私道かぴ (安住の地)

安住の地 所属。http://anju-nochi.com 戯曲や小説やコラムなどを書…

私道かぴ (安住の地)

安住の地 所属。http://anju-nochi.com 戯曲や小説やコラムなどを書きます。

マガジン

  • どこかでだれかときいたはなし

    劇作家・美術家の私道かぴが、作品づくりのために行った先々で聞いた話、経験した出来事について書いたコラムです。毎週水曜に更新します。(2024年1月~)

  • あなたも生きてた日の日記

    2022年は1つのテーマにつき2ケ月程かけて書いていきます。テーマは【ぬいぐるみ】【英会話】【身体】等を予定。すべては、あなたも生きてた同じ日に、起こった出来事です。

  • 道後温泉クリエイティブステイ日記

    道後温泉活性化プロジェクトのうち「クリエイティブステイ」の日記です。松山や道後のことを中心にリサーチ、創作を進める記録です。

  • もしもしからだ

    見逃しがちな身体感覚や、人間のふとした会話についてのコラム。時勢柄、コロナウイルスや、過去のことを考えるコラムが多めです。

最近の記事

どこだれ⑱ 養蚕の神楽を見に行った時のこと(1)

昨年の4月、群馬県の赤城神社に行った。 この神社の【下南室太々神楽】で「養蚕の舞」が行われていると知ったからだ。この神楽は江戸時代頃から続いているとも言われていて、県指定の重要無形民俗文化財に登録されている。 「毎年4月の第一日曜に実施」という情報しかなく、役所に時間を問い合わせてみると「神楽自体は10時から行われる予定だが、養蚕の舞が何時頃なのかはわからない」とのことだった。ひとまず行ってみるしかないようだ。 当日、「群馬は本当に平坦な土地なのだなあ」と思いながら田んぼや

    • どこだれ⑰ 京都の民藝店で教わったこと

      学生時代、京都の出版社で手伝いをしていた。ある特集で「民藝」がテーマになったのをきっかけに、人生で初めて民藝に触れることになった。 当時は大学生になり2年目の春で、初めて1人暮らしをする上で「借りた部屋には自分がものを持ち込まなければなにもないのだ」という当たり前のことを知った頃だった。空の食器棚を開けては「自分で買いそろえないと、食器は1枚もないんだな」と気づき、手を出したのはIKEAや100均の食器だった。プラスチックのお皿は軽くて扱いやすいし、安い食器は割れてもまた手

      • どこだれ⑯ 蚕に教わったこと

        今年も蚕を飼っている。 昨年「かいころく」という養蚕にまつわる演劇を作り、長野県の大桑村と兵庫県の豊岡で上演した。その脚本を書く際に、蚕の生態をこの目で見たいと思い、自宅で飼ってみたのだ。その子たちが産み残した卵を保管していたら、今年は春先に急にあたたかくなったのもあり、わらわらとあっという間に孵ってしまった。昨年は、最後の脱皮を終えそこそこ成長した状態の蚕を飼った。夏だったので人間が寒く感じるほどの温度設定にして飼育した覚えがある。今年は種から、春の蚕、いわゆる「春蚕(はる

        • どこだれ⑮ 幽霊話がいやだったわけ

          「ホールの下手の奥の方、出るらしいですよ」 ある滞在中、何人かで会場の下見をしている時に、ホールの担当者がそう言った。「えっ本当ですか?」と別の関係者が尋ねる。 「何人も見たって言うし、霊感ある人は下手で待機したくないってよく言います」 こういう類の話は、演劇に携わっていると至る所で聞く。髪の長い人がいたとか、誰かの声がしたとか、どれもどこか似通っている。こういう話が全くないホールって存在するのだろうか?と疑問に思うくらいだ。 「そういえば...」と、カメラマンが話を続

        どこだれ⑱ 養蚕の神楽を見に行った時のこと(1)

        マガジン

        • どこかでだれかときいたはなし
          19本
        • あなたも生きてた日の日記
          44本
        • 道後温泉クリエイティブステイ日記
          8本
        • もしもしからだ
          43本

        記事

          どこだれ⑭ 地元神戸、知らなかった街のこと(後編)

