芸術

1.

ピカソが記者に「なんであなたはそんな子供みたいな絵を書くのですか?」と聞かれて「君たちは何もわかっていない。わたしは子供の絵を描けるまで60年かかったんだ」と言ったように
大人は無駄な経験や知識で考えが淀んでることの方が多いから

2.

小説においても映画においても建築においても芸術の作り方は元をたどれば全て同じ。場に因子を解き放ちその様子をアルゴリズム的に観察(設計)する。突き詰めればサッカーの監督に似ているかもしれない

サッカーだってフィールドと選手だけでエキサイティングな展開が作られる
映画に限らず何かを作る時のメソッドは本当にこれだと思う

映画は、フィールド(場)を与えてそこに人間(因子)を放り込むだけでとても面白いものができる
小さい頃は虫カゴ(場)にバッタ(因子)を入れるだけで一日中眺めることができた

3.

僕は”本物”の芸術の話をする時は必ずゴッホの「ひまわり」の話をします🌻
ゴッホのひまわり、知らない人いませんよね?
【参考】http://atelier-de-paris.jp/SHOP/gogh_G-07.html

共通することなので芸術家というもの(画家、映画監督、小説家、写真家、書道家、陶芸家、音楽家、建築家、デザイナー、、、)を目指す全ての人に読んでもらいたいのですが、”本物”の芸術とは一体なんなのでしょうか

まず芸術家の仕事の必要条件は今まで見えなかった新しい【世界】を呈示すること
テーブルの上にあるリンゴをそのまま上手に綺麗に描いてもそれだけでは芸術と呼ばれるには充分ではない
そこに【世界】が見えて来ない限り芸術品と呼ばれる資格はないのです
この【世界】とはザックリ言えば「えぇ!?リンゴってこんなんだったの!?」という発見を与えてくれるもの
絵の中のリンゴはテーブルに置かれたリンゴとは全く別の【世界】に映らないといけない

この基本原則を知らずに作られた作品は全て”ナンチャッテ”芸術作品です

大概みんなこれを知らないので適当なキレイな絵を見て「すごい芸術的だね!」と口にします(ラッセンとか)
芸術とは単純に物を綺麗に見せることでも目を喜ばせることでもありません
芸術とは適当な幾何学模様をこねくり回したり適当に色々な絵の具で闇雲に描いたものでもありません
ちゃんと定義があります
これを知っていると巷にはいかに多くのナンチャッテ芸術作品が溢れているかがよーくわかります
芸能人がたまに開く個展なんかは大半がナンチャッテ芸術ですね

話をゴッホに戻します

あなたがすぐに頭に思い描く「自然のひまわり」とはどんなものですか?
たぶん子供の時に習ったような真ん中に茶色の大きな丸があってそのまわりに黄色い花びらをクルクル模様で書いたような絵とさほど遠くないはずです
こんなんかな?(http://www.wanpug.com/illust182.html)
ところが「ゴッホのひまわり」の実物を一度ちゃんとしっかりと自分の目で見てください
最後には自分の耳を切り落とし自殺までしてしまった狂気の眼差しがどのようにあの物体(ひまわり)を捉えたのか?
めんどくさがりの君たちのためにもう一回リンクを貼ります
あー😩なんて優しいんだ俺は😩
「ゴッホのひまわり」http://atelier-de-paris.jp/SHOP/gogh_G-07.html

それは絵の真ん中の茶色く描かれた種は堅い石ころのようにゴツゴツでしかもほとんど同じ形をしていません

また、そのまわりの黄色い花びらをよく見てください
あたかもあなたの皮膚にちょっとでも触れたら刺きささりそうに鋭利な表情をしています
それはゴッホがその花びらの鋭利さに恐怖さえ感じたように執拗に絵の具を塗り重ねた続けた肌合いそのものです

そして、葉です
まるでいい加減に描かれたようにダルそうにだらしない顔つきをしています

そういう彼の絵画をしっかりとしっかりと一度自分の目にじっくりと焼き付けてみてください

そして…ここから先が大事です
その後に自分の家の近くのひまわり畑でもう一度「自然のひまわり」を見返してみてください
そこであなたは確実にその「自然のひまわり」を再認識するはずです
「えぇ!?ひまわりってこんなだったのか…」と

http://www.himawari-dc.net/(ちょっと写真拝借します🤣爆)

ここで、仰天するほどゴッホが鋭く激しくひまわりを見つめていたかに気づくと思います
ひまわりとは先ほどのポンデライオンみたいなマンガイラスト絵とは似ても似つかないほど凶暴で生々しくそして一切の言葉を失わせるほど妖艶な植物であることに気づくはずです!

ついでにゴッホの「農夫の靴」という絵の話もします
今日ほんと長いね、一回休憩する?😪💤

見ての通り白黒のただのスケッチです
【参考】http://blog.livedoor.jp/bananahiroshi/archives/52436396.html
写実的に描かれている訳でも特別上手な訳でもありません
ただ、この絵を真剣に眺め始めて少し時間が経つと、ある時、ただの靴であったはずのものが凄まじい「質感」を伴ったものとして見えてくる瞬間があります

それは、使い込まれてシワくちゃに変形し、表面は埃まみれ、靴ヒモもひどく無造作に結ばれていて、、、
そういう描き方をされていることで改めて見つめられることなどされもしなかった靴という道具に肌触りさえ誕生するようになります
この時点で靴はもはやただの靴ではなく、どんな名前も与えられることのない見たことのない「物体」になってしまいます
さらに付着した泥は、土の臭いを放つようにさえなります
そして、そうした「物体」一切からは「土にまみれた埃っぽく乾いた生活の感触、柔らかい畑を掘り起こす時の土の温もり、南仏のギラギラした太陽と澄んだ空気、陽に焼けた深い顔のシワ、日暮れ時の気だるい空気、これから支度されるであろう質素なジャガイモスープの表面の気泡、、、」そんなものまでが、この「物体」の表面に鮮明な映像として浮き上がってくるのです

ゴッホの「特別な才能」は、ただの靴をそういう姿として描き出すことができます
今まで見過ごされてきた【日常の世界】にあった靴とは全く違った見方のされる【非日常の世界】へ靴を移動させるのです

これが芸術作品です😆

ゴッホの「ひまわり」や「農夫の靴」にはいかにも芸術っぽい部分も無かったですしキレイであることもありませんでした
なおかつ上手いこともありませんでした
どちらかというと下手?とも思えるくらいでした

僕が言いたいことが少しでも伝わってくれてると嬉しいのですが😰

もうこれでみんなはナンチャッテ芸術を見て「芸術的!」とそこらへんの人と同じようにエセ芸術家を気取らなくてすみますね👏

最後まで読んでくれてありがとうございます!

5.

芸術とは「”記号世界”・”構造化された世界”を潰すもの」

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