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アラサーゲイ、5年ぶりの恋


何がダメだったんだろうな。

きっと全部ダメだったんだろうな。

もちろん、私の好意の先に優しい未来が待っていることを期待したわけではない。わかっていたけど。やっぱり世の中そんなに甘くないね。





付き合えたら、もし誰かと付き合えたら、しばらくは誰にも言わず自分の中だけで大切にしていたい。

そんな願望のある私が筆をとっている時点で、この恋の結末は明らかなものとなってしまっている。

ただ、こんなにも胸がときめいたのは人生で初めてだった。
気付けば5年以上恋人がいない。

恋人をつくらないと決めているわけではない。
ただ、人に比べると恋愛感情を持ちにくい気がする。

どうせ私を好きになってくれる人なんていない。
誰かに期待して愛されないより、最初から自分だけが自分を大切にできればいい。

そう諦めて生きていたら、いつしか本当に人を好きになることがなくなった。

もちろん恋愛に憧れはあったが、自分の世界には存在せず、遠く、本当に遠く、それは果てのない道の先に存在するものだった。






静かに笑う男だった。

「少し話変わるんだけど」と言うと、決まって「いいよいいよ、聞きたい」と返してくれる、そんな男だった。

違うお酒や料理を頼んだとき、必ず無言で一口差し出してくれる、そんな男だった。

待ち合わせ場所で携帯ではなく改札を見て待っていてくれる、そんな男だった。




男とは今年の4月に初めて会った。そのときは半年も関係が続くとは思えず、むしろ2回目すらないように思われた。

初めてカフェで会ったとき、驚くほど会話が盛り上がらなかったのだ。
お互いが盛り上げようと努力はしていたと思う。しかし、交互に質問を繰り返すも絶妙にテンポが合わず、沈黙よりも気まずい時間が流れた。

ありえない早さで空になったグラスを何度も触り、変化のない店内を必要以上に見回した。
元々決めていた解散の時間になり、どちらからともなく荷物をまとめ始めた。

「よかったらまた会いましょう」
「ぜひ、お願いします」

男からの言葉に笑顔で返しながら、次がないことはわかっていた。
果たされることのない約束も大人だから平気でできる。


だから、驚いた。
まさか翌週すぐに誘われることになるだなんて。


男が誘ってきたのはクラフトビールのお店だった。
そういえばお酒が好きか聞かれた際、全く飲まないにもかかわらず会話の突破口を見つけようと「大好きです」と答えた気がする。

お酒の力を借りた2人の会話は、最初よりも綺麗なラリーが続くようになった。
すごく盛り上がるわけではなく、可もなく不可もないような時間が流れた。
2回目に会ったときも次は誘われないだろうなと思った。3回目に会ったときも、4回目に会ったときも同じ気持ちを抱えていたが、気づけば毎週飲む仲になっていった。

言葉を選ばなければ惰性で会っているような関係だった。そこに甘い雰囲気はなく、駆け引きなどもなかった。私としては目的のない飲み会だからこそ気楽で居心地がよかった。


私がお酒や食べ物の希望を伝えると、お店の予約はいつも男がしてくれた。
男は驚くほど飲み屋に詳しく、いつも美味しく居心地のよいお店に連れて行ってくれた。

「お店選びだけは自信あるから」
予約のお礼を伝えると男はいつも得意気で、とても可愛かった。




「タイプはどんな人なの?」

2人だけの飲み会が軽く10回は開催された頃、男は特段興味もなさそうに聞いてきた。

「優しい人」
優しくて、穏やかで、笑ってくれる人。

「どんな人?」
この頃には男に対して敬語を使わなくなっていた。

「細い人かな」と男は言った。

その回答を別の男がしたのであれば、私はなんて浅はかな尺度で人を見ているのだと即座に糾弾しただろう。タイプを聞かれたときに身体的特徴を一つ目に挙げるとは、なんて品のないことかと。

しかし、そのときはどうしようもなく嬉しかった。
男にとって自分も対象なのかもしれない。
自身のおぞましいほどの浅はかさとともに、このとき初めて自分の中にある男への恋心に気づいたのだった。


