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家族とは

※2019年にブログに書いた記事です。noteに引越してきて編集しました。綺麗な言葉ではなく、感情をそのまま文字にしていて、攻撃的な言葉や表現もあるので、苦手な方はご注意です。

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2018年の夏、父方の祖父が亡くなり実家に帰った。
四十九日は仕事の行事と重なって行くことができなかった。
年が明けて2019年、法事を6月に迎え、無事に終わり東京に帰ってきた。

こうやってあった出来事を書いているけど、このひと通りの出来事が、数年前の自分が知ったら驚いて「嘘だ」って言うと思う。

私は自分が生まれ育った故郷と家族から離れたくて、大学への進学を機に島根県を離れた。

家族の中で、父のことが最も嫌いで憎い。 

友達や出会う人と家族の話題になると「父とは仲が悪い。父のことをすごく嫌ってる」と言い続けてきた。

特に仲の良い友達や当時の恋人には父の悪口や父を罵る言葉を沢山聞いてもらってた。

「私はあんな田舎で生まれてないし、私にお父さんなんかいない」
ひどいときはここまで言っていた。のを、はっきり覚えてる。
はっきり覚えてるくらい何度も言ってたので、「ひどいとき」は定期的に訪れてたってことになる。 

進学して、就職して、距離が離れて顔を合わせることも、話すこともなく関わっていなくても、父のことは大嫌いで、定期的に「思い出しムカつき」が訪れていた。
思い出しムカつきって体にも悪くて(なんかの記事で見た)、ムカつくことわかってるから思い出さなきゃいいのに、思い出してムカムカムカムカして止まらなくなる。

あんな父親、死ねばいいのに。1日でも早く死んでほしい。
殺してやりたいとさえ思ったこともある。→殺すほどの価値のある人間か?と思いとどまって価値のないクズ人間だと気づいてやめた。
娘(わたし)が1番喜ぶことは1日でも1分でも1秒でも早くお前が死ぬことだよって言ってやろうかなって思ってた。

母、兄、(母方の)祖母、親戚がたまに父のことを話題にした(決して悪い話題ではなく)。
その時は必ず話の主を睨みつけて「話に出さないでくれる?」と言った。 特に母と兄には怒りながら言った。

*

数年前、旅行でとある大きなお寺に行ったら「お坊さんとお話しよう」キャンペーン?みたいなのをやっていたらしく、お悩み相談、聞いてみたいことなんでも話しかけてくださいねと言われた。

ふーん、と思ってたら、やたらと私を気に掛けるお坊さんがいた。

「何かあるんじゃない?大丈夫?」「何か聞こうか?」と話しかけてくる。
ありません、ないです、大丈夫ですと言っていたけど、それでも聞かれる。

「本当に大丈夫?」「何かない?」

さっきから「ない」って言ってるのに…。とうんざりしていたのにとっさに思い出したように「父親がクズですごく嫌いで早く死んでほしいって思ってる」と言った。そしたらお坊さんは「やっぱりねぇ。何かあると思ったんだよ。」と言われた。
私を見て「どこか陰がある、きっと何かある」って思ったから聞き続けた、と言ってました。
その陰は私が父に向けてる負の感情と憎しみだなって思った。自分でもわかってるし、わかりきってるくらい。

いつから、どれくらいから嫌っているのか、どう嫌いなのかを聞かれて答えた。
(当時で)14年と答えて「長いね…!」と言われたり。「どう嫌い」なのか、より「本当に嫌ってる」という気持ちを話して、それを聞いてもらったのを覚えてる。だって中には「本当に嫌ってる」って言っても「子どもは親を嫌いになれないよ」と言って取り合ってくれない人もいるから。←そういう人は親ガチャって言葉を知らないか、別の意味で認識してるんだろうなって思うし、子供は親を選べないってことを知れ!!!と思う。

 話してるうちになぜか涙が出てきて、恥ずかしかったけど止まらなかった。
みんなに父のことを嫌ってほしいと思ってる、と言った。
私が人に父の悪口を言うのは、人にも父のことを悪く思ってほしいと願っていたから。
ずっとうんうんと私の話を聞いていたお坊さんが「ううん。それはダメだよ。みんなに嫌われてほしいって思ったら」と言った。
父が気の毒だから、ではなく私のために言ってくれてるってなんとなくわかった。

「多分、お父さんのような人がこういうお寺とかに来て話を聞いたり、自分のことを話したりしてくれる方が良いけど、お父さんはもう、年齢も年齢だから変わらないと思う」 

そう。変わらない、変わろうとしないところが嫌いだった。その当時は私自身も「人に変わってもらおう」という気持ちがすごく強かったから。

私が「こんなに人に話したのは、はじめてかもしれないです」と言ったらお坊さんは 「それはね、あなたと私が全くの他人同士だからこうやって話せるんよ。きっと、大切な人は話してくれることを待ってるよ。どうして言ってくれないのかなと思ってるよ。」 

