から種に変わったり。

とにかく変化し続けている。

また、どれを取ってみても、
これ以上ないと言えるくらい、
きれい。

どうでもいい雑草といえば、
そうですが、
植物は色々と見ると、結構楽しめます。

フジの花の公園があるらしいけど、

一種類だけの花をみて楽しむよりも、
多くの種類がある野草の
花見はもっと興味深い。

種類が多く、姿が複雑。

毎日見ていても、
次々に新しい姿を見せてくれてます。

今日思ったのは、
植物は何かと
良い影響を体に与えて
くれるんじゃないだろうか、
ってことです。

雑草、邪魔な存在とすれば、
花を見る気にも関心も出ない。

草(クサ)、雑草という言葉が
よくない気がしてきます。

季節の植物、季節の野草、というなら
まだまし。

花や昆虫の姿を見て、
何かほっとするような感じです。

誰に話そうが、
大抵は聞き流される。

この神秘とも言える美しさ、
どうだろう。

自然に触れろ、って
強要する気はないし、

伝え方がわからないけど、
何かが良い。

言葉では表せないもの、
ってあるとしたら、
人の理解を超えたもの、
自然そのものだと思った。


理由はよくわからないけど、
植物や生き物をみていると、

何か満たされる気持ちがでてくる。


夜のライトアップよりも、
よほど綺麗に見える。
もっとも嫌われている草です。
白から赤、また日差し、
夕日に当たるだけで、
雰囲気はガラッと変わります。
野草の種がどれだけ多いか、
種まきは大量です。


