もしも会社に火をつけたなら、それはきっとニュースに取り上げられるだろう。 労働環境への視線が厳しい昨今、仕事に追い詰められ会社に火をつけた男のニュースは、男のつけた火よりもはるかに大きく燃え上がるかもしれない。 「そこまで追い込んでしまうほどの激務だったのでしょうか?」 マイクを向けられた上司は、嘘偽りなく事実だけを答えるはずだ。 「いいえ、まったく。他の人と大差ない仕事量でした」 最近、ずっと心が落ち込んでいる。 昨年末の異動により仕事の内容や量、人間関係が大きく
頭が良くない私。 仕事ができない私。 運動ができない私。 友達が少ない私。 顔も体型も褒めがたい私。 好きな人に振り向いてもらえない私。 笑ってしまうくらい、いいところのない私。 それでも、それでも、大切な私。 手放しに自分を愛せたら、どれほどよかっただろう。 誰からも愛されずとも、一人の人間であるという事実だけで自分を貴い存在だと思えたら、どれほどよかっただろう。 私は自分を大切になんて思えなかった。 ゲイであるだけでも生きづらいのに、すべての事柄において
何がダメだったんだろうな。 きっと全部ダメだったんだろうな。 もちろん、私の好意の先に優しい未来が待っていることを期待したわけではない。わかっていたけど。やっぱり世の中そんなに甘くないね。 付き合えたら、もし誰かと付き合えたら、しばらくは誰にも言わず自分の中だけで大切にしていたい。 そんな願望のある私が筆をとっている時点で、この恋の結末は明らかなものとなってしまっている。 ただ、こんなにも胸がときめいたのは人生で初めてだった。 気付けば5年以上恋人がいない。 恋人
ゲイの友人が結婚した。 女の人と結婚した。 「近々電話できる日ある?」 明日の夜なら、と返しながらトーク履歴を見ると、最後のやり取りは1年近く前の通話履歴であった。 たしかこのときは私が酔って電話をかけたのだった。 なぜ彼に電話をかけたのか、会話の内容さえ覚えていない。ただ、電話の切り際、いつも憎まれ口しか叩かない彼が「早くまた会いたい」と言ったのを鮮明に覚えている。 「急になんだよ、明日は雪か?」なんておどけてみせたものの、私も彼にとても会いたかった。 彼は今、長
私は自分の話をするのが好きだ。 自分の話で笑ってもらうことが好きだ。 楽しかったこと、悲しかったこと、自分の中の喜怒哀楽を共有することが好きだ。 友人に話すのはもちろん、noteやTwitterに書き、話を聞いてもらうためだけに売り専を買ったりもする。 就職活動における面接なんて、ひたすら私に対しての質問をしてくれるものだから楽しくて仕方がなかった。 それほどまでに、私は「自分を知ってほしい」という欲望が強いのだと思う。 承認欲求とはまた違う、ただただ共有したいという欲
「うわ、めっちゃタイプなんだけど」 男は私を見るなり嬉しそうに言った。 合コンにいい思い出がない。 人生最高のコンディションを更新して臨んでも、いつも自分の身を自分で抱きしめて帰路につく。 ニコニコと座っているだけでは見てももらえず、笑いを取りに行けば「次の合コンでも盛り上げてほしい」とお笑い要員になってしまう。 Twitterやnoteに書いてはネタにして、自分の中で折り合いをつけていた。 選ばれない事実に必要以上に傷つくくせに、誘われれば過度な期待とともに懲り
―この歳にもなって飲み会で酔い潰れて、この前公園で朝を迎えたんだよね。 ―うわ、最悪じゃん。でもわかるよ。年々お酒に弱くなってる気がする。 ―自分がアラサーって信じられない。大学の頃から本当に何も変わってない気持ちだし。 ―わかるわかる。大学の頃、バカみたいに遊んでたのが昨日のことのように思えるよな。 ―やばい。自分の想像してた大人と違いすぎる。 ―わかる。マジで過去の自分に申し訳ねぇ。 わかる、わかるわかる、わかる、わかる、わかる。 本当にわかってる? こちとら本
王子様は迎えに来ない。 なぜなら私はお姫様ではないのだから。 そんな当たり前のことに気付いたのは、齢27にしてのことであった。 「リアルしなきゃ恋人できないよ」 「自分から行動しなきゃ」 友人から口うるさく言われてきたが、なぜか運命の人が勝手に現れるものだと思っていた。 「勝手に」という表現だと語弊があるかもしれないが、何となく出会って、何となく結ばれて、何となく幸せになる、そんな未来が当たり前のようにやってくると思っていた。 異変に気付き始めたのは去年のことである。
