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15歳上の恋人


私は別れた相手の不幸を願う。

泣くのも馬鹿馬鹿しくなるくらい
この世のすべてが嫌になるくらい
誰よりも誰よりも不幸になってほしい。


そんな私にもたった一人、不幸を願わない元恋人がいる。
19歳のときに付き合った15歳上の相手だ。
今思えば未成年と付き合う35歳にまともな人間がいる確率は限りなく0に近いのだが、背伸びをしたかった当時の私には関係のないことだった。
彼の名前を、たかみち(仮名)とでもしておこう。

たかみちはいつも不機嫌そうな顔をしていた。

初めて会ったときでさえ彼は笑顔を1度も見せなかった。
お互いに目的は1つだったため仕方ないと言えば仕方ないのだが、彼は私のすべてに関心を持たず、黙々と腰を振るだけだった。
彼は果てたあとにシャワーを一人でそそくさと済ませ、衝撃的な一言を放った。
「ホテル代とタクシー代置いておくから、先帰るね」

私はシャワーを浴びるより先に、彼のLINEをブロックした。
歳上と会えばいつも蝶よ花よと可愛がられていた私は、起きた出来事を信じられずに彼が置いていったローションのボトルをゴミ箱に投げ捨てた。



「ドライブでも行く?」
忘れたい出会いから3ヶ月ほど過ぎたころ、彼から出会い系アプリを通して連絡が来た。
LINEはブロックしていたが、知り合ったきっかけのアプリではブロックしていなかったことに気付いた。

「この前はごめん」どころか「LINEブロックした?」でもなく、まるで昨日の会話の続きのような一文だった。
悪びれない彼の態度が、忘れかけていた苛立ちを再び思い起こさせた。

当時、プライドの塊だった私は無下にされたことがどうしても許せず、意地ただそれだけで彼ともう一度会うことを決心した。

2回目は彼が車で迎えに来た。
「お久しぶりです」
私の言葉を返すことなく、彼は高そうな車のアクセルを踏んだ。

10分ほど無言だっただろうか、その静寂を先に破ったのはたかみちだった。
「どうしてLINE返してくれないの」
あとから聞いたことだが、彼はブロックされているとは夢にも思わなかったそうだ。

「あの帰り道に携帯壊しちゃって、LINEの引継ぎが上手くできなかったんです」
サルでもわかる嘘だったが、別にどう思われても構わなかった。
彼は右手でハンドルを握ったまま、左手でポケットから携帯を取り出し私に差し出した。
「それならまたLINE登録しといて」
私が驚いたことは彼がまた連絡を取ろうとしていることでも悪びれない図々しさでもなく、まだ会って2回目の相手に携帯を差し出したことだった。

個人情報の塊である携帯を隣にいるとは言えども無防備に渡してくる彼に、なぜか好感を持ってしまった。

その日はご飯を食べ、そのまま私が指定した駅へと送り届けてくれた。
もちろん会話が弾むことはなかった。
ご飯を食べているときも彼は相変わらず不機嫌そうな顔で、まるで不味いものでも食べているかのようだった。
ただ、私が話すときは目を見て話を聞いてくれていた。

駅に着いた私は事務的なお礼を伝えた。
「本当にご馳走さまでした。ここまで送ってくれてありがとうございます。気をつけて帰ってくださいね」
車から降りようとする私にたかみちはぶっきらぼうに言った。
「次はいつ会えるの」
クエスチョンマークのつかない彼からの問いは、まるで次会うことが決まっているかのようだった。
私を雑に扱った相手が私を求めている。
その事実が私を高揚させた。

気付けば毎週のように顔を合わせるようになっていた。
たかみちは正直、クセのある人間だった。
会話のキャッチボールができないのかしないのか、平気で会話をスルーしたり、話し合うべきことを私に相談せず決定事項として伝えてきたりした。
ご飯だけの日もあれば、ドライブで遠出することもあった。
口を開けば私を苛立たせることしか言わない彼だったが、もはやそれすらも慣れていった。

家に招かれたときは驚くほかなかった。
都心の一等地にある彼の家は、ドラマでしか見たことのないような家だった。
マンションの一室ではあるものの、メゾネットタイプとなっており広い室内には立派な階段があった。
親の持ち家の1つだと彼は言っていた。