          神戸をテーマに創作するにあたって、まずは震災のことを今一度知らなければと思った。足を運んだのは、HAT神戸にある【人と防災未来センター】だ。阪神淡路大震災の記憶を語り継ぎ、教訓を今後に生かす防災学習施設として2002年に開館した施設で、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構が管理運営を担っている。 (ちなみに、HAT神戸のHATは「Happy Active Town」の頭文字を取ったもので、この地域には復興住宅街として神戸市内でも最大の約3500戸が建てられている。震災

          どこだれ⑭ 地元神戸、知らなかった街のこと(後編)

          どこだれ⑬ 地元神戸、知らなかった街のこと(前編)

          「お洒落なところでいいですねえ」。 これまで出身が神戸だと伝えた時に、最も多かった返事だ。次に多いのは、「山もあって海もあって、自然が多い場所ですね」「住みやすそうな所」だろうか。とにかく、神戸という土地に対してはみな何かしらよい感想を告げてくれる。そんな時、自分が何をしたわけでもないけれどどこか照れくさくなったり、誇りを持ったりするのが一般的な反応なのかもしれない。しかし、私はなぜかこういう言葉をもらう度に複雑な気持ちになる。 本当にそうだろうか。神戸という土地は、本当に

          どこだれ⑬ 地元神戸、知らなかった街のこと(前編)

          どこだれ⑫ 駅で他人に懇願すること

          切符売り場の前で、私は途方に暮れていた。その駅は、地方でもたくさんの電車が乗り入れる所で、路線も沢山伸びていた。そのため切符売り場の路線図には、信じられないほど多くの線が広がっている。図に入れるだけ入れようという気概が感じられ、見たことも聞いたこともない駅名がこれでもかと並んでいた。これから目指す駅など到底直ぐには見つけられない様子だった。 最初は地道にひとつずつ見ていたのだが、段々と焦ってきた。発車時刻が迫っている。この列車を逃すと、次は1時間後になってしまう。 あーやばい

          どこだれ⑫ 駅で他人に懇願すること

          ◎宮古駅から出た列車の行き先

          『〇〇のこえ』と題して、日本各地でその土地に住む方にお話を聞き、作品をつくるということを続けている。宮古に来るすこし前には、神奈川県横浜市の左近山団地に滞在し、団地に住む人々の暮らしや人生の話をまとめた『団地のこえ』を制作した。戦後の住宅需要の高まりのなか1968年に建てられたこの巨大団地では、全国各地から横浜に出てきた人々がいまも多く暮らしている。その人生はまさに企業戦士といった様子で、高度経済成長で国が湧きたっていた頃の雰囲気をつよく感じた。 一方宮古で話を聞いていると

          ◎宮古駅から出た列車の行き先

          どこだれ⑪ すべて見ていた山

          ある神社を探していた。 その地域に昔住んでいたという人から、「べこ(牛)を祀っている神社があって、そこによく行ったもんだ」と教わって、実際に見たくなったのだ。地図上にはこの辺りだと表示されているが、それらしきものは見当たらない。すぐ近くに海を臨む土地で、風が吹くと潮の匂いが鼻をかすめる。うろうろしていると、道の途中にとつぜん鳥居が現れた。しかし、その先にはただ建物が並んでいるだけで、神社らしきものはない。一体何に向かって建てられた鳥居なのか。目線を横へうつすと、少し先の小高い

          どこだれ⑪ すべて見ていた山

          どこだれ⑩ 子どもたちを尊敬している

          芸術関係のことをしていると、度々ひょっこりと現れるのが「ワークショップ」の機会だ。 中学の頃、はじめてこの言葉を調べた。そのときはワークショップ=「体験型の講座」と認識した。受けるばかりだったそれを、今では自分がやる側になっているのだから人生はわからない。 劇場や公共施設からの依頼や自主企画で何度かやっているが、いままで縁遠かったのは「子ども」に対するワークショップだ。劇団や個人ではたびたび対象を「子どもから大人まで」としているのだけど、中学生から大人までが参加する形になるこ

