見出し画像

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたしを読んだ

モヤモヤ
もやもや

柔らかい印象の文字、響きが連なってできるこの言葉は、自分にとっては柔らかいのだろうか。
文字が連なっただけの印象なら、モヤモヤというものは掴んだらふんわりして、弾力があるのかも、と思った。
けれど私自身が持つモヤモヤは消えることなく蓄積されていき、鉛のような重さを持つ。複雑に絡み合って「ほどこう」という気持ちさえ失せて、途方に暮れる一方だ。


画像1

「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし

この本を予約し、刊行イベントに参加した。
本が辿り着き、読み終えたところでnoteを書いている。
自分の中にある消えないどころか重なって重さを持ち、影が濃くなるばかりのモヤモヤと、向き合う時が来たんだと思っている。

「私は日本軍に慰安婦として連れて行かれた。あの時死んでおけばよかった。殺してくれ」
ブラウン管テレビの向こうで車椅子に乗ったシワシワのおばあちゃんが涙を流し訴えていた。そのおばあちゃんは韓国人だった。
当時の私は小学生。慰安婦という言葉さえ知らなかった。
死んだ方がマシ、殺してほしいとまで思わせる原因は何だったのか、おばあちゃんが若い頃に何をされ、どんな気持ちにされてしまったのか、日本軍は何をしたのか、テレビで語られることはなかった。小学生の私は意味も中身もわからないのに「慰安婦」という言葉を覚え、おばあちゃんが涙を流し苦しむ姿は鮮明に自分の記憶の中に残った。

「BTSにはがっかりしました」
あの原爆Tシャツと言われたものが報道された翌日。
新卒入社の会社にいた時の同僚は「がっかり」と表現しつつも、どこか勝ち誇ったように笑みを浮かべ、お昼の時間に話を持ち出した。
同僚の笑みは同僚自身の推しグループとバンタンを比較した考えから出たものなのか。
がっかりしたという言葉をアーミーの私に投げかけ、そこから何を求めていたのか。
どちらもわからなかった。

あんたに何がわかるの?
私に何て言ってほしいわけ?
こう言いたかったのを、悲しさと怒りで震えそうだったのを、必死でこらえた。「耐えろ。ここで私が感情的になったら、ますますバンタンが否定されるかもしれない」と自分に言い聞かせながら、語り続ける同僚に否定でも肯定でもない相槌を打ち続けた。

この時、私はこの会社を辞めることを既に決めていたけど、この同僚と顔を合わせ会話を交わした退職日まで、同僚のがっかりしたという言葉と勝ち誇った笑顔で話し続ける光景は消えず、自分の中に残り続けた。
こういった意味でも会社を辞めて正解だったなと思う自分がいた。けど、退職してから2年以上たつというのにあの時の情景と怒りと悲しみは忘れられず、「モヤモヤ」としてたしかに蓄積されている。

1番悔しいのは歴史をきちんと把握できていないことで、あの騒動の渦中で同僚に自分自身の理論と結論をもって毅然とした態度も取れなければ、あらゆる物事に無理矢理こじつけをされて人が傷つけられていること、まさに「今この瞬間も加害が起こっていることに気づいているのか」と同僚に問えない私自身だった。

友達や家族とバンタン、K-POP、韓国の話をしているときに会話の中にある言葉に差別性を感じる瞬間が何度かあった。ほぼ全て「日本が上で韓国は格下」という意識に基づいてるものだった。けど、たしかにその意識を、その瞬間を感じ取ったし、中には悪意も含まれている言葉もあって、気づいていたのに「その考えや表現は差別的だよ」と、自分が言葉を発する瞬間はなかった。自ら放棄したとも言えた。

言葉にする私の周りの人たち。「あれ?」「それって…」と思うのに言葉にできない自分。

あの時、言えばよかったのかな。と、何度も思い出す。

あぁ、またモヤモヤする。人の言葉に、自分自身のふがいなさに。

そして人の言葉に気づくと同時に、私も意識なく差別的な考えが自分自身の中に少なからずあって、私もどこかで言葉にしてる、きっと。と、思い知る。
私も加害者なのだと、思い知る。


