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言葉にならない言葉


僕の体験談の話をしよう。


僕のうちにはよくお客さんが来る。

いろんな人が来る。親父にお話がしたいと
いろんな人が話しに来る、


よく来る夫婦には子供がいる。

小学生の子供。A君にしよう。


彼は小学5年生なのだが3年生から不登校だ。

その悩みをお父さんとお母さんが
うちに聞きに来る。

お父さんとお母さんが話をしてる間、

僕はその男の子と遊ぶのがいつものルーティン。

A君は僕と遊ぶのを知ってるからからか

必ず

すごろくを作ってくる。


そのすごろくは、本当にすごい

スタートからゴールまでの百個以上のマス

一つ一つに文字がびっしり書き並べられていて

なかなか先に進むことができない。


僕とA君でサイコロを交互に振って

目の数だけコマをすすめるのに


2回休憩

三マス戻る

目をつぶって5分間黙る


などどのマス目も停滞と後退の繰り返しで


半分まで行っても、、またスタートに戻る。


これじゃあいつまで経っても
無理じゃん!

と怒る僕に、A君は笑いながら


また来る日も、また来る日も

「上がれないすごろく」

を作ってきて、サイコロを振る。


常に中途半端だし、勝ちたい欲がすごい僕に
とっては、心は落ち着かないし、精神的にもやだ


それでも彼がここまでこだわるには訳があるのか?

と思いながら常に来てはすごろくをした



そして、ある日、ふと気がついた。


この、すごろくをしている時に感じる苦しさは

毎日、学校に行かないで作っている

彼からの言葉にできないメッセージなのか?



心の中のいろいろな思いが邪魔をして

前になかなか進めない苦しさを

すごろくに託してSOSを発信してるのかと

心にぴーんと響いた。


以後、僕はスゴロクの上がりにこだわることなく

彼の気持ちを大切に受け止めて


楽しむことができるようになった。


そしたら、彼も少しずつ変化を見せ始めた。



やがて、スゴロクに空白のマス目が現れ


その数がだんだん増えてきて、


三マス前に進む!


ボーナスチャンス!
サイコロの目だけ進む!


と前進のマスが出てくるようになった。


そしてついに、2人ともゴールが
できるようになった。



その数日後、そのお父さんとお母さんから
電話が来て

A君が学校に行き始めたというのだ。




ある時、こういう本を読んだ。


対人恐怖症と診断された女の子がこう話していた。



私が話せば話すほど、周りの人たちは誤解する。何も喋らずに黙っていようと何度も思ったけど周りはそれも許してくれない。言葉に表しても、わかってもらえないから、自分の気持ちを話せと言われるのが怖い。いつも相手に気を使いすぎて、自分が何を言いたいのかわからなくなってしまう。話す前に疲れてしまう。


と書いてあった。


私たちはよく


「はっきり言ってよ!」

「ちゃんと言葉にして言わなければ何もわからない!」


といって怒ることが多い。



しかし、自分の思いをきちんと言葉に整理して話せるくらいなら、
誰も悩んだり苦しんだりはしない。


むしろ言葉に表してもらわないと
相手の心を感じることができないのなら受ける側に問題があるとも言える。


子供の中にある、沢山の複雑な思いを

大人の都合に合った聞こえのいい言葉になど

まとめられるはずがないのである。

大人でも、我々、考え方が違うと互いが、

話さなくてもわかる。想いは繋がる。


そんなことはないのだ。


相手の口から発せられる言葉にだけ
頼ってしまうのではなく、
表情や態度などから
「言葉にならない言葉」を感じとる力を日頃からやしなつむていくことが
大切だと思う。



それは、自分自身にとっても、

人生の折々に病気や、

さまざまな事件は

形を変えて僕たちに教えてくれる


「言葉にならないメッセージ」

なのではないかとおもう。



皆はどうでしょうか?

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