正直、私は最初から男に惹かれていたのだと思う。会話こそ盛り上がらなかったが、目をしっかりと見ながら会話をする男に最初から。
その証拠に、私が男の名前を呼ぶことはなかった。それは最後の日まで、一度たりとも。
無意識ではあったが、一度でも呼んだらその存在が心に住みついてしまうような気がしたのだろう。

「誰とも付き合ったことがないし、今後も付き合うことはありえない。そもそも男同士で付き合って何が待ってるのさ」

2回目に会ったとき、お酒の入った男はそう言っていた。私は自分の恋心に気づく前に失恋しており、それゆえそんな防御策をとっていたのだった。




男とは本の趣味が合った。
飲み屋で話すのは大抵が本の話だった。
会う度に男が好きそうな本を数冊持っていき、その感想を肴に酒を飲むのだった。

最後の方は男の本の趣味を男より熟知していたと思う。
男は本を買う前に私に相談してくるようになり、私が「その本は絶対好きだよ」「面白いけど好きじゃないと思う」と返すと、男はそれに従うのだった。

「○○(私)の言ったとおり、本当にハマらなかった」
私がオススメしなかった本を、それでも気になると言った男は読み終えたあと嬉しそうに伝えてきた。
それは初めて、過去の男たちも含めて本当に初めて、好きな人に認めてもらえたことを実感した瞬間だった。



飲み屋だけではなく美術館にもよく一緒に行った。

気に入った絵のポストカードを買うという男なりの美術館の楽しみ方にならい、私も帰りにポストカードを買った。

偶然、男と同じポストカードだった。
それだけで何だか嬉しくなった。

そういった偶然は何度も続き、運命を疑ってしまうほどだった。
運命なんてない、そんなのはわかっている。しかし、私は本当に感じたのだ。
好きな本、好きな食べ物、好きな季節、好きな音楽、好きな絵画、あまりにも好みが似すぎていた。

男とじゃんけんをしたとき、あいこが12回続いた。
531,441分の1の確率。
運命だ、運命だ、運命だ。私はすぐに友人にこの話をした。
友人は「バカじゃん、偶然だろ」と言ったが、私は運命の力の大きさに恐怖さえ覚えたのだった。



何が私の恋をここまで加速させたのだろう。
運命だなんだと、盲目にさせてしまったのだろう。
非日常的な出来事があったわけでもない。
日常の一部を彼と過ごしただけ。
5年ぶりの恋愛ということが大きかったのか、次第に自分を制御できなくなっていった。

好きな人の口から発せられる言葉の一つ一つが、情報以上の深い意味を持ち私の心に届く。

しかし、私の熱が上がれば上がるほど、男の熱が下がっていくのを感じた。

「熱量に差があると、お互い好きでも難しいよね」

男はいつしか言っていた。

男からの好意も確実にあったと思う。
毎週会うくらいには心を許してくれていたはずである。
しかし、比べものにならないほど、私の熱量があまりに大きすぎたのだろう。

男からの返信の頻度が落ち、ドタキャンされることも多くなっていった。

仕事中でさえ携帯が気になるようになり、通知がくると慌ててLINEを開いた。
男からの連絡ではないことがわかると小さく絶望し、それを繰り返しているうちに携帯が無用なものに思えてきて、軽い気持ちで投げたら画面がバキバキに割れた。

男との約束のない日も、いつ連絡が来てもいいようにと友人からの誘いを断り続け、急に誘いが来たときはどんなに遠い場所でも気にせず向かった。

いつからか、男と会っていても私は未来の話ばかりするようになった。

次はこれしようよ。
いつかここ一緒に行こう。
今度これ食べに行きたいな。

すべてが不安だった。


だからといって、男に告白するつもりもなかった。
男が誰かと付き合うつもりがないことはわかっていたし、私が男に釣り合わないこともわかっていた。

ただ、誰のものにもならないでほしかった。
会う頻度がたとえ減っても、私のことを忘れないでほしかった。

誰のものにもならず、私の目に入る範囲で幸せになってほしい、そんな身勝手な願望をもっていた。


そう思っていたのに。






男と旅行に行った。

「ここに行こうと思うんだけど一緒に行く?」

宿の情報とともに送られてきた誘い。

「忙しい?」という恋愛において絶対にやってはいけない追いLINEすら既読無視されて2週間、男から突然送られてきた。

周りの友人からももう連絡したり会ったりするのはやめたほうがいいと言われ、私も正直疲れてしまっていたため、男から連絡が来ても絶対に返さないと決めていた。


「行きたい~」
一秒よりも早く返した。
「行きたい!!」にしなかったのは、私の最後のプライドであった。


男はいつもそうだった。
LINEでは素っ気ないのに、会うと私が一番かのように優しく笑い、私だけかのように目を見て笑ってくる。
会話が途切れることもなく、本当にただひたすらに幸せな時間だけが流れる旅行だった。




