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どこだれ⑮ 幽霊話がいやだったわけ

「ホールの下手の奥の方、出るらしいですよ」

ある滞在中、何人かで会場の下見をしている時に、ホールの担当者がそう言った。「えっ本当ですか?」と別の関係者が尋ねる。

「何人も見たって言うし、霊感ある人は下手で待機したくないってよく言います」

こういう類の話は、演劇に携わっていると至る所で聞く。髪の長い人がいたとか、誰かの声がしたとか、どれもどこか似通っている。こういう話が全くないホールって存在するのだろうか?と疑問に思うくらいだ。
「そういえば...」と、カメラマンが話を続けた。

「この間ここのホールで撮った写真、身体の一部が写ってないのがあって...」

その言葉を受けて、場が一層盛り上がる。うわ〜、本当?と言いながら、写真を見にカメラマンの元へ集まった。

その様子を近くで見ながら、私はなぜか会話に積極的になれなかった。心霊話が怖くて参加したくない、というのならわかりやすい。ただそういう訳でもないのに、なんだか「できればそれ以上聞きたくない」感じなのだ。
しかし、少し前まではおそらく一緒に「えー本当ですか?!」などと言いながら写真を見に行っていたはずだ。
なぜ心霊話に乗れないのだろう。滞在が終わってからもしばらく考えていたら、思い当たる節がひとつあった。


2022年に、安住の地としてせんがわ劇場演劇コンクールに出場した。その時上演したのは『アーツ』という、美術の歴史をテーマにした作品だ。コロナ禍を経て、「芸術ってそもそも必要だったっけ」という思いがあり、手の洞窟や現代の美術館の騒動、戦時中の画学生をモチーフに脚本を書いた。画学生に関しては、丁度その時期に長野県の無言館へ訪れたこともあり、その時に知った特定の学生のことを念頭に置いて執筆した。
モチーフとはいえ、特定の人物を意識して書いたのはこの時が初めてだったので、コンクールで観客の方にいただいた質問にも比較的説得力を持って答えることができた(もっとも「史実なので」「実際にそういう人がいたので」というのが安易に説得力に結びつく風潮には疑問もあるけれど)。
ある一面だけだとしても、事実を元に書くのは緊張を伴うが楽しい。そんなことを思っていた矢先、自分の思い上がりを突きつけられるような出来事があった。

それは、「記録 ミッドウェー海戦」という一冊の本との出会いだった。澤地久枝氏が書いたこの本は、ミッドウェー海戦の日米両方の戦死者の個人情報を徹底的に調べて記録に残している。読むと、数字だけで認識していた死者1人ひとりに名前があり、家族があり、所属連隊があり、最期の瞬間があったことを知る。この本を読んで真っ先に思ったのは、『アーツ』で書いた主人公の最期の瞬間だった。その人物は最後、同じ連隊の仲間と2人1組でいて、先に仲間の1人、次に主人公が撃たれて死ぬことになっている。この時、私は正直「主人公以外のもう1人」のことはあまり気にかけていなかった。「戦場であっただろう死に方」として安易に「撃たれて事切れる」という選択をしていたのだ。

しかし、実際には「あっただろう死に方」なんてない。事実しかない。だって戦争は実際にあったのだから。その時、私の頭の中には「戦争で死ぬと言うことはこういうことだろう」という曖昧なイメージがあって、それを元に作品をつくっていたのだと気づいた。
それでどうして「事実を元にして書いた」と言えるのか。自分の甘さを恥じた。また、大量死と言われる際に報じられる数字の受け止め方が変わった。

この出来事から、世にいう「死んだ人」にはすべて人生があったのだということを、本当の意味で学んだのだと思う。死んだ人に「誰か」はない。そう考えた時、幽霊話は圧倒的に「匿名の誰かの死」であると思い至った。
特に、冒頭で話していた場所はかつてたくさんの死があった土地だ。もしかしたら、そうして「誰か」の話に落とし込まないでほしい、と思ったのかもしれない。化けて出るその人にも、生前の思い出や、何なら今も知人が近くにいるはずだから。...と、こんなことを言うと、心霊話好きの方に怒られるかもしれないけれど。