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女性嫌悪を抑えきれなくても(結構口悪いです)/INFJ #2

弱者であることを武器にして、
誰よりも強者になる構図が嫌いだ。

こんにちは。和泉 まどかです。
私のnoteを開いてくれてありがとう!
今日は、「若い女だけど若い女のことが嫌い」という話について書くよ~!


なぜ、私はイマドキの若い女が嫌いなんだろう

早速だけど、どうしてこんなに私は若い女が嫌いなんだろうと自分でも不思議に思ってきたので、その理由をたくさん考えた。

ずっと同世代の女子との関わり方に悩んできた

前提として、私は今女子大学生で、同じ大学の女子学生を見たり、関わったりする機会が多い。そのため、基本的に私の言う「若い女」は高校生から大学生あたりの女性のうち、とりわけ私が気に入らない思うイマドキの女のことを指す。

私は学校教育を常に受けてきて、ブランクなく何かしらの教育機関に在籍、所属してきた。そのとき、当たり前だけど、必ず同い年の女子がいる。私は同年代の男子とも、年上とも年下とも上手くやれた。そこそこ問題なく人間関係を築くことができたし、今でもそれは私にとって自信となっている。

だけど、どうしても同い年の女子と仲良くなることだけは難しかった。
逆に言えば、同い年の女の子との関係で悩まずに済んだことなんて一度もない。いつも顔色を窺った。察したり察してもらえなかったり、女子ならではの陰湿な慣習があったりして、私は今でも、同い年の女の子と話すのは気を使う。

だけど、そんな私にも同い年や同世代の女の子と仲良くなれた。そういうとき、共感してもらえないかな、とちょっと期待して、同い年の女の子と仲良くなりにくいと打ち明け、同じ経験がないか聞く。

けれども、私と同じ熱量で、同じポイントに苦手意識を持つ人はいなかったと思う。「〇〇な女子が苦手」とか、「わかる~」と言われることはあっても、そのひとの苦手ポイントと、私の感じる苦手ポイントは被らないか、私には「同い年の女子が苦手」と言っていても、私からしたらそのひとも「同い年の女」で、また新たな人間関係の悩みの種が増えたこともあった。

補足:MBTI関係する?私はINFJです!

言葉にできないけど、なんかこれまで色々なこと、主に対人関係にずっと悩んできて、性格診断にハマっていたとき、16personalitiesに興味を持った。そのあとMBTIを知り、関連の本を読んだりX(Twitter)やnoteで情報を集めたりして、自分がINFJだとわかった。そして、調べていくなかで、INFJのひとで同性が苦手という人が何人かいて、そういう傾向があるのかなと思って、それなら仕方ないか~と少し思えた。(余談ですが、INFJと似ていると言われるENTPや同じINFであるINFPの方にも読んでいただけたら、と思って、ENTP、INFPもタグに追加してしまいました!)

でも、根本的な原因があるはずだ!同世代の女子ばかり嫌いになってはいけない!と思い、原因を探した。そして自分で納得できる答えが見つかった!

私が嫌いなのは、女であることに逃げる奴らだった

この図をご覧あれ!

作成・和泉 まどか
これは自分で作成した!
これ作るのでも結構大変だった、、。
図とかイラスト自作するひとってすごいんだなと勉強になった

私が嫌悪するのは、「大人×女子」のフリをした「子供×女子」に属する人間だ。

女が男になったり、男が女になったりするのは「大変」だ。だけど、子供は大人になれる。「簡単」になれる。

「大変」というのは、心の性や恋愛対象が、身体の性と違うために、性転換を考えるひとはいる。そのために手術したり、届け出を出したりと多くの変更が求められる。お金もかかるし、時間もかかる。その間も、その後も「変更してよかったかな」と迷いが付きまとうかもしれないからだ。

だけど、子供は大人になれるのだ。
性転換と比べるのは、おかしなことだとは思うけど、性転換より、子供が大人になることの方がよっぽど簡単だと、私は思ってきた。

それが、実際には違った。子供でいることの方が、大人になって期待や責任を背負うことよりも楽なのだ。楽だから、ずっと大人になろうとしないのだ。そういう人たちがいる。そういう人たちで溢れている。