寛容な人になりたかった。 あらゆる物事を許し、受け入れ、祈ることができる人。 10の悪意に対して、それを10の善意、いや、100の善意で受け入れられる人。 目指すものではなく自然とそんな人間であることが理想ではあったが、少なくとも私がこの世に生まれ落ちたとき、悲しくもそのような性質を持ち合わせてはいなかった。 持っていないからこそ憧れたし、意識をした。 相手の心ない言動には何か背景があるかもしれない。 自分が原因かもしれない。 わざとではないかもしれないから、怒らず
こんな生き方が理想で こんな恋愛をしたくて こんな人間になりたくて 理想を語るとあいつらは決まって「若いね、いいね」と笑った。 幼い子どもが野球選手やサッカー選手、ましてや仮面ライダーやウルトラマンになりたいと言ったわけではない。 社会の一員となった青年がただただ理想の在り方を語っただけ。 それなのにあいつら老害は、その理想を存在しえない夢物語かのように笑い、否定してきた。 「考え方が若いね。色々と経験したらわかるようになるよ」 私はそれを言われる度に心底ムカついた
私は別れた相手の不幸を願う。 泣くのも馬鹿馬鹿しくなるくらい この世のすべてが嫌になるくらい 誰よりも誰よりも不幸になってほしい。 そんな私にもたった一人、不幸を願わない元恋人がいる。 19歳のときに付き合った15歳上の相手だ。 今思えば未成年と付き合う35歳にまともな人間がいる確率は限りなく0に近いのだが、背伸びをしたかった当時の私には関係のないことだった。 彼の名前を、たかみち(仮名)とでもしておこう。 たかみちはいつも不機嫌そうな顔をしていた。 初めて会ったとき
愛しいと思った。 浩輔を、龍太を、龍太の母親を、愛さずにはいられなかった。 そして、なぜか謝りたくなった。 真っ直ぐな浩輔に。 すべてを受け入れた龍太に。 欲しい言葉をくれる龍太の母親に。 「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返してしまう、そんな映画だった。 ~映画あらすじ~ 14 歳で⺟を失い、⽥舎町でゲイである⾃分を隠して鬱屈とした思春期を過ごした浩輔。今は東京の出版社でファッション誌の編集者として働き、仕事が終われば気の置けない友人たちと気ままな時間を過ごし
頑張らなくていいよ。 無理しなくていいよ。 生きてるだけで偉いんだよ。 肯定してくれる世界の優しい言葉たち。 うるせぇよって思う。 黙ってろって思う。 本当にそれだけでいいのなら、私たちはこんなにも悩まない。 本当はわかってるんだ。 それだけじゃいけないってことくらい。 何のために働くのだろう。 何のために生きているのだろう。 自分という存在は一体何者で 本当の幸せは何なのか。 悲しくも考え続けられる頭を持ってしまっているから。 こうした世界の甘言は、人と比べるこ
「男」 誕生日プレゼントの要望を聞かれた私は、迷うことなくそう答えた。 本気で男が欲しかったわけではない。 このやり取りは私と友人の間で何年も続けられた儀式で、形骸化した挨拶のようなものだった。 だから友人も慣れた様子で返事をした。 「オッケー。かしこまり」 今年は何になるのだろう。 去年、「男」として用意されたのは数多くのアダルトグッズだった。 少し頭のおかしい友人のことだ。 レンタル彼氏や売り専を用意してしまうのではないだろうか。 そんな不安があった。 だか
肌を重ねることでしか得られないものがあると思う。 それは巷で温もりと呼ばれていたり安心感と呼ばれていたり、もしかすると愛の一部として明確に形を持つものなのかもしれない。 私はそれをエネルギーのようなモノだと捉えている。 このエネルギーは何か別のモノで代替することはできず、趣味に没頭したり友人と遊んだりしても得ることはできない。 言うまでもないが私が指し示すエネルギーとは体力や活力などとは別のモノで、言いようのない何かである。 体力であれば原因がはっきりしている。 働き
「私は私、あなたはあなた」 この言葉は自己を確立する言葉であると同時に、他者を拒絶する言葉でもあるように思われる。 自分と他者は違う存在であって、考え方も人それぞれである。 これはとても大事な考え方だ。 他者を他者として尊重すること、自分を自分として尊重することの前提となる。 しかしこの考え方に救われていると同時に、他者と分かり合えない事実に傲慢にも傷付いてしまう。 「どうしてそんなことを言うのだろう」 「どうしてわかってくれないのだろう」 そんな考えを私たちは持