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北原白秋「ほのかなるもの」

ゆめはうつつにあらざりき、うつつはゆめよりなほいとし、まぼろしよりも甲斐なきはなし。

幽かなるものこそすべなけれ、美しきものみなもろし、尊きものはさらにも云はず。

ひとのいのちはいとせめて、日の光こそすべなけれ麗かなるこそなほ果敢な。星、月、そよかぜ、うす雲のゆくにまかする空なれども。

ふりそゝぐものみなあはれなり。雨、雪󠄁、霰、雹に霙、それさへたちまち消え失せぬ。

土に置く霜、露のたま、靄、霧、霞、宵の稲づま、ほのかなれども水陽炎のそれさへ賴むには足るものなし。

煙こそあはれなれども、捉えられねばよしもなし。山家にゆけど、野にゆけども、水のながれを堰くすべもなや。

ちちろと歎く蓑蟲も、螢の尻もみな幽けし。なまじ寝鳥の寝もやらぬ春のこころの愁はしさよ。

色ならば、利休鼠か、水あさぎ、黄は薄くとも溫かければ、卵いろとも人はいふ。

水藻、ヒヤシンスの根、海には薔薇のり、風味あやしき蓴菜は濁りに濁りし沼に咲く、なまじ淸水に魚も住まず。

花と云へば、風鈴草、高山の蟲取菫、韮の花、一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草、まことの花を知る人もなし。

葉は山椒の葉、アスパロガス。蔓は豌豆、藤かつら。芥子に恨みはなけれども、その葉ゆゑこそ香も靑く、ひとに未練はなけれども、思ひ出のみに身はほそる。

あはれなるもの、木の梢。細やかなるもの、竹の枝、菅の根の根のその根の細毛、絹絲、うどんげ、人参の髯。

はろかなるもの、山の路。疲れていそぐは秋の鳥、とまるものなき空なればこそ、こがれあこがれわたるなれ。玻璃器のなかの目高さへ、それと知りなば果敢なみやせん。

巣にあるものはその巣をはなれ、住家なきものの家をさがす。栗鼠は野山に日を暮らし、巡禮しばしもとどまらず。殻を負ひたる蝸牛はいつまで殻を負うてゆくらむ。

かへり見らるる船のみち、背後の花火、すれちがひたる麝香連理の草花の籠、ひとの襟あしみなほのかなれ。

笛の音の類、朝立ちの厩路の鈴、訪ふ人もなき隠れ家のべるの釦のほのかに白き、小夜ふけてきくりんのたま。

影はなによりまた寂し。踊子のかげ、扇のかげ動く兎の紫のかげ、花瓶のかげ、皿に轉がる林檎のかげはセザンヌ扇をも泣かすらん。

夏はリキユール、日曜の朝麥藁つけて吸ふがよし。熱き紅茶は春のくれ。雪ふる日はアイスクリーム。秋ふけて立つる日本茶、利休ならねどなほさら寂し。

味氣なきは折ふしの移りかはり、祭ののち、時花歌のすぐ廃れゆく。活動寫眞の酔漢の絹帽に鳴くこほろぎ。

さらに冷たきもの、眞珠、鏡、水銀のたま、二枚わかれし蛇の舌、華魁の眸。

しみじみと身に染みるもの、油、香水、痒ゆきところに手のとどく人が梳櫛。こぼれ落ちるものは頭垢と淚、湧きいづるものは、泉、乳、虱、接吻のあとの噎び、紅き薔薇の蟲、白蟻。

誤ち易きは、人のみち、算盤の珠。迷い易きは、女衒の口、戀のみち、謎、手品、本郷の西片町、ほれぼれと惚れてだまされたるかなし。

忘れがたきは薄なさけ。一に好色、二に酒の味、三にさんげのの歌枕、わが思ふ人ありやなしやと問ふまでもなし都鳥、忘れな草の忘れられたるなほいとし。

淺くとも淸きながれのかきつばた。僞れる、薄く澄ませる、また寂し。まことなきものげに寂し。まことあるものなほ寂し。しんじつ一人は堪へがたし、人と生れしなほせつなけれ。

思ひまはせばみな切な、貧しきもの、世に疎きもの、哀れなるもの、ひもじきもの、乏しく、寒く、物足りぬ、果敢なく、味氣なく、よりどころなく、賴みなきもの、捉へがたく表現はしがたく、口にしがたく、聽きわきがたく、忘れ易く、常なく、かよわなるもの、詮ずれば佛ならねどこの世は寂し。

まんまろきもの、輪のごときもの、いつまでも相逢はず、平行びゆくもの、また廻るもの、はじめなく終わりなきもの、煙るもの、消なば消ぬがに縺れゆくものみなあはれ。

藝は永く命みぢかし、とは云ふものの、滅び易きはうき世のならひ。うたも、しらべも、いろどりもたまゆらのゆめのまたゆめ。

うつつをゆめとはおもはねど。うつつはゆめよりなほ果敢な、悲しければぞなほ果敢な、幻よりもなほ果敢な。

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こんにちは。
此処までお読みいただいてありがとうございます。
タイピングがまだまだ未熟なため、時間がとても掛かってしまいました。コピペだと思われたかもしれませんが、全部手打ちでございます。(笑)

以前、白秋の故郷の柳川を訪れた時に購入した、小唄集からもっとも気に入っているものをこちらに書きました。訪問した時の記録はこちら。

読む分にはそんなに長く感じませんでしたが、実際にこうして書いてみると思っていたよりも文字があったり、これなんて読んでたっけとなったり、しれっと昔の当て字漢字が紛れてゐたり、してやられたとすこーーーーしだけ悔しい気持ちにさせられました。気に入っている作品ではあるのですが。可能な限り原本に寄せて書いてみたので、よければ探してみてください。

白秋は覚書でこの作品は詩のように見えても実はそう意図していなかった、散文のつもりで書いていたと遺しています。生粋の詩人その性質はそのまま文章に現れたのかもしれません。ただ、確かにこれは詩というよりはそういう形式の随筆、最近版「枕草子」に近い印象でした。白秋の見たもの聞いたものを本人がどう感じているかが、しみじみと綴られていること、その中で「うつつ」、生きていることの実感に対しての捉え方を言葉にしているように感じます。美しいものもそうでないものも、失ってしまいやすいものなどを慈しんだり恨みがましく感じたりと一節ずつはそう長くないのに、いろんな感性や感情、思考が見え隠れしているようです。
「迷い易きは、女衒の口、戀のみち」なんてまさに、白秋のはまった罠そのものが写し出されていて皮肉の効果がよくわかります。でも、最初と最後に「うつつはゆめではない」という言葉で大量に節を挟み込んだのは、その時の白秋は「大変でも生きてみるのも悪くない」って思えたからではないかなと思うと、とてもいい随筆に感じます。


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