晩夏の記憶

隣町の駅の、ホームのベンチに座っている。会いたい人が居て、この町に来たのではない。この町で買いたいものがあった訳でもない。散歩をしようと思って行き先を検討していたら、ふとこの駅まで歩きたくなったのだ。だからいま、この町のこの駅に居る。

今日は朝の9時から、待ちに待った『スプラトゥーン3前夜祭』が開催された。前夜、とあるが、夜は21時までであり、この前夜祭とは何か、早い話が、発売を2週間後に控えたスプラトゥーン3の体験会である。それが今日の9時から21時までの12時間開催されていて、それに私もネットの友達と共に参加していた。12時間中、10時間は参加していたと思う。どうだろう、この日記を書き始めてから、文字通り朝から晩までこの様にしてスプラトゥーンを遊んだのは初ではなかろうか。

晩御飯を食べようと前夜祭を一時中断して自室を出ると、開いていた廊下の窓から風が吹いた。涼しい風であった。もうそれなりに早くなった日の入りの刻を、涼しい風が吹いていた。

私は時折、過去の事を思い出して、その時の光景や感情を可能な限り脳の中に再現して、アルバムをめくっている時の様に、思い出を確かめて満足をする癖がある。こうやって、スプラトゥーンと云うゲームを心から楽しんでいるのは何時振りだろうかと振り返ったり、もっと具体的に、そう言えば数年前はこうやってネットの友達と何時間も遊んでいたなあとか、その数年前はあんな事を考えていたなあとか、思い出す事にはキリが無い。私は決して自身を記憶力の良い人間だとは思わないが、『楽しい』であるとか『悲しい』であるとか『苦しい』であるとか、そう云った感情が強く浮かび上がって来る人間ではある。強く浮かび上がり、鮮明に記憶されたその感情は、簡単には忘れないのである。

そうやって過去を振り返ると、何時も思う。その過去が現在であった時、私は恐らく苦しんでいた。今だってそうだ。こうやって日記を書きながら苦しんでいる。過去の私も、例えばスプラトゥーンを遊びながら苦しんでいたりとか、誰かと話をしながら苦しんでいたりとかしたはずだ。決して、楽しいだけの時間ではなかった。『楽しい』は確かにあっても、『苦しい』もまた確かにあったはずなのである。しかし、振り返る時は何時も、「あの時は楽しかったなあ」と振り返る。今の痛みと比較をして、あの時を美化するのである。これは何故だろう。確かに今は苦しい。しかし当時も苦しかったではないか。なのにこうも思い出は美化されている。

今日、スプラトゥーン3の前夜祭に参加していて、何時も考えてしまうこの思い出の美化の問題について考えさせられた。スプラトゥーンを遊んでいて、「ああ、やはりあの時は楽しかったなあ」と、心から振り返るので、当然この問題にも触れる事になる。しかし、廊下の窓から吹き込んで来た風を身に受けた時、また別の記憶が蘇った。晩夏の記憶である。あの記憶も、あの記憶も、蘇った。苦しかった過去であるにも関わらずやはり美化された記憶が、幾つも鮮明に蘇った。スプラトゥーンに関連する記憶と、晩夏に関連する記憶が、大量に蘇った。

その瞬間も、苦しかった。しかし、その美化された記憶の前には、その苦しさはとてもくだらないものに思えた。確かに苦しいが、この美しさを心で感じているのだから、今日ぐらいは苦しむのを辞めても良いかもしれないと思えた。嬉しかった。この時の感情が常にあればどれ程幸せなのだろうかと想像した。

その感情の余韻に浸っていると、何時の間にかスプラトゥーン3の前夜祭は終わっていた。そして今、このベンチに居る。今日はこの前夜祭が終わったらあとは寝ておしまい、ではあまりにも悲しいと思った。楽しかった前夜祭を振り返りながら、晩夏の夜に身を投じたいと思った。こんな時間から外へ出るのも珍しい事だが、こんな日ぐらいは珍しくて良いと思った。そして実際に、素晴らしい散歩になった。

最後に、今日はどうしても述べておきたい。スプラトゥーン3前夜祭を一緒に遊んでくれた友よ。顔も名前も知らないが、もう随分と長く、苦しい時もそうで無い時も一緒にゲームで遊んでくれている友よ。今日もありがとう。本当にありがとう。またスプラトゥーン3が発売された暁には、夜な夜な一緒に遊ぼうではないか。私は、少なくとも今この瞬間は、その未来を何よりも楽しみにしている。

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