これが全部タネ。
拡大すれば、また違った雰囲気に。
夕方の姿。

見れば見るほど、神秘というか、
きれい。

もっといい表現ができたらいいけど、
言葉では表現できないと思う。

野菜作りでも、
思いようにいかないのは、
結局、わかっているようで
わからないもの。

蒔き遅れで、へなへなな苗が
最も大きく育ったトマトや冬瓜、

その他、期待を裏切り、
また期待をはるかに超えた結果も
多々あり。

誰も本当の理由はわからないし、
植物や野菜はわからない存在、
謎というのが
正しい答えだと思う。

とにかく、良さをうまく
説明できない。

凝った写真をとるいい腕でも
あればいいけど、

ほとんどオートフォーカス任せ。

それでも、モデルが良ければ、
それなりに良い写真に
なっていると思う。

写真を撮るのはいいと
思いました。

稀に見かけるのは、
キツネや大きな猛禽類の鳥、
そして、テンや野うさぎ。

いつ現れるかわからないし、
出会うのはほんの一瞬。

その一瞬は見えるだけの時が
大半だけど、
写真なら後でもまた見れる。

動物は
警戒心が強く、大半は一瞬で
逃げられてしまう。

一度だけ見かけた、巨大なワシの写真は
いつか撮れるかも。

望遠とマクロ撮影できる、
軽くてコンパクトなレンズが
いいですね。

植物なら、
なるべく拡大してみると、
また違ったものが見えてきます。

マクロで見る。

小さくみて広がる世界です。

アザミ
たんぽぽ
タネ。
種が全て飛んだ状態。
やや白っぽくなり、タネに変わると思います。白髪に変わっていくような
感じです。
さまざまな紫色。
つぼみ

アザミやたんぽぽなど、
植物一つだけでも、

日に日に変化している。
つぼみ、花、花の色、種、
違った姿がある。

拡大したら、またきれいな世界がある。


この植物を見る世界って、
遠くにあるわけでも、
費用がかかるわけでもない。

身近な川の堤防でも行けば、
色んな花が咲いている。

植物観察にはデジカメがあれば
尚良し、という程度。

結構古い機種で十分。

色々とよくわからない生き物も
見かけるけど、気になるなら調べても
調べなくてもいい。

種類が多く、
色もさまざま。その時に気になったものだけ見るのもいいですね。

トンボ
蜂の音、
鳥の鳴き声、

良い刺激があるように思う。

トンボも色んな種類がいるようです。

こういう生き物を見る時間を持つと、
何かわからないけど、
良いですね。


あえて藤の花の公園に行こうと
思わないけど、
畑作業の合間にできるから、
十分ですね。

むしろ、種類が多く、
いつ何に出会うかわからない。

畑作業はほどほどに、
植物観察、生き物観察。

雑草といえど、結構気持ちが引きつけられる世界があることを
知ってしまいました。

きれいすぎて、惹きつけられすぎて、
時間が消えるような、
不思議な世界です。

文章では表現できない、立体空間で
生きたものがいて、音も匂いもする
感覚を刺激する世界、ってことです。

とりあえず写真、昔のデジカメが
大活躍してくれます。

使うとカメラも喜んでいるかのような
気がします。

植物はよくわからない。
だからいいのかもしれない。


ただ、何かしら心身に良い
感じがするのは事実。


わかりにくいですが、山椒の木も草刈機で刈り取られている。

一方で、ホームセンターでは山椒の苗木は売り切れだという。

記憶にあるだけでも、自生している山椒の大きな木は十箇所以上ある。

栽培しなくて良い植物、
ってことですが、
実はあまり多くの人には知られていないようです。

切られたのがあったので、
家で飾ってみます。
すごい香りしています。

杉、ヒノキ、松は長持ちしますが、
山椒はどうだろうか。


何か甘い香りが最近多いと思ったら、
野いちごが実ってきています。
嫌われもの(指定外来種、駆除対象)のオオキンケイギク。
海外では種も販売されており、蜂や昆虫の蜜源、また景観用として
活用されている。

日本ではそんなことをしたら、
たぶん捕まる。
特定外来種で、
採取や持ち運び等も
禁止されている。

繁殖力や生命力が強く脅威となっているそうですが、
何をむきになって抜きまくるのか。

繁殖は初夏から秋まで。強い季節の野草、で良いかと思います。


オオキンケイギクは育った環境が良いところ(道路などの排気ガス等の汚染の影響がないところ)の新芽は、
食用にもできるという。

以前知り合った、野草薬草好きの海外の人に教わりました。 

また、国内のある大学では、
薬草としての可能性を研究し、

抗がん等の研究結果も出たそうです。
希望のある話ですが、実用化されている話はない。

オオキンケイギクはオレンジ色の
花を咲かせ、
明るい気持ちにしてくれるし、

うまく活用した方がいいと
思うのですが、

一度決まった定義/法律(悪もの扱い)は、
なかなか変わらない。



マコモダケも脅威的な繁殖力です。
たったの5株が、どんどん広まって、
田んぼがマコモダケだけになる可能性もある。 栽培方法なんてない。
水があるところに
植え付ければおわり。勝手に大きくなっていく。
田んぼの約1メートルは毎年マコモダケに占領されていくようです。
田んぼの隅に植えたものが、
だんだんと押し寄せてくる。

