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私小説を書いている気分でnoteやっています

日本の鉄道なんか乗ってられない

日本の鉄道(特にJR)に対して愛想が尽きたので、まだ魅力あるインドシナ・マレー半島の鉄道を乗り潰すのが楽しみの中年(これは本当)って設定で書いています。
愛想が尽きた理由は、たまたま(元いすみ鉄道社長の)鳥塚氏がBlogで書いていたのですが、まさにその通り。

国鉄のDNAその1 「売れないからやめます。」
国鉄のDNAその2 「需要の開拓ができない。」
国鉄のDNAその3 「既得権を手放さない。」
鳥塚氏のYahoo!個人より

もちろんタイでもマレーシアでも同じようなDNAは流れているにしても、日本のJRよりはまともじゃないかと思います。
自分が note 第1話で書いた通りです。

日本の鉄道では、最後の1本となってしまった寝台列車。こちらタイ王国では未だ隆盛を誇っています。1等寝台車連結列車だけでも1日9往復。九州新幹線開通前夜の日本程度は走っている計算になります。
寝台車とは対になる食堂車も寝台車連結列車には全て連結されています。(はじめにより

タイ国鉄にも問題点はあるのですが、彼らは意外と(日本の)国鉄のDNAとは真逆を走っているので、個人的には(ムカつきながらも)味だと思っています。

具体的に言うと、従業員の強姦殺人事件の影響で乗客まで飲酒が禁止になりましたが。それって「売れるのにやめちゃった」わけで。意外と売れる・売れないで廃止を決めないのがタイ国鉄です。

他にも一等寝台車、二等寝台車の需要は旺盛なので、近年新型寝台車を導入して、LCCやVIPバスに対してアコモデーションで勝てるように「需要喚起」はしているし。

そして新型寝台車を導入したときに、食堂車のオペレーションに既得権業者を入れるのではなく、新規業者の参入もしてみたり。
ただその新規業者は誰からも不評で、あっと言う間に契約解除、元の既得権業者が復活したのですが。その辺の動きが日本の国鉄のDNAではないと思います。

そんなこんなで、日本の鉄道なんか乗っとれないのが本音です。

私の設定と本当の私の年齢

年齢は47歳で、大阪万博の次の年に産まれて、物心ついた時点で新幹線が博多開業していて、中学生のときに日航機が御巣鷹山に墜落炎上して、高校の入学式の前日に国鉄が分割民営化した世代です(実際より1歳歳下にしている)。
分割民営化時の約束で10年間は、(鳥塚氏の言う)国鉄のDNAを封印するとのことだったので(実際実行された)、高校生→大学生→社会人ルーキーの頃は日本の鉄道が楽しい時期でした(悲しいニュースは1994年の「(博多)あさかぜ」の廃止くらい)。

ただそう言う時期は長く続かないんですよね。
日本の鉄道で手放しで嬉しかった最後のお知らせは、1999年7月にJR東日本が公約を守って導入したE26系こと「カシオペア」のデビューでした。

カシオペアは一度だけ乗ったことあります。当日は朝から羽田空港で宴会で、ポケモンジャンボで新千歳向かい、カシオペアデラックス個室で親孝行中の友人と南千歳で合流して、べろんべろんになりながら上野へ戻りました。
あのときくらい、部屋にトイレあるのは便利と思ったことはありません。

そんなカシオペアも普通にみどりの窓口できっぷが買える列車ではなくなったし。やっぱり乗ってられないや。

私の設定と本当の私の現住所

仕事の都合上、6〜7週間働いて2週間休む、あるいは10週間働いて3週間休むことができると言う設定にしてあります(実際は、現在無職でもっと自由効きますが、いよいよ新しいビジネスを始めますので、しばらくは11週間働いて2週間休みを目標にしようと考えています)。

趣味はご覧の通り、日本での乗り鉄、撮り鉄、飲み鉄活動に愛想が尽きてしまい、インドシナ・マレー半島で乗り鉄、飲み鉄(実際にはできない国が多い)活動を頑張っている次第です(実際には、後述の理由でやらないだけで、日本のローカル線は捨てたものじゃないです)。

現住所は設定上、江戸川橋駅付近の1LDKマンションに一人暮らしで、仕事先は飯田橋駅付近。だからタクシーで京成上野駅に出て、そこからスカイライナーで成田空港へ向かうスタイルが好きです。羽田より成田派。

実際には、タイの4大国境都市(メーサイ、ノンカイ、アランヤプラテート、ダンノーク)のいずれかに妻子と住んでいます。旅行に行くときは地元からの寝台列車で、まずはバンコクへ出ることが多いです(と書くとノンカイしかないですね)。

実際には日本に住んでいないから、悔しいこともあるんですよ。まずは、日本のローカル線の乗り残しが結構あること。
タイの鉄道の乗り残しは、ほとんどないのにね(BTSの新開業区間に少しあったりします)。
あと、青函トンネルが最悪の形になってしまい、本州と北海道を結ぶ夜行列車は全廃されたときに、葬式鉄ができなかったこと(きっぷを取ること考えると、長期帰国しないと駄目なため(今なら無職だから可能は可能でしたが))。

妻子と「はまなす」のお見送りしたのが、精一杯の葬式鉄でした。

旅行のスタイル

設定上、文京区の小ぎれいなマンション住まいで小金は持っている。
旅行スタイルも、過去に日本で行っていたスタイルで、公共交通機関メインで移動するものの、普通にA寝台個室やらグランクラスやらも乗るし、逆にローカル路線バスも乗る形は、インドシナ・マレー半島でも踏襲しています。

泊まるところも基本的には、東横インみたいな何とかインに泊まっていますが、老舗ホテルみたいのには、ついつい泊まってしまう。もちろんインドシナ・マレー半島でもスタイル変えません。

食べるものも、美味しい酒が呑めそうなレストランを見つけたら、そこが「1万円のお任せ」しかない店でももちろん入ります。こちらもインドシナ・マレー半島でもスタイル変えません。

性風俗に関しては、日本にいるときはほとんど行かなかったけどね(セフレみたいな女性や女装子なら絶えずいたし)。
この私小説では、現地人(本当は現地人風俗嬢は少ないのですが)と手っ取り早く肉体の国際交流を果たすには、これしかないのかな?と思い、積極的に買うことにしています。
一方、沈没に徹すれば、夜な夜なディスコ(クラブ)で現地人ナンパすれば、(国にも拠りますが)肉体の国際交流を果たすことは可能です。
(時間を金で買うか、過程を楽しむかの選択になるのですが、時間を金で買う方を選択しています)

だけど、筋金入りの倹約旅行は結構好きなんです。

でも、こう言うドケチ自慢は、

今朝も8時頃から藤井さんとシーク寺院へまかない飯を食べに行った。

毎日バンコクのシーク寺院のタダ飯食べているそうで。全く頂けないですね。故人に対して失礼かもしれませんが、あえて言います。

これからの展開

最初4ヶ月は、月15回更新を目標にしていて、この投稿が60回目になります。
3月からは週1回更新ペースで行こうと思います。
投稿に見出しを付けるとSEO対策になることも判明しましたので、3月中に全投稿に見出しを付けようと思っています。

(以下、3月1日追記)待望のPDFファイル添付が可能に。年内に「タイ鉄道旅行時刻表」を完成させたい。

さて、バンコクへ旅しよう!


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