私が苦手だと思う「イマドキ若い女」の特徴

  • 周囲の迷惑になっていないか考えない

  • 協調性がなさすぎる

  • 同調はする。むしろ同調圧力をかけてくる。

  • 気に入らないと悪口大会。

  • でも相手にはいつも通り接していたり。。怖い

  • 「疲れた」とか暴言を大きい声で言う(誰に聞かせたいのか謎。)

  • トイレの鏡で写真撮る女!!!(2回も遭遇している)

  • 普段やかましいのに、オフィシャルな場では声が小さくなる

とまあ、挙げればきりがないので、このくらいにしておきましょう。
ちなみに、トイレの鏡で写真撮る女に初めて出会った時には、信じられないと思って、すごくストレスになった。

2回目にトイレで写真を撮る女に遭遇した時には、そのひとたちが通路の妨げになっていて、手を洗いに行けないまま、写真撮影が終わるのを待っていた。そのあと、手を洗いに行けたけど、会釈とか簡単な謝罪もなし。でも絶対気づいていたと思う。感じ悪すぎて、久しぶりにすごくイライラした。

それがきっかけで、NOTEを始めようと思った。(なんで?)
イライラの解消法に新しくやりたいことを始めてみようと思ったのかな?
今ではあまり覚えていない。

それと、「普段やかましいのに、オフィシャルな場では声が小さくなる」っていうのは、大学、高校、中学でもいたけれど、休み時間は騒いでいるのに、授業中に教師に指名されると小さい声でぼそっと答えるあいつです。

とはいえ、単純に高い声と大きい声が苦手

電車に乗っているときに、女子高生2、3人組が少し離れたところにいるのに、声が高いのと、周りに配慮しない声の大きさのせいで会話内容がこちらにも筒抜け、、、というあの状況がとても不快。

そして、この箇条書きの特徴の共通点が「女であることを逃げ道としている女」なのでは!?と考える

再度挿入!

私は高校生の時、メイクをしたり、スカートを折ったりしなかった。一度もしなかった。校則で禁止されていたし、なんで中学から高校に上がっただけで化粧するぞ~!となるのか不思議だった。スカートを折るのは男にアピールするためだと思っていたし、今でもそう思っている。周りはほとんどスカートを折っていたけど、男に気に入られたいと心のどこかで思っているのだなと解釈していた。

そういう、自我や個性を外見に表すことって、大人になってからできることだと思う。就職活動のときに、皆似たようなリクルートスーツを着るのは、あえて外見のアピールを抑えて、内面で考慮するということであるように、就職活動中の社会人手前の大人だとまだ社会的に認められないうちは、個性を表に出しにくい。

おしゃれしていいのって大人になってからじゃないのか

化粧をする。
髪の毛の色を変えたり、巻いたりする。
スカートを折る。
スカートは短くするのに、髪は長くて、しかも縛らない。

真面目である=堅物であると思い込んで、ますます不真面目っぽい外見にこだわりが加速する。地味である、垢抜けていない、そんな言葉から逃げたくて。

それはいいけど、高校までならルールっていうものがあるし、卒業したらメイクも染髪も、したい放題できるのにどうしてあと少しを待てないのかと思う。大学生なら、どうして中身は責任を背負いたくない、友達と声高らかに陰口を言い合うようなことをするのに、外見だけ着飾って、何が目的なんだろうと思う。

「子供×女子」という属性に対してもイラっとするが、仕方ないかと思える。周りを見ることや気遣いがあまり得意でなくても、メイクやおしゃれにそこまで意欲がなく、騒がしい部類でなければいい。それでも距離を置くことも頻繁にあるけれど。

「大人×女子」という属性のひとかも!と私が勝手に認識して、実際には「子供×女子」だったというパターンが一番いやな気持になる。
先ほども言ったけれど、私はおしゃれしていいのって大人になってからだと思っている。だから、おしゃれしているひと=大人だと思ってしまう。でも、中身が大人であることは、そうそうない。大人少なすぎ問題。

やるべきことはやらないし、陰湿なことするし、ひとのせいにするし、嘘つくし。。。と外見に女であることを表して、女の人に強く言えない空間を作り出す。私はそれを急に子供になったな、と思うのだ。大人なら責任も自分でとろうとして、謝ったり、感謝したり、感じよく接したりしてよ、と思う。なんで、そっちの気分に振り回されないといけないの?と疲れる。

やりたいことをやるなら、やるべきこともやってよと思う。
あれ、それは女性に限った話ではないし、子供か大人関係あるのか?
子供でもやるべきことやるよね。
子供じゃなくて、幼稚ってことかな?
まだこの話、決着つかなさそうです。。。

男性は外見を意識してメイクすること自体が少数派だから、やるべきことをやれていなくても私が気にならないのかもしれない。だけど、高校生が集まっても、男子高生だけの集団だと、なぜかそのなかに一人は声大きいとか、邪魔になってるよ、とか注意できるひとがいるのは何でだろう?

