仲良しの父とも価値観の違いはある。


ドイツー日本間でほぼ毎日電話している父

昨日父と久しぶりに喧嘩した。ドイツに来る前東京で5年ほど父と住んでいて、ドイツに来てからは最初の数ヶ月間を除きほぼ毎日連絡をとっていた。大体私が父の起きていそうな時間帯にビデオ通話をして、短時間、あるいは長時間お互い作業しつつ話すという感じが定番だった。

喧嘩になった理由

①お互い関心が自分に向きすぎていた。

昨日の電話は日本時間5時、ドイツでは21時台だった。私は親知らずの抜歯背術後で、心身エネルギーを消耗していた。そんな状態の私の話を聞いてくれる人が欲しかった。
昨日の父はなんだか忙しそうだった。父はパソコンに向かいながら自分のビジネスの調整をしていた。その修正点については教えてくれたけど、私の話になると、返事が数秒遅いというか、上の空というか、聞き直したり聞き間違いが多かった。目線は私ではなくパソコンに向いていて、これは彼の特徴なのだけど、口を半開きにしていた。父は作業に集中している時そういう状態になる。
少なくとも私は話を聞いて欲しかったけど、父は話を聞く用意ができていなかったし、父は電話をしないで自分の作業に集中したかったのだと思う。

②価値観の違いを知った。

喧嘩になったのは毎日のむコーヒー豆の話だ。父は電話中「ちょっとコーヒーとってくる」と言って席を外した。私は最近相手を主人公にするような話し方を研究していたため、実践したくて、「今日のコーヒーの味はどう?」と聞いた。父は「美味しいよ。スタバからキーコーヒーに豆を変えた。今では1/4の値段で買えるし、毎日のむ分にはいい」と言った。家では脱コーヒーした私と違い、彼は毎日コーヒーを消費している。東京で暮らしていた頃は私とスタバのエスプレッソとコーヒーを飲んでいた。
最近「少量・やや高価でも良質な方が満足感が高い」ことを体験して実践している私は、自分が父だったら、毎日飲むコーヒーだからこそこだわりを持ち続けたいと思うだろうと思った。それに「安い」「お金がかからない」ということが選択の基準になってしまうことが人生の選択肢の幅を狭めると思ったから、よく覚えていないけど、「スタバに戻さないの?」と聞いた。
すると彼は「今住んでる場所からスタバは遠いし、お金ないから」と。
「お金ないから、自分の人生の中で色々やりくりを決めてキーコーヒーを買うことにした。長いプロセスを経て決めた決断の話になると説明するのが長くなる。」
出たよ、お金ない。だったら増やす工夫をすればいいじゃない。心の中で思った。
確かに父は退職後フリーランスになり新たなビジネスを始め、そちらに投資していて、自分への投資は二の次(他人を喜ばせられるものであればお金をかける)、のように見えた。比べて私は自分の肌に身につけるもの、体内に入れるもの、自分の経験にお金をかける傾向にあった。買い物で失敗してもドイツ版メルカリで売るとか、お金を集める工夫をしたり、こちらでのアルバイトもしている。好きなことの追求も将来マネタイズするための自己投資と思い、積極的に行なっている。
私は父に言った。
「お父さんは私に『素直に他人のアドバイスを聞くといいよ』と言うけど、お父さんは自分が言われると、acceptしないよね」
「私は将来『お金がある』と言える人生を送りたい」
2つ目が父のプライドにかちんと来たらしい。
「僕はmadoの言葉を額面的に受け取ればいいんだね?なんだか批判されているように感じるけど。」
「私はお金のある人生の方が選択肢が広がるし、自分の健康・福祉の維持・向上も期待できる。だからお金に困らない生活をしたい」
「ではmadoはお金が人生で一番重要なものなんだね?(飛躍しすぎじゃない?大丈夫?って思った)今中東では戦争があり、お金があってもたちゆけない人がいる。大学院を修了したらどこに住みたいの。どんなパートナーと人生を作り上げていきたいの。治安が不安定だったり、徴兵制のある国なら、パートナーを失う事もあるかもしれないよ。そういう事も加味したうえでもう一度人生について考えてみたら」
寝る前に不幸占いをされているみたいですごく嫌な気分だった。

自分の人生の分岐点かもしれない

父も忙しいだろうし、ここ最近電話しても話を聞いてもらっている感がしないし(いつもフレキシブルに話を聞いてもらっていたことには感謝なのだけど)、しばらく話したくないと思った。むしろ私は父に頼りすぎていたところがあった。人間関係から美容、学校のこと、家のことまで色々父に聞きすぎたかもしれない。それらのアドバイスや父視点の意見は自分で決断するうえで色々役に立ったけど、とりわけお金のこととなると私たちは考え方が全然異なるんだなあと思った。
ドイツは基本的に日本よりも生活コストがかかると感じている。最近ケチをやめようと思っており、出費も増え、焦りを感じているところはある。しかし、私には私のお金に対する価値観を築きつつあり、それは父のそれとは異なるんだと気づくことができた。私にも今後投資したいプロジェクトはたくさんある。そして私は父と異なる方法でお金を生み出していくんだと思う。お金のことまで父のアドバイスに従っていたら、私は父色に染まった父のマリオネットとして生きていくんだ。私はmadoとして生きていきたい。
今は資金援助をしてもらってこちらに来ているので経済的不安はある。だから私も父と喧嘩になったし、自分の中でも葛藤が生まれたんだと思う。でも私には私のこれまでの経験や今後の経験があり、その中でさらに築いていく人生哲学があり、それも父のとは異なるはず。私はこのきっかけを自分の人生の分岐点として生きていくことになると思う。

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