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【映画感想】男の子版「千と千尋の神隠し」だった「君たちはどう生きるか」

宮崎駿監督の最後の映画と言われている「君たちはどう生きるか」。

曖昧な描写が続くため「?」が続く映画でした。
(それが故に解説サイトはググられ、サイトへのアクセス数が増加したのではと予想されます)
作った張本人である宮崎監督自身が「訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」と発言するほど。

筆者個人は、シンプルなストーリーと映画的描写に、シュールな描写を楽しめ、大きなスクリーン(映画館)で見れて良かったなと思いました。

ということで
シンプル、かつ王道のあらすじ
・異性界の意味とは?
・映画としての面白さ
・巨匠・宮崎駿の創造力
の4つの軸で感想を述べていきます。

あらすじ(異世界転移もの!)

時は第二次世界大戦下の東京。空襲により母を亡くした眞人は、父と共に地方に住む叔母・ナツコの家に疎開することになる。新しい家には7人のお手伝いさんが在籍しており、眞人の身の回りの世話をしてくれた。

父はナツコとの再婚を予定しており、ナツコのお腹の中には、新しい命が宿っていた。ビジネスマンの父は新しい土地で、武器工場の事業をスタートさせ、新生活は順調そのもの。一方、眞人は学校に馴染めず、時おり火事で亡くなった母のことを思い出し、苦しんでいた。家の庭に住むアオサギも気にかかる。

ある日、同級生にケンカを売られた帰り道に、自分の頭を石で殴り大怪我を負った眞人。同じタイミングでつわりに悩むナツコ。気付いたらナツコは部屋を飛び出し、まるで神隠しにあったのかのようにいなくなっていた。ナツコを追って使用人のキリコと共に、森の奥にある洋館へ。アオサギが道先案内人となり向かった先は異世界だった・・・。果たして眞人はナツコを連れて帰ることができるのか!?

「マッドマックス 怒りのデスロード」並みにシンプル。少年ジャンプ的な展開

このストーリーで思い出すのが、「千と千尋の神隠し」や「不思議の国のアリス」。つまり異世界転移ものです。異世界へ紛れ込んでしまった主人公が、その世界の住民の手を借りて、成長し、なんとか現実に戻ろうとする。そして現実に戻ったとき、主人公は逞しく成長し、現実世界を生きるのだった・・・という「異性界もの」と「少年の成長」を掛け合わせたストーリー。

異世界へ行って帰ってくるというストーリーは、「マッドマックス 怒りのデスロード」並みにシンプル。
主人公の冒険と成長を描いている部分は、少年ジャンプ的な展開でした。ただ少年ジャンプの主人公たちが、自分の感情をはっきりと表現するのに対し、本作の主人公眞人はあまり感情を表に出さないため、観客は主人公に感情移入しにく、映画に「ノレない」という感情が起こるのではないかと思われます。

解釈の余地ありすぎる。たくさんのメタファー

映画を観た後、「分からない」という方が一定数いる本作。
その理由は、主人公が紛れ込んでしまった異世界とはなんなのか?と疑問を抱くからです。では異世界はなんなのでしょうか?
答えは観客の解釈に委ねているように思います。筆者個人は、黄泉の国と考えました。
異世界で出会った若きキリコから「わらわらはこれから現実の世界で生まれるために飛び立つ」的な台詞が出てきますよね。この言葉から、眞人が降り立った先が、死者の魂が住む世界だと解釈しました。

またインコや大叔父の存在がよく分からないと言う声もありますが、これは、成仏できない異世界の住民の姿です。

大叔父が眞人に石を積むように命令することは「賽の河原で石を積む」をなぞっており、眞人が海を横断するシーンは「三途の川」を渡るメタファーと言えます。ちなみに「石を積む」のは、亡くなった子供が行う苦行です。

あちこちに「13個の石」や「132のドア」など、「何か深い意味があるのか?」と考えを巡らせてしまうアイテムやキーワードが出てくるので、それらは観客を混乱させているのだと思います。

とにもかくにも、十人十色の解釈を楽しめる。しかも解釈したいと思えるのが本作の魅力です。

映画としての面白さ

思考を巡らせる映画としても楽しいのですが、単純にアクションや絵の巧みさを堪能できる作品でもあります。

例えば、冒頭。東京が空襲に合っていると知り、街の様子を眺めるため、眞人が階段に登るシーン。ハイスピードで「どどどどー!」と駆け上がる場面は、ただ階段を上がるだけなのに、アクション感あり。

細かな部分も抜かりなく描かれています。例えば、眞人が疎開先のナツコの豪邸を訪れるシーン。屏風(でしょうか?)に描かれた豪華絢爛な絵は、労力がかかっているなーと。「労力をかけた何か」を見ると感動してしまいますが、まさにコレ。他にもたくさんあるのですが、ちょとしたシーンでも細かく書き込まれており(鏡に映る部屋の絵とか)、「豊かな映画を見ているな」と思わされました。

天才の行き着いた表現の果て

これだけ「?」が詰まっているのに、公開10日間で観客動員232万人、興収36億円を突破。これだけヒットしているのは「宮崎駿」というネームバリューがあるからに他なりません。

そして思うのが、宮崎駿の枯れない創造力。
映画公開当時、御年82歳。
宮崎駿のカオス化した頭の中をそのまま描き切り、吐き出したかのような描写でした。頭の中のイメージが渦巻き、そのイメージがこびり付いて離れず、脳を支配するイメージから逃れるために絵として具現化したーー。そんな感じ。
いやー、宮崎駿はある意味、幸せですよね。これだけカオスな世界を多くの方から観てもらえ、賞賛される。

本作を観て、天才が行き着く表現とは何かが感じ取れました。
つまり、最終的に天才は物語を語ることを辞め、感情は発せず、表現はシュールに進み、ただただイメージの羅列が進む。アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「ホーリー・マウンテン」を思い出しました(作品のテイストは違いますが)。

ということで今を生きる天才・宮崎駿の最後の作品を観て、決して枯れることのない人間の創造力の素晴らしを実感できました。つまり人間って素晴らしいってことです。

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