女子高生のグループにはいないんだよね。ってことは女性だけに限った話で良かったのか?

結局、ひとに期待しすぎたってことか~

結論は「ひとに期待しすぎた」ってことなんだろうな~と思った。大人かどうかって外見ではわからないよね。自分がきちんと周りのひとから向けられる期待や責任と、自分のできることを見極めて、そのバランスがとれたときにようやく、大人の女性という格好をしていいのだと私は思ってきた。自分で書いていて発見したのは、真面目=堅物ではないけれど、真面目=地味でいる必要もなくて、真面目で、まだ大人になりきれていなくても華やかになってもいいのかもしれないということだ。

大人になりたいとは思ってきたけど、女子から女性になりたいってことは意識したことがなかったかもしれない

この化粧、おしゃれ問題は大人になることと、そもそも関係あるのか?大人になりたいけど、女性になりたいとは意識してこなかったので、おしゃれな自分になることは自分の性別を意識させられて、それが子供に戻るようで苦手意識を持っていた。性別を意識して、ろくなことがなかったから、というのも大きいかもしれない。自分では性別は普段意識していなかったけど、意識していなくても、性別の問題に巻き込まれてしまうのだ。そうすると、ショックを受ける。結局私自身ではなくて、女としての私(自分で書いていて相当きつい)を見られていたのかと感じるから。

そうして、性別を意識して生活しないと不意に自分の心が傷つけられることを知ったので、意識するようになった。でも、まだ不慣れで、本当はあまり意識したくないし、意識されたくない。だから女性らしい恰好を完成させることに強い抵抗感があったのだと思った。

日常生活を性別と切り離せない

今後も、女性としての有利なこと、不利なことってあるし、男性にもある。だけど、私はこれまでと同じように、女性だから弱くてもいいとか、女性だから気分に振り回されて他者を傷つけてもいいとか、そういう諦めに屈せずに、私は私らしく生きていきたいと思った。まさかの着地点が壮大で、読んでくれた方を驚かせてしまったかもしれない。

私はヒーローになりたい!性別関係なく、強くありたいし、誰かを守りたい。それは自己犠牲にならずに、広範囲にならずに、なるべく、なるべく自分のためだと思えるように、他者に依存しすぎないようにしたい。

悩んでいるあなたへ

ここまで読んでくれたあなたが、強い男性像を求められたり、典型的な女性像を求められたりすることに悩んでいたら、このNOTEがあなたの快適で平和に、幸せに生きていける手助けとなったらいいなと思っています。

最近、私が性別にとらわれなくてもいいって思えた『呪術廻戦』での釘崎野薔薇というキャラクターの言葉を置いておきます。

男がどうとか女がどうとか
知ったこっちゃねーんだよ!!
テメェらだけで勝手にやってろ!!
私は綺麗にオシャレしてる私が大好きだ!!
強くあろうとする私が大好きだ!!
私は「釘崎野薔薇」なんだよ!!

『呪術廻戦』より

呪術廻戦の回し者みたいな終わりになってしまったけど、まあいいでしょう!私は、結局あんまり女の人が好きじゃないかもしれないけど、それでもいいし、相手の方も、私は好きではないが自由に過ごしていてくれと、少しは思えた。

「男がどうとか女がどうとか」という、その土俵から勝手に降りても良いのだとわかった。戦うことも凄いけど、くだらないと感じることで戦う必要もない。「勝手にやってろ!!」精神と「そうは言っても、、、」の戸惑いを調和させて上手くやっていきたいです。

最後まで読んでくれてありがとう!

あなたにとって何か学びになるようなことがあればいいな。
また近いうちにお会いしましょう!

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