その日、初めて男と体を重ねた。

まつ毛が触れ合うほどの距離にいる男はあまりにも綺麗で、とても悪いことをしている気分になった。

同時にとても悲しくなった。

好きではない人と体を重ねることが、どれほど簡単なことかを私は知っていたから。
そして、私がセックスを好きではないことを男は知っていたから。それなのに誘ってきたということは、男の中で私の優先順位が下がってしまったのだろう。



まだ明るくなっていない時間に目を覚ました。
目の前の男も起きていて、しっかりと私を見ていることに気づく。
目が合ったが、合っていないような気もした。
声にならない声で「どうしたの」と聞くと男は何も言わず私の頭を撫でた。
男はそのまま私を抱きしめ、背中を優しく叩きながら「大丈夫、大丈夫だから、ごめんな」と何度も繰り返した。

何に対して謝っているのだろうと不思議に思いながら、男の手があまりにも心地よく、男の胸に頭を寄せ再び目を閉じた。
意識を手放していく中、昨夜男に告白したことを思い出した。




チェックアウトの時間まで2人でダラダラして過ごした。
ソファに座り窓の外を見ていると、男が隣に座ってきて私に体をあずけてきた。
私たちは会話をするわけでもなく、携帯を触るわけでもなく、ただただ相手の体温を感じていた。

長い時間、そうしていた。比喩ではなく、本当に一時間ほど同じ体勢で動かなかった。私はそのとき、何も考えていなかった。ひたすらに窓の外の景色を眺めていた。
男はあの瞬間、何を考えていたのだろう。
自分の信念を曲げることを少しでも考えてくれていたら嬉しいなと思う。

電車の中の2人も無言だった。
先に男が降りる駅がやってきて、男は複雑そうな顔で「またな」と言った。
私はそれには気付かないフリをして「またね」と言った。



たかが数ヶ月、そんなに大した時間ではない。
それなのにこの言いようのない喪失感は何なのだろうか。

私は男について間違いなく知ってしまった。
一部分ではあるがそれはとても深く、知らなかった頃には戻れない。




男は米津玄師の「カナリヤ」という歌が好きだった。
その影響で私もよく聴くようになった。


─いいよ あなたとなら いいよ
─もしも 最後に 何もなくても


本当によかったのに。
全部、何でもあげられた。捨てられた。


馬鹿だからさ。
何でもあげたかった。
時間もお金も何もかも。



「本当に楽しかった。また遊んでね」
旅行からの帰り道に送ったメッセージ、悲しいことにそれは未読のままこの恋は終わってしまった。

正直、この恋の終わりに安堵している自分もいる。もう待たなくていいのだ、不安になることもないのだと。

無理なことはわかっていたのに、無理だ無理だと言いつつどこか期待して、予想通りの結末に「やっぱりね」と安心する。
やっぱりね、やっぱり無理だったよね、と。

男について詳細には書かなかったが、男は本当に優しかった。優しくて優しくて、本当に優しかった。
暴走してしまった私だが、男との思い出で嫌な思い出は本当に一つもない。
そんな男がメッセージを返さないという終わり方にしてしまったのは、間違いなく私の所業である。

自分の嫌な部分があまりにも目につく恋愛ではあったが、それでも本当に人生で一番胸が高鳴った。
素敵な恋愛だった、と思う。

ただ、私はこの恋の終わりと同時に、一番の遊び相手、飲み友達を失ってしまったのだった。
それに気づいたときはとても悲しくて泣いてしまった。
手持ち無沙汰になった土曜日、これからどう過ごそうか。



傷の治りが遅くなってきたアラサーでの失恋。
この文章を書き終えたら、改めてこの失恋と向き合わねばならないのだろう。


はぁ、恋愛ってクソだな。

あーあ。

あーあ。





来世でまた飲もうね。

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