ただ、水を綺麗にするらしい。
背丈も伸びる。
五月上旬でもはや1メートル。
今年から、過剰分は抜いて、
場所を変えるか、

メルカリで格安で
売っていくのもありかと。
地中に根をはり、結構広がってきます。


マコモダケは昔は結構広く栽培されて
いたという。

話を聞く限り、米作りの邪魔になって、
消されていったみたいです。

農機が使いにくくなるわけです。

マコモダケもうまく共存すれば、
ここ最近目にする
田んぼの水の汚れ(綺麗に見えて、実は農薬散布が目立つ)も
少しはマシになるかと思います。

こうして思うのは、
人が決めると、活かせるものが消され、皆それに従う。

疑問が生じない。

田んぼを見ていると、
ブーンという、蜂の音とは全く違った
何か散布する様子が目に入る。

まず、本当に必要かどうか。
使わずに多収穫している人は
いる。

そんなにたくさん散布する必要が
あるのかどうか。


たぶん、ほとんどの人は知らない、
見たことがない、
あるいは関心すらない世界です。

植物とは違って、不快感この上なく、
シャッターが切れない。

散布の種類も回数も多い。
農協の米栽培のカレンダーを見て、
疑問が生じないのも、ちょっと怖い。

自家用と販売用を
分けている人もいるけど、
そんな人たちは何かおかしい、
って気がついている。

前々から気がつきましたが、
植物にふれたり、

野菜栽培でもしていると
おかしいことが多いことに気がつくようになりました。

たとえば、今、スイカやメロンが売られている。ミョウガ、きゅうりも
トマトもスーパーでは見かける。

どれもまだ早すぎるし、
別に今なくても
いいはず。

安かったり、甘くて美味しそうに
思わせられる。誘惑が多い。


きれいな空気や水を取り入れると、
誘惑や異変を
察知してくれるように
なるのかもしれない。

森林にはいると、一気に空気が変わる。
以前は田んぼだったそうです。
70年代には、減反で縮小。

杉、ヒノキが生い茂ると、
空気が一気に変わる。
とても綺麗な空気です。

良い空気を吸う、食べる。


アザミも、それぞれ
姿や色が違う。

アザミ、たんぽぽ、そのほか、よくわからない野草の花を見る。

何か良いものだと感じたら、
おそらく体にも良い。

野草、全然大したことではないけけど、
とてもいい世界に思えてきます。


雨なら、水滴だけでも
結構楽しめます。
水滴だけを見ていくのも
ありだと思う。
蜘蛛の巣

水滴、コケ、そのほか、小さなものを顕微鏡で見るようなことって、
小さいけど、広がる世界だと思います。

どこに行けば、何が生えているのか、
最近よく
わかってきました。

どんどん成長し、
毎日違う姿であるのは、

やっぱり植物は生き物って
いうことです。


朴葉(ほおば)。
岐阜の名物、朴葉味噌も
やればできます。
ところどころに朴葉があります。とにかく大きい。

植物や昆虫、野鳥は見て、
聴いて、あるいは
匂いでも楽しめる。

いわば刺激的です。

森林の香り、イチゴの香り、花の香り、
蜜蜂のブーンという音、トンボの微妙な羽の音、風、
ウグイスの鳴き声、さまざまなチョウ、
色もカラフルです。

どれも雑草や害虫だと見れば、関心もない、見えない、気が付かない世界です。

ただ、こういう植物に触れる時間は、
実際に直接に見ないとわからない、
感じないものがあると思います。

写真や映像では映らないもの、
匂いや風もそうですが、

何か生気のようなものも
きっとあると思います。

酸素もそうですが、とにかく
体全体感覚を刺激する。

よくわからないものですが、
植物などに毎日触れる時間を
持っておくといい、

最近は特にそう思います。
植物や昆虫とうまく付き合う。 

その方が結局色々と得します。

歩けば、適度な運動はできているし
血流も良くなる。

足腰も使う。
体は使わないと衰える。

歩きやすい靴、
適当なカメラでもあれば、
あとはひと押しで、
外に出て植物に触れる。

その広がる世界は
知ったもん勝ちだと思う。

気ままに任せれば、
運動は勝手にできているし、

日常も小さな感動が積み重なる。
健康は考えなくても、
良いとさえ思う。


こういう蝶をみて、何か感動する。
緑茶も実は作れます。
お茶っ葉は結構多く、
自生しています。
お茶の新芽はそのまま食べると、
お茶のほろ苦い味。

緑茶、買えば数百円で手頃です。
でもこの葉で作ったお茶を飲むと、
いい味。

お手頃価格の誘惑に負けず、
お茶もまたやってみます。
きっかけは些細で一瞬。

お茶っぱを見つけただけ。

ここでお茶を買おう、
ではなく作ろう、
作りたい、と思う。

毎回、蒸し具合が甘いのか、よくわからない薄いお茶ができます。
ただ余韻が残る、不思議なお茶で
これは手作りならでは。
ミツバは至る所に生えている。
赤、白、ピンク、
この嫌われ者の雑草ですら、
楽しみ方はあります。
山椒、一枚口にするだけで、
強烈な味です。
菜の花は一気にタネに変化しました。
アブや蜂のブーンという音は、
不快ではない。

こういった自然の良さは、言葉ではうまく表せない、って
思うけど、

多分、蜂のブーンという自然の音と
草刈機や農薬散布のブーンという機械音の違いとも言える。

機械の音と自然の音は全く違う。
言葉/単語では違いが表せない。

何か良いものが
きっと植物や生き物にはある、
それがわかるようで、よくわからない。

だから植物の観察が
飽きないのかもしれません。

植物を見て、触れると良い、
といっても何がどう良いのかは
説明ができない。

野菜作りだって、
地味な作業そのもの。
買った方が早くて楽。

ただ、飽きることがないのは、
植物/生きもの相手だからなの
かもしれない。

何かしら、体に良い感じがする、とモヤっとした表現しか
できないのですが、

とにかく植物はよい、見て香りを感じ、
音、風、空気を吸う。 

刺激は地味なようで
実は豊富かもしれません。

うまく付き合っていく方がきっと得する、っていうことは
言えます。

車に乗って見るのは、
見たつもりだけで、
何も細かく見えてない。

自転車だと少しまし、
歩くともっと見えるし匂いもする。
触れることもできる。

足を止めると、観察もしたくなる。
シャッターも切れる。

なにしろ些細な感動もあり、
知らない間に運動もできる。

五感の筋トレにも
なっているのかもしれません。

歩くか農作業の合間、
地面に足をつけているときに、植物の良さは実感してきます。

となると、不思議と飽きない雑草花見、
チョウ、トンボ、

その他よくわからない生き物を
観察する世界、

どんどん体験していくと、
得することしかないって思います。

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