画像2

モヤモヤ本を作られた皆さまは、自分自身の言葉で「モヤモヤ」を書き、声に出すことで読んだ人・聞いた人にもそれぞれが抱えてきたモヤモヤと向き合う居場所と空間を作ってくれたと感じてる。

私が今このnoteに書いた経験は、誰にも詳細を話さなかったし書かなかった。話しても、書いても、どこか表面だけの、そして隠して濁すような「当たり障りのないこと」を最優先にしてたように思う。詳しくすれば自分がどう思われるのか、自分がどんな目で見られるのかが怖かった。自分の中に無知さと目を向けようとしてこなかった認識の甘さ、差別と加害性があることを認めるのが怖かった。

イベントに参加した後、そして本を読み進めながら「自分の中にあるモヤモヤに入ってみよう」と思えた。「モヤモヤを消そうとか、ほどくんじゃなくて、中身を見てみよう」と思えた。私のモヤモヤが重くて苦しいのは、影が濃いのは、自分自身の情けないところや差別する側に意識なく立っていたということを知ること、認めることが怖くてなかなかできないでいるからだった。やっとモヤモヤと向き合うスタートラインに辿り着いたと思う。

イベントに参加し、モヤモヤ本を読み、つくづく日本は「論点のすり替え」や、あったことを認めずなかったことにする「すり替え」が得意で、繰り返してきたのだなと思った。

「歴史は過去のこと。今はK-POPも韓国の食べものもかわいい雑貨も好きなんだから、今が良いからそれでいいじゃん」
この「文化の消費」というものも、日本人にとっては得意なことかもしれない。
「いつまで過去のことをひきずってるの」という言葉も沢山聞くし、とにかく「みんな同じが1番良いこと。同じじゃないなら排除すればいい」という考えだし「空気を乱さないこと」を最優先にするから「意見」はほぼ全て「感情的な怒り」にされて「どうしてそう思うのか」の「なぜ?」を聞かず「場の空気を壊した」ことにすり替えて抑えつけようとする(これは日本で生活してるとあらゆる場面で経験する)。


差別の渦中には「人」「心」がない。削ぎ落していると言ってもいい。差別の中では人を傷つけることが正当化され、まるで正義か何かのように扱われる。

「人権問題」としてとらえることが大切。
イベントで、本で「人権」という言葉に何度も巡り会った。

私たちが傷つけてきたのは「人」なのだ。言葉や暴力、環境で。経済的に、身体的に、精神的に。あらゆる面から傷をつけてきた。侵略や植民地化、戦争の中での歴史の事実を知り認めることも大事だけど、それと同じくらい「人を傷つけて追いつめたことを知り認める」ことが大事で、いま自分にできることは「過去と同じことを繰り返したいか」ということにNOと言うこと。言い続けるために自分自身の中にある偏見や差別意識に気づいて向き合うこと。差別に反対するためにできることは沢山あるはずだから、探して行動することだと思っている。

過去に差別、加害により体も心も傷つけられて辛さを抱えて生きている人、命を落としてしまった人を置き去りにしません、忘れません、という想いがあるということを、忘れてはならないし、忘れたくない。

私が目指したいのは、きっかけをくれたこのモヤモヤ本に依存しないこと。
今まで蓄積されたモヤモヤと似た差別の光景に直面したとき、「モヤモヤ本に書いてあったから」と、私がもう黙らない理由として丸投げしないこと。
このnoteを書きながら何度も読み返したり、イベントの後日配信を再生した。今はまだこのモヤモヤ本に頼っている自分がいるけど、その先を目指したい。
モヤモヤ本からきっかけを受け取ることができたことに感謝して、このきっかけから自分が考えた気持ちで、自分の言葉で伝えられるようになる。

この記事が参加している募集

よろしければお願いいたします(*´з`) いただきましたサポートは今後のnoteにつなげていきます(食べもの多め)(*'ω'*)