          どこだれ⑩ 子どもたちを尊敬している

          どこだれ⑨虫に愛着を持つ日

          その滞在場所はすぐ後ろに山があって、よく言えば自然が近く、表現を変えれば色々な動物が家の中に転がり込んでくる環境だった。 夜中、寝ようとして布団に潜り込むと天井のあたりでなにやらごそごそ音がする。パチッと照明をつけると、梁の上を走り去る後ろ姿が見え、大きさとしっぽの長さから察するにネズミだった。朝、リビングで作業をしていると視界の端に何かが動く。視線を落とすと足元を蜘蛛が駆け抜けていく。夕方、玄関の扉を開けると上から何かが肩をかすめて落ち、見るとすごい速さでかなりの大きさのム

          どこだれ⑨虫に愛着を持つ日

          どこだれ⑧聞き書き作品のプライバシー

          どこかの土地に行って、そこに住んでいる人に話を聞き、聞いたエピソードを基に作品をつくることを続けている。最終的にどのような形になるのかは、演劇だったり展示だったりと都度異なるのだけど、毎回意識しているのは「複数人の証言を混ぜて一人の人物の言葉にする」ということだ。 例えば、農家の方のエピソードを書くときは、誰かひとりの農業経験を基にしながら、奥さんの証言だったり、いつか別の機会に聞いた農具の作り方だったり、後から調べたその土地の昔話を混ぜ込む。結果、できたものを本人が見ても、

          どこだれ⑧聞き書き作品のプライバシー

          どこだれ⑦一生をかけた作品をもらう

          どこかの土地に滞在して、いっとき親しくなったとしても、作品をつくって発表してしまえば呆気なくそこを去る。 最初のうちはそのことを後ろめたく思ったりしたものの、繰り返すうち「この位の付き合いが丁度よかったのだ」とか「同じように聞くべき話があるならそちらに足を運ぶことも大切なのだ」と思うようになった。 ただ、忘れ去ってしまうのかというと勿論そんなことはなく、どこか別のところを歩いていても「今日もあの人は駅にひとり座っているのかなあ」とか「山を歩きながら観光客をご案内しているのか

          どこだれ⑦一生をかけた作品をもらう

          どこだれ⑥むこうの言葉でしゃべる人たち

          昨年は縁あって、漁師と猟師に話を聞く機会があった。読み方はおなじでも、双方の職業はかなり違う。 私が会った漁師の面々は豪快な方が多く、たんと食べるし良く飲んだ。乗組員や漁仲間を大切にする文化ゆえだろう、陸に上がると昼夜関係なく飲み会が頻繁に開催される。顔を真っ赤にして大きな声で話す姿は、海の男のイメージそのものだった。 一方の猟師の面々は、どちらかというとお互いあまりつるまない印象だった。もちろん猟の際に協力するし捕れ高をわけあうのだが、頻繁に飲んでいる様子はない。聞くと、

          どこだれ⑥むこうの言葉でしゃべる人たち

          どこだれ⑤知らない誰かの善意を聞く

          その日、私はある小学校の前で困り果てていた。校門にはガッチガチに南京錠がしてあって、インターホンの横には「関係者以外お断り」と掲示がある。 奥の校庭からは子どもたちの楽しそうな声が聞こえる。しかし、その声が遠い。インターホンを押すか否か迷って、結局やめて引き返した。 広告会社で飛び込み営業をしていた頃、色々な失敗をした末に、初対面の会社に伺う時に最も気をつけなければいけないことを悟った。それは「怪しまれないようにする」ということだ。 最初に相手に巻き起こるだろう「この人誰」

          どこだれ⑤知らない誰かの善意を聞く

          どこだれ④去り際のあいさつの美しい人

          いつからだろう、自分でもわからないのだけど、気がつくとやっている癖がある。 それは、一緒にいた誰かと別れる時、その人の姿が見えなくなるまで後ろ姿を見送るというものだ。駅の改札や、分かれ道や、建物の曲がり角などで「じゃあ、また」と手を振って別れた後、すぐに歩き出すのではなく、相手の歩いてゆく後ろ姿を見送る。大概の場合相手は気づいていない。そのままスマホを見たり、あるいは人ごみに紛れてすぐに姿が見えなくなったりする。しかし、たまにこちらをくるっと振り返る時があり、その際はむこうも

          どこだれ④去り際のあいさつの美しい人