もしも会社に火をつけたなら
もしも会社に火をつけたなら、それはきっとニュースに取り上げられるだろう。
労働環境への視線が厳しい昨今、仕事に追い詰められ会社に火をつけた男のニュースは、男のつけた火よりもはるかに大きく燃え上がるかもしれない。
「そこまで追い込んでしまうほどの激務だったのでしょうか?」
マイクを向けられた上司は、嘘偽りなく事実だけを答えるはずだ。
「いいえ、まったく。他の人と大差ない仕事量でした」
最近、ずっと心が落ち込んでいる。
昨年末の異動により仕事の内容や量、人間関係が大きく変わり、心と体が追いつかなくなってしまった。
元々仕事にやりがいを求めて前向きに働くタイプでもなかったが、生活のためだと折り合いをつけて働いてきた。
しかし、最近はどこにも私の生活なんてないのではないかと、折り合いをつけることすら難しい。
休み終わりの夜や仕事始まりの朝は本当に泣き叫んでいる。
辞めたい!
ふざけんな!クソが!
あああぁ!無理!無理!無理!!
会社が燃えて休みにならないかと、真剣に考えてはそうならない現実に落ち込んでいる。
それならばいっそこの手で、と考え始めている自分にゾッとする。
仕事用のパソコンを叩き壊したい衝動に駆られながら、画面越しの顔の見えない相手にこの世のありとあらゆる汚い言葉を投げかける。
もちろん、マイクはミュートにして。
怖いのは、客観的に見ると私自身そこまでの激務に迫られているわけではないということだ。
同僚の話を聞けば内容はそこまで変わらず、量はたしかに多いものの日付を跨ぐことは少ない。
質問をすれば嫌味でしか返事をしてこない上司も、他の人であれば上手く受け流せるのだろう。
私自身のストレス耐性が異常なほどに低いのだと思う。
失敗や怒られることをとても恐れてしまう。
善意の注意でさえ、自身に落胆し、あろうことか相手に対してまで苦手意識を持ってしまう。
会社もまさか正当な仕事を任せているだけで、火をつけられようとしているだなんて思いもしないだろう。
会社からすると大きなとばっちりである。
朝起きて絶望し、夜遅くまで働き、夢の中でまでも怒られる。
健やかであるべきはずの私の休日にも、つねに仕事への恐怖と上司への憎悪が付き纏うようになってしまった。
自分の心に余裕がなくて、些細なことにもイライラしてしまう。
自分の機嫌を自分でとれない幼稚な一面に我ながら嫌気がさす。
久しぶりに会った友達にも、気づけば仕事の愚痴ばかり話している。
違う、違う、本当はもっと楽しいことを話したかったんだ。
最近面白かったこととか、旅行行きたいねとか、そういうことを話したかったのに。
私が持ち合わせていたはずの優しさや柔らかさ、人生の豊かさのようなものがどんどんと喪われている感覚がある。
帰り道、自己嫌悪。
会社ではなく私自身に問題があり、社会に適応できていないという事実が、私をより世界から孤立させる。
なんかもういいか、もういいよな、頑張ったよな、とすべてを手放したくなってしまう。
何も楽しくない。
こんな日々があと何十年も続くのかと思うと、ふと消えてなくなりたくなる。
でも、やっぱり勿体ない気がする。
この世界は私の好きな素晴らしいもので溢れているから。
寝る前に読む小説。
休日の朝に行く美術館。
友達とのくだらない会話。
甘さ控えめのカフェラテ。
真冬の温泉。
友達の誕生日。
真夜中の散歩。
雨の日に聴くラジオ。
ダボッとしたパーカー。
メガジョッキのハイボール。
必死に頑張って生きている自分。
まだまだたくさんある。
ここには書ききれないくらい、好きなものが私にはある。
やっぱり、勿体ない。
最近の休日は誰にも会わず、何もせず、ボーッとしている時間だけが増えた。
勿体ない、勿体ない、勿体なさ過ぎる。
仕事に対して、解決方法があるわけではない。
ストレス耐性を上げたり、仕事を変えたり、きっとそう簡単にはいかないだろう。
でも、勿体ないことだけはわかる。
仕事への恐怖や上司への憎悪、そんなものに私の豊かさ、私自身を奪われるだなんて。
休日は外に出よう。
無理にでも仕事のことを忘れ、私の好きなもので頭も心もいっぱいにしよう。
それでも、どうしても私自身を喪い続けるのであれば、会社に火をつける前にさっさと辞めてやろう。
将来のことより、今の私を大切にしてあげよう。
恋人に「本当に無理になったら仕事辞めてもいい?」と聞いて「本当に無理になってから辞めても遅いから、本当に無理になる前に辞めなね。大丈夫だから」と優しく返してくれたらいいけれど。
恋人のいない私は、私を誰よりも大切にする必要があるのだ。
ただ、もしも私のことを養ってもいいよという方がいたら、ご一報いただきたい。
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