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ゲームと読書と「身体性」

自分はよく好んでこの言葉を使います「身体性」。

意としては基本、ヒトが何かをやる時にはどうしても自分の身体の範囲でしか実現は出来ません。自分の身体という制約を超えてめちゃくちゃは出来ないですよね。宇宙や空は生身では飛べないし、速さも限界はある。

この「身体性」には「身体感覚」も含まれるし、身体には精神や感情も含まれています。それら全てを総合して「身体性」と呼んでいます。


ゲームや読書でも、スマホなどでも良いのですが、気になるところにこの「身体性」をあまり考慮していない部分もあるのかな?と。読書で何が一番疲れるかと言うと目もそうですが、持つ腕、手の部分。姿勢もそうですが、長時間行っていると疲れるんですよね。

確かにスマホも疲れるのですが、それでも読書よりはマシかも?電子書籍が登場していますが、コンテンツとしての長さが響いている気がします。

だってスマホを1日何時間も触るといっても連続で集中して使わないですよね。なんとなくふらっと触っていませんか?

動画などを観る時もスキマ時間に見たり、置いて見たりしません??

読書のように連続して集中し、使おうと思うとちょっとキツイんですよね。ゲームも同じでコントローラーが疲れる。もう少し疲れ難いものでが出来てきたら良いのにな、と感じます。

幾らテクノロジーが進化し、豊富なものが誕生してもヒトがヒトである限りはこの身体性はずっと関係してくると思います。

その身体が衰え、その範囲が狭まってくると耐えられる時間、活動できる時間も狭まるのではないでしょうか?どれだけ便利になり、どれだけ補助ツールが凄いレベルになっても。

その分だけヒトの身体が衰え、感覚も力も失っていくと扱い切れませんよね。どこまでも補助してもらう訳には行かないでしょうし、多分ヒトも多くの人は望まないはず。


だからテクノロジーが進化すればするほど、ヒトは自ら耕し、捕獲し、育て、運動し、身体を鍛え、気遣い、生活していくと思います。

逆に健康的に留意し、食事や行動、全てにおいて拘る人も出てくるでしょうし、そういった流れは確実に生まれ、大きくなってきているように感じます。

機能性重視のものが流行ればその逆も起きる。テクノロジーが進化し、便利になればあえて不便を体験しようとしたり、自分の身体能力向上こそが投資スべき一番の価値だと感じる人も出てくる。

スポーツに長年従事している身としてはそういった「身体性」を重視、意識する人が増えてくれると凄く良いな。そうなるように伝えていきたい、貢献、サポートしていきたいなと常々思いながら活動しています。


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