たしかに私は、父の悪口はたくさん言うけど、その時に、父とのやりとりや言葉や行動に自分がどう思って嫌だという感情を持ったのかを言わなかった。 

最後にお坊さんに言われたのは「ここで私に話したこと、大切な人や、恋人や好きな人がいたら話して。絶対みんな待ってるから」だった。 

それから少しずつ、父のことを友達に話すとき、こんなことがあって、その時にこう思ったことがあって嫌い、ということ、自分とは親子でどこか似ているところもあるから余計に嫌いなんだと思う、ということも話した。

それでも、例の「思い出しムカつき」は定期的に訪れてしまっていて、相変わらず父のことは大っ嫌いで 

父がいるから私は苦しい
死んでくれないと、この苦しみから解放されない 
血のつながりなんかいらない
親子なんだから、家族なんだから、なんて全部私を苦しくさせる呪いにすぎない、絆じゃなくて呪いだ
他人だったらどれだけ良かったことか
と思う。

この思いと気持ちは無限にぐるぐるぐるぐるループしていく。
ぐるぐるぐるぐる止められなくて自分の心の中にいて、たしかにそこに「在る」から、消えないから「思い出しムカつき」で暴れだす。 
どうしたら、私は父のことなんて気にしないで、この定期的なムカつきと苛立ちが訪れることがなくなるのかな?と思っていた。

*

それから3年くらいたって、2018年に転職しようと決めた。

新卒で入った会社(今ではこのnoteにも新卒入社のクソ会社でよく登場するおなじみの存在笑)は、ずっと馴染めず違和感を感じながら続けていて、続けても続けてもきっとこのモヤモヤは解消されることはないと「わかった瞬間」が訪れた。
他の会社で正社員でやっていこう、は選択肢になくて、正社員じゃなくていいし、副業とかできるようになりたいし、フリーランスも考えた。 

自分の好きなこと、できること、個性、どんな仕事をしていきたいか
私自身はどんな毎日を、生活を、人生を生きたいかを考えて、本を読んだり講座を受けたり、色々な人に会った。
わからなくてもアプトプットしきれなくても、「やっぱり私には無理だから今の会社でいいや」と諦めたら後悔することだけはわかっていた。から、やめなかった。 

そんな生活を続けているうちに気づいたことがあった。
私が続けてきた「新卒で入った会社で正社員として働く生活」は、私自身のためではなくて、私が父と親子であることを認めたくない、父と私は違うことを証明したいために続けていることだとわかった。
ベクトルが常に父に向いていて、自分自身の生活や人生、やりたいことのためにやっていることじゃないことがわかった。 

違和感を抱きながらも、意地で「絶対にこの会社はやめない!」と思ってた時が何度かあった。体調を崩した時や、同じ部署の人や上司と顔を合わせるのも嫌な時、父を思い出しながら「私はあいつとは違う。私はちゃんとやってる。私は何があっても逃げない、絶対やめない!」と思ってた。
けど苦しかった。だからこの生活や、自分の人生がずっと満たされなくて辛かったことに気づいた。

もうひとつ考えるようになったことがあって、
「もしも私がずっと地元にいたら、東京に出てこなかったら、今の会社で異動の希望が叶ってたら、転職したいとは思わなかっただろうな。
もし地元にいたら、もし私が父だったら、私が父と同じ時代に生まれていたら今のように考えて行動しているのかな?」
と思った。

全てが時代や環境や周りが起因するところではないと思うけど、もしかしたら父にも思うことや、もどかしいこと、どうしようもならなかったことがあったのかな、と思った。
それから、私に思い出しムカつき、父が憎くて仕方ない周期が訪れることが少なくなっていった。 
今、私は自分の人生を生きようとして行動していて、いま、私は父と家族と向き合うタイミングなのかもしれないと思った。 

その数日後に、祖父が体調不良で入院していると連絡があった。
肺がんだった。覚悟しておいた方が良い、という連絡だった。
健康なイメージがあって入院自体が珍しい(というよりはじめて。すごい…)から、本当に覚悟した方が良い、いつでも会えるわけじゃないとわかった。
私は、父の親である祖父母にも会わずにいて、連絡もほとんど取っていなかった。

仕事のスケジュールを確認して、母と連絡をとり、お見舞いに行こうと日取りを決め、飛行機の予約を取った。
「来週の土日に母とお見舞いに行くね」と、いとこに伝えた。 

次の日の夜に祖父は亡くなった。

「来週お見舞いに行く」予定はなくなり、連絡をもらってから、お通夜、葬式に行くため航空券を変更の予約をして、荷造りをした。
会社に行って上司、同僚に報告。休暇の申請をして、少し仕事をして空港へ向かった。 

