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どこだれ⑱ 養蚕の神楽を見に行った時のこと(1)


昨年の4月、群馬県の赤城神社に行った。
この神社の【下南室太々神楽】で「養蚕の舞」が行われていると知ったからだ。この神楽は江戸時代頃から続いているとも言われていて、県指定の重要無形民俗文化財に登録されている。
「毎年4月の第一日曜に実施」という情報しかなく、役所に時間を問い合わせてみると「神楽自体は10時から行われる予定だが、養蚕の舞が何時頃なのかはわからない」とのことだった。ひとまず行ってみるしかないようだ。

当日、「群馬は本当に平坦な土地なのだなあ」と思いながら田んぼや麦畑を抜けて赤城神社に向かった。内々で行われている行事なのだろう、途中の道に案内などはなく、やっと鳥居が見えて来た頃に「下南室太々神楽例大祭」というのぼりが目に入った。人もまばらで、楽器の音も聞こえてこない。本当にここであっているのだろうか…?見ると、たまたま近くをおばあちゃんが歩いていたので、声をかけることにした。

「あの、すいません、赤城神社の神楽ってここであってますか?」
「うん、おそらくそうだと思うんだけどねえ…」

なんとおばあちゃんも初めて来たそうだ。徒歩圏内に長年住んでいるが、一度も来たことがなかったらしい。どうして来たんですか、と聞くと「町内の新聞に載っていたから」だと言う。

「コロナで中止だったでしょ、それで、3年?4年?ぶりに再会するって書いていたから、そういえばわたし一度も見たことがないなあと思って、来てみたの」

そのおばあちゃんと一緒に鳥居をくぐって中に入る。手前に事務所のようなものがあって、その向かいに池、もう少し階段を上がったところに舞台があった。その上では二人の面をつけた舞手が剣のようなものを持って舞っていた。ぽつ、ぽつと見物人がいるが、みな顔見知りなのか舞よりもおしゃべりに興じている。見ると、おばあちゃんは知り合いを見つけたようで楽しそうに話していた。屋台が一つふたつ出ていて、子どもがそのまわりを走り回るのをお母さんが「だめ!」と言いながら追いかけている。笛と太鼓のゆったりとした音色が、四月とは思えないほどよく晴れた初夏の空に吸い込まれていった。
舞が終わり、ぽつぽつとマイクでアナウンスが入った後、次の演目に移る。先ほどまで舞っていた男性が普段着に着替えて舞台裏から出てくると、走っていた子どもが「パパー!」と言いながら抱き着いた。
「パパどうだった?」と聞く男性に、子どもは「かっこよかったー」と全く別の方を向いて答える。いや全然見てなかったやないかい、と思いながら、その光景が微笑ましくて思わず笑ってしまう。
その演目が終わったのち、場はお昼休憩となった。どうやら、養蚕の舞は一時間後に再開した際に行われるらしい。神社の周りを散歩しながらその時を待つ。

ふたたび舞台の前に戻った時、そこに広がる光景にびっくりしてしまった。人がまばらだった舞台前にはたくさんの子どもたちや親が立っていて、その手にはビニール袋やエコバックが握られていた。どうやら餅撒きのようなものがあるらしい。親子のさわがしい会話の中、淡々としたアナウンスが入る。

「次は、養蚕の舞です。農家の女性が、絹笠大明神から、掃き立てから上蔟までの蚕の飼育法を教わり、若者と一緒になって繭の収穫とあげ祝いを行う舞です。蚕の飼育期間は約一か月間ですが、その作業を、一切の言葉を使わずに身体全体を使っておもしろおかしく表現します。どうぞ、見たままをおたのしみください」

笛と太鼓が鳴り、仮面をつけた「女性役」が出てくると、近くにいた子どもが「ねえねえ見てあれ!こわい!」と叫んだ。それを合図に、いろんな子どもが「こわい」「こわい」と口々に言い出し、ついには泣き始める子も出てきた。「ほら、見てあれじいじだよ。こわくないよ」と母親がネタばらしをしても子どもはおかまいなしに大声で泣き続ける。見物衆はかるくパニックなのだが、舞台上はゆるやかな舞が続く。女性役の人物が鈴を鳴らしながら神に祈りを捧げると、農婦と農夫たちが実際の養蚕用具を持って出てくる。驚いたのは、ここで使われているのが実際の道具だったことだ。そして、更に驚きだったのは、養蚕の工程を端折ることなく忠実に再現していたことだった。
舞台を下りて下に設置していた桑を刈る。ふたたび舞台上に戻って蚕にやり、少しずつ大きくなっていく蚕たちを都度大きさの違う造形物を使って見せる。正直、舞台は成人の頭よりも少し高い位置に設定されているので、細かい動きはよく見えない。しかし、「大きくなったよ~」と手に白い蚕を持って肩をゆらしながら見物衆に見せるしぐさは、こちらまで嬉しい気持ちになった。何より、昔は細部まで見えなくても問題なかったのだと思う。見物衆はみな同じように養蚕をやっていたのだし、どの工程を再現しているのかは一目瞭然だったはずだ。喜ぶ仕草を見て、自分たちの昨年の養蚕の様子を思い出したかもしれない。そして、「今年の養蚕もがんばろう」と決意を新たにしたかもしれない。

途中、ある子どもが舞を見ながら「ねえねえ、あれ何やってるの」と言った。母親らしき人物は、「えーわかんない。蚕を育ててるんじゃない」と答える。「蚕ってなに?」と子ども。「虫」と母親は淡白な答えだ。「知りたかったら、今度じいじに聞いてみなよ」と言うのは、もしかしたら彼女も何をやっているかわからないからなのかもしれない。それだけ、舞の題材になるほど盛んだったこの地域でも、養蚕文化は衰退しているということかもしれない。
繭が取れたのち、酒盛りの場面を経て最後はとうとう餅撒きになった。子どもたちは、「やっと退屈な時間が終わった」と言わんばかりに駆け足で集まってきて、「こっちに!」「はい!はい!」と声を張り上げ袋を広げてアピールしている。ばらばらと撒かれるお菓子たち。聞けば、昔はここで養蚕用具などを配ったこともあるらしい。今日では、ポテトチップスや飴など、子どもたちが喜ぶもので構成されている。
その様子を見ながら、どこか寂しい気持ちになっていた。この子たちは、いつか知るだろうか。あなたたちが「おもしろくないパート」と見なしていた営みのおかげで、今日までこの場所が続いているんだということを。

帰り道、舞を終えた「じいじ」に孫が獲得したお菓子を見せている場面に遭遇した。じいじは一仕事を終えた満足感と、孫の笑顔に上機嫌だ。それを見ながら、「いや待てよ」と思った。養蚕が、この地域に幸せをもたらすために取り入れられたのだとしたら、その効果は現代まで続いているのかもしれない。たとえそれがお菓子の記憶だったとしても、きっとどこかであの舞を覚えている。そして、養蚕のことを先人に聞くときが訪れるんだろう。
その時のために、養蚕の様子をしっかりと舞で受けつぐこの神楽を、私はとても頼もしく感じた。