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*小説* 薤露の橋

電車に酔った。気持ち悪い。
ひと駅、ひと駅が長く、どこを向いたら良いのかわからない。
さっきから、携帯を出して画面を開いては閉じ開いては閉じの繰り返しで、もう画面を見るのは止めようと黒い小さなバッグに仕舞い込んだ。

肩が辛く感じるのは、クローゼットの奥から出した、黒色の服のせいなのか、自分の足が地面に着いているのかどうかすら怪しくなっているこの感覚異常のせいなのか。
ヒヤリとした汗をかき、下を向いたり、横を向いたり、少しでも楽になろうとするけれど、人の目が気になって神経がピリピリする。
休日にも関わらず、地下鉄にはそれなりの人が乗車していた。
目的の駅まで着けば、幼馴染がいる。具合が悪い。酔ったといえば、全て私の状況を理解してくれるだろう。

駅の長い長い階段を上り、外に出ると、彼女が待っていてくれた。

おでこに手を当てて「具合が悪い。酔った。」と訴える。

少しの間じっと私の顔を見て「大丈夫?少し休む?」とゆっくりとした口調で彼女が言う。

彼女の目を避けるように、イヤイヤと首を振り「ううん。行けるから。」と重く飲み込まれてしまいそうな空気を振り払うように答えた。

彼女は車道側、私のほんの少し前を歩きだす。
「この道を右に曲がって、道なりに進んで。」
私に気遣うように、心配ないよ、ちゃんと連れて行くから。というように、歩調を合わせ、歩いて行く。

お寺には、小学校、中学校の知っている顔が多く集まっていた。
一緒に行った幼馴染は華やかなしっかりした人で人を惹き付ける魅力がある。一緒にいた私も声をかけられて囲まれたが、話すのは彼女に任せ、私は短い言葉で相槌を打ちなんとなく話を流していた。
高校の知り合いはいなかった。連絡が行かなかったのかも知れない。

受付に寄ると、目の前にさっと大きな白い布が現れる。
白い布には様々なメッセージと名前が書かれていた。
「寄せ書きを柩に入れるの。書いて。」
しばらく白い布と対面し、何か頭の奥から引っ張り出そうと格闘し、お願いだから、最後に何か。今この場だけで良いので言葉が下りて来てくれはしないかと待ち、眺めたすえに「ごめん。」とだけ書いた。ずっと続いているざわめきから言葉の一つも掴む事が出来なかった。心の中は、石の欠片、砂粒さえ見つからない。
私は何に謝ったのだろう。なにに謝ったのかすら分からない。
他に何も、書けなかった事に対してなのか。

ありがとう。も、楽しかった。とも書けなかった。
苦しかったね、安らかに眠ってとお別れする事は出来なかった。

タンスの奥には亡くなった彼から昔貰ったマフラーが箱に入って仕舞ってある。手触りは柔らかさを残したままだ。
私は、それをほとんど着ける事はなかった。
貰ってから程なくして別れを告げられたからだ。

今は眺める事はほとんどないが、手放せない。
「本当の優しさは見えない所にあるんだよ。」と言って渡された。
今日のあなたは、随分と優しいよ。と思ったが口には出さず、ただ「嬉しい。ありがとう。あなたの好みなのね。」と笑って受け取った。

ふいに名前を呼ばれ振り向くと、そこには、亡くなった彼の親友が立っていた。
「久しぶり。もう少し早く連絡すれば良かった。」最後の方の声はもう途切れ途切れで、私は何と返事をしたら良いのか分からず、少し怒ったような雰囲気を出してしまったかもしれない。
どんな表情をしたら良いのか分からなかったし自分の声を落ち着いたものに保つ事だけで精一杯だった。

「肺の移植を待っていたんだけど。ドナーが見つからなくて。」
「多少は動けてはいたんだ。なのに。」
彼の親友から多少の闘病の様子が聞けた。
それは、明らかに弱って辛そうな彼の様子で、その光景は私の脳裏に消せない像として、あたかも実際に見たかのように焼き付いた。

「土木の現場監督をしていた時に作った、橋があるはずなんだ。」
「それを、彼の妹に聞いてみようと思ってる。」

昔、彼に私の為に橋を作ると言われた。
でも、それを実際に確認する事はこの先もないのだろう。
どこかに、ある。どこかにあるその橋は私の頭の中にずっと架かっている。

橋は、私の頭の中で、彼と一緒に行った鎌倉の建長寺の裏山に架かっている。
そこに橋はない。ないのだが、彼が振り返り手を差し伸べている。
私のカバンを肩からさげ、紅葉をバックに女の子みたいに“うふっ”とふざけたりして。
そして、急に男らしい表情で、掴んでと手を出して笑みを浮かべている。
私は、その時、手を掴んだはずなのだがどうしても想い出す事が出来ない。ずっと、ずっとその手を掴めず手は空を彷徨い、暗闇でパタッと落ちる。
まるで、手首を切り落とされたように。

最後に言われた言葉は、「死ぬなよ。」だった。

「死ぬなよ。」と私に言ったのに、彼は死んでしまった。

「死ぬなよ。」は別れた事が辛くて、自殺するなよ。という意味なのかと思っていた。
そんなに、私は弱そうに見えたのかと。

でも、違っていたのかもしれない。
彼は我慢強い性格なのでほとんど弱音を吐かなかったが、体調の悪さは少しだけ口にすることがあった。
少し投げやりに、「いいんだ俺はチャランポランだから」と繰り返し言ってみせたりもした。
遠距離で会えない事と、体調が悪い事をみせる事で、私が不安に苛まれていく様子を良しとはしないで私に「他の人と。」と言うようになっていった。

「本当の優しさは見えない所にあるんだよ。」
とうとうその言葉の意味を聞いてみる事は出来なかった。

最後の「死ぬなよ。」はずっと、私に明るく、元気でいてほしいとの彼なりの言い方だったのかもしれない。
小学校、中学校、高校と一緒の学校で過ごし、付き合って別れ、又、付き合って。もう二度と会うのは止めようと言われ、それが最後となった。

ー*-*-

付き合っていた頃バッティングセンターで球の打ち方を手取り足取り教えてもらった。

今でも、毎年年末になるとバッティングセンターで100キロの球を打ってみる。

最初はバットの上をかすって上に飛んでしまったり、下に叩きつけられるように球が飛んでしまうが、その内感覚が戻ってくる。
バットの芯に当たり始め、前に飛ぶようになっていく。
手に当たった振動が伝わってくる。
「すごい。。。」友達の声が後ろから聞こえて来た。

まだ、感覚を忘れていない事を毎年確認する。

今やっと言える。ありがとう。まだ忘れてなかったよ。

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