10年近く帰っていなかった島根の実家は、どう変わってるのか。話題に出されることも避けてたから、わかっていなくて予想もついていない。

早く行かなきゃと思いながらも「今まで何をしていた」「顔も見せにこないで」と言われるのかもしれないと思いがよぎって、少し不安だった。 

私の顔を見た祖母と伯母は「東京から遠かっただろうに、よく間に合ってくれた。おじいちゃんの顔見てあげてね」と言ってくれた。 

祖母が眠っている祖父に「おとうさん、理央さんが帰ってきたよ。おとうさん、おとうさん、どうして起きてくれないの?」と話しかける。 
もともと小柄だった祖母の背中は最後に会ったときよりも更に小さくなったな、と思った。
私は家族に対して悪い思い込みをしていたんだと気づいた。悪い感情も怒りも、全部自分自身がつくりあげたものだった。
私は祖母に「おばあちゃん、ごめんね」と言えなくて、祖父と祖母に「今までごめんね」と心の中で繰り返した。 

父とはひと言も話さなかった。それくらい溝は深く、一瞬で埋められるようなものではないし、私自身も割り切ることはできない。
式のせわしさや(私含め女性ばかりが準備や片付けをしていたのでその当たり前具合も当然のように男性が食事をして酒ばかり飲んでいたのも地元の田舎の嫌いなところだな!って思ってる)、家の片づけ等も影響してたけど、父は相変わらずで「あぁ、これが私の父親か」と情けなく思うこともあった。 
ただ、数日地元で過ごし、家族や親戚と久しぶりに話して自分の中の勝手に作り上げた悪い感情がとけていって、これからは「ありがとう」を沢山言おうと思った。

東京に帰ってからも、やっぱり父のことは嫌いだなって思うけど、もう「思い出しムカつき」も「父が憎くて仕方ない周期」もやって来なかった。

東京に帰って転職活動を再開して、少しずつ気づいていったことがあった。 
父を憎むたびに、一緒に自分自身を傷つけてることに気づいた。
だからあんなに苦しくて、傷つくばかりで、満たされなかったんだなと思った。父がこの世からいなくならないと、私はこの苦しさから解放されないと思ってたけど、それは違ってたんだなと思った。
自分自身を傷つけてることにも傷ついてることにも気づかなかったから、気づいたこれからは自分自身を大切にして、自分自身を愛そうと思った。

あの父の子ではあるけど、私は自分で、私自身だし、今までの自分も、今の自分も否定しないで、これからも全部自分だから、自分を信じて、自分を大切にしていこうと決めた(難しいけどね)。けど大丈夫だって心の中で言うようにしてます。
それでも折れそうなときは、そのことを教えてくれたバンタンのLove Myselfを聴いてる。

はじめて聴いたときは泣きそうになった。この曲が自分を大切にすることを教えてくれて、本当にバンタンに出会えてよかったなぁと思う。

2019年3月に、新卒入社のクソ会社を辞めた。 4月に、クソ会社でお世話になってた人と話した。クソ会社でしたが中にはとても尊敬する人や良くしてくださった人が私にもいまして…( ˘ω˘ )この方も今は辞めて別の仕事をしてるようです。
その人も、自身のことを話してくれて、私も自分や家族、父のことを話した。
「父のことは今でも嫌いですけど、前ほど憎んではいないです」
今まで隠しながら話してたこともあったけど、さらっと言える。父に対しての自分の気持ちも。 
「お父さんがさ、今は理央さんのことどう思ってるかはわかんないけどさ……きっと、生まれてきた瞬間はきっと、お父さん嬉しかったと思うよ」
と言われた。
「うん。そうですね…そうだと思います。」と自然に言葉が出た。
過去の私だったら、「いやいや絶対ないですね。アレ(父)がそんなこと思うはずありません。人間のクズだから」って言ってたと思う。 

2019年6月。祖父の法事でまた島根に帰った。

正直、少し緊張していて、また父とは相変わらずで、それこそ今の気持ちが覆ってまた父のこと憎むような感情を持ったら…と落ち着かなかったけど、大丈夫だった。

父から「おかえり」と言われて、びっくりした。ほんの少し会話もした。
私から父に言葉をかけられなかったし、「ありがとう」も「また来るね」もぎこちなくなってしまったので、そこはちょっと反省。 

生まれ故郷の島根にも帰らず、母の実家の栃木にも住んでなくて、東京に住み続けてる私だけど、これからも東京にいる。 
家族とは物理的な距離があった方が良い、というのが私の考えで、その方が家族を愛せる。
これは今までの私が色んなことを経験して今の自分にしてくれて出した結論だから、これからも続ける。 

家族の形、父との関係も、何が完成で何が未完成で、そもそも何が正解かもわかってないし、わかんなくてもいいと思ってる。家族ってなんなんだろうね。それもわかんなくていいと思ってる。


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