今となっては、私はたかみちに惹かれていたのか、彼の持つ財力に惹かれていたのかはわからない。
モラハラ気質のある彼と好んで会い続けていたのは、最初こそ後者の部分が大きかったようにも思う。

この先の人生で私が経験できないようなことをいくつも経験させてくれた。

寝室やお風呂が何部屋もついている高級旅館。
「お前に似合いそう」と試着もせずレジへと流れる高級ブランドの洋服。
会う度に手土産として渡される有名なお菓子。

少しでも私が財布を出す素振りを見せると、彼は途端に不機嫌になった。
15歳も下の若造、しかも学生に奢られたくない気持ちを今となってはわかるが、当時の私は自分の気持ちを否定されたようで悲しかったのを覚えている。


私も大概だがたかみちも考え方が極端で、相反する考えを決して許してくれなかった。
大喧嘩になった彼の2つの主張がある。

本当の友人ならばカムアをすべきである。
家族の仲は良くないといけない。

私は本当の友人関係であってもカムアが必須とは考えていないし、家族の仲は最悪だが修復したいとも考えていない。

「まぁ人それぞれだよね」
言い合いになるのを避けようと魔法の言葉を使っても、彼は攻撃の手を緩めなかった。
「人それぞれじゃねぇよ。なんでわかんないのかな」

実際、こういったやり取りが面倒になって私から関係を終わらせてしまった。

今思い出しても、やはりイライラすることばかりだ。
もし会うことがあれば、絶対にもう一度口喧嘩をしてボコボコに論破したい。
それでも、私が彼の不幸を願わない理由がある。


それは、私を否定してくれたからだ。

「勉強できなくても死なないよ」
「そこまで順位に拘ってるの異常だよ」
「頭でっかちになってて中身がないよな」

勉強に打ち込めることだけが自分の長所だと思っていた。
勉強こそが私のすべてであった。
勉強をして褒められることはあれど、否定されることは人生で一度もなかった。

学内の特待生に選ばれるために四六時中勉強をしていた。
自分に武器がないことが怖く、資格取得のための勉強もしていた。
ずっとずっと、勉強していた。

たかみちは、勉強だけの人生を否定してくれた。
たったそれだけ。
彼にとって深い意味はなかったのかもしれない。
旅行や遊びの予定を勉強で断る私に、しびれを切らしていただけかもしれない。
それでも、私にとって勉強をしないという選択肢ができたことは、本当に大きなことだった。

無理やり私を外へと連れ出し、様々な場所へ連れて行ってくれた。
「勉強できても、経験がないとつまんない大人になるよ」

当時の私は勉強をしていないと落ち着かず、何故か毎日焦燥感があった。
それを彼が無理やり止めてくれたことで、大袈裟ではなく自分を苦しめていた大きな荷物を下ろすことができたのだ。



彼を好きになった瞬間を今でも覚えている。

枕を交わしたあと、彼のお腹に頭を乗せていた私は天井を見上げながら言った。
「タカえもん、お腹空いたよ」
「ぶっ殺すぞ」
彼は物騒な言葉を使いながらも、すぐにピザとタピオカをデリバリーで頼んでくれた。

毎日のようにジムに通っていた彼は、割れていないお腹を触られるのを好んでいなかった。
ただその日の夜のLINEから、今まで使っていなかったドラえもんのスタンプを使いだしたのである。
なんだかそれが無性に可愛くて、好きだなぁと思った。


彼は私からの告白や愛の言葉をねだるくせに、自分から言うことは一度もなかった。

「本当に俺のこと好き?」
そう聞くと彼は何も答えず、私の鼻をつまんで笑った。

あとから人づてに聞いたことだが、私のような存在が他にも何人かいたらしい。
怒りも失望もなく、不思議と納得できた。

私は彼が好きだったし、一緒にいるときの彼の眼差しに温もりを感じたのは嘘ではない。
そして勉強の呪縛を解いてくれ、生きやすさを私に与えてくれた。

だから私は彼の不幸を願わない。
とくべつ彼の幸せを願ったりもしないが。

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