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どこだれ㉖ある日の雨宿りのこと


京都での稽古後、「あ〜降りそうだな」という曇天の中歩いていたら、ぽつぽつ、と大粒の雨が肩に落ちた。
「まだ大丈夫かな」と歩き続けると、ピカっと空が光ったのを合図に、滝のような土砂降りになった。折り畳み傘ではとても対応できず、目の前のビルの一階、駐車場となっているスペースに駆け込む。その数秒後、とんでもない大雨になった。

先程まで歩いていた道が川になっていくのを見ながら呆然と立ち尽くしていると、自転車を押した2人組がずぶ濡れで駆け込んで来た。
観光客だろうか、スマホで地図を見つつ近くのコンビニを探している。道を一本渡ったすぐそこにファミリーマートがあるが、いまはその道一本がとてつもなく遠い。
その間にも雷の音が近くなってきた。ママチャリに乗ったレインコート姿の女性が入ってくる。しばらく自転車を跨いだままだったが、何発か雷が近くに落ちたらしき音が続いた頃、諦めたように降りてストッパーをかけた。長くなりそうだ。
10分経っても20分経っても雨は弱まるどころかますます強くなる。強風に煽られて雨が流れてくるので人々はより建物側に集まった。スマホを見ていた面々も、あまりの雷雨の凄まじさにただただ目の前の景色を見ているしかなかった。

その光景に、いつの間にか心動いていることに気がつく。おそらくこの雷雨がなければ関わることのなかった人々が、一箇所に集まり一言も交わさず呆然と風景を見ている。その偶然のおもしろさと、都会の真ん中にも関わらず自然に対してなす術が何もないという状態に、なぜだか清々しい諦めのような、言いようのない感動が湧き上がってくるのだ。

雨は依然強いが雷が少しずつ遠くなってきた。途中、猫がずぶ濡れになりながら道をパーッと駆けて行く。誰かがそれを見て「あっ」と言ったのを合図に、自転車の2人は外へ漕ぎ出して行った。鳥が飛び立つようだなと思っていると、今度は新たに女性が走り込んできた。
肩で息をしながら「わー大変大変」と言う彼女と目が合う。なんとなく微笑むと、「あなた最初にここに走って入ったでしょう。わたし向こうから見てたのよ」と怖いことを言う。
聞けば、私がこの駐車場に飛び込んだのとタイミングで、女性も向かいのビルの雨宿りできそうなくぼみに飛び込んだらしい。「ここまで来たかったのに間に合わなかったのよ〜」と笑っている。そうこうしているうちにまた雨が強くなってきた。結局ここで足止めされることには変わりない。女性は、なぜこのタイミングでこちらに来たのだろう。やはり1人で雨宿りするのが心細かったのだろうか。
「雨があれでも雷がね、あぶないから」と繰り返して、かつて友人宅に雷が落ち、コンセントを差していた家電製品が全て壊れた話を始めた。「50万くらい一気に飛んだって言ってたわ」と付け加えるのがいかにも関西らしい。

雷はまだ止まない。時計に目をやると、雨宿りを始めて1時間が経とうとしていた。
「いやーこまったな〜」と言うと、「こまったね〜」と言葉が返ってくる。「これで電車乗ったらずぶぬれの人ばっかりやね」と取り止めのない会話に安心する。

その時、突然駐車場の奥の扉が開いた。従業員らしき制服姿の男性が出てくる。扉の表示を見ると、どうやらこのビルはホテルらしく、ここはその駐車場なのだ。
ホテルの人は雨宿りをする私たちを見て「わあ」と驚いたようだったが、女性がすかさず「すいませんねえ〜」と言うと笑顔で「あーいやいや!もうこの雨やとどうしようもありませんな」と返した。
この雨の中、バイクで走り出すらしい。バイクのナンバーを見た女性が「高槻まで行くんですか?」と聞くと「いや西京極までですわ」と言う。
去り際、こちらを振り向いて「もう全然、落ち着くまでゆっくり宿っといてくださいね」と笑顔で言い残して去って行った。

その、「宿っといてください」という語感に、私たちがどこか胎内にでも居合わせたような、不思議な感覚が残る。
もしかしたら、みな偶然どこかに宿って、その時々で居合わせる人がいて、時が来たら出て行って、そういうのが人生なのかもしれない。雨宿り、という語感がこれまでより素敵に響いた。

「雨弱まったんちゃう?行きましょか」
女性がそう言って歩き出す。途中まで共に歩き、「じゃあ」とさっぱり別れて、それ以降、きっと会うことはなかった。