Rucion

ニコライ宮殿猫様給仕係兼目指せエッセイスト。ダーリン1猫3。ヘッダーはソウルメイトのジ…

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ニコライ宮殿猫様給仕係兼目指せエッセイスト。ダーリン1猫3。ヘッダーはソウルメイトのジョゼフィンお嬢さん(2020年没)。 教育産業勤務→化学物質過敏症で退職/文章修行中、書くことは精神の棚卸/njfa.not@gmail.com/TwitterDM

マガジン

  • ホンキノエッセイ

    ときどき、腕試しにエッセイコンテストの類に出しています。

  • ネコエッセイ

    ニコライ宮殿の猫たちに限らず、猫たちのことをいろいろ綴っています。

  • ニコライ宮殿の猫たち

    noteに猫ブログを書くのは止めようと思っていましたが、ニコライ宮殿の猫たちはカワイイので書くことにしました! 以前続けていたブログはこちらです。http://goldcatsilvercat.blog62.fc2.com/

  • とりとめのない話

    日記のようなエッセイのような、日々の「うれしい」「楽しい」「どうして」などが詰まっています。

  • 化学物質過敏症にまつわるお話

    軽症ですが化学物質過敏症発症者です。こんなことあんなこと経験したこと思うこと改善のためにやっていること困っていることなど、少し残していこうと思っています。

最近の記事

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Rucionというヒトのこと

noteでははじめまして。 もしかしたら、猫だらけの他のSNSをご存知の方がいらっしゃるかも。そうだったら、心強い。 noteを開設するにあたり名前をどうしようかと暫し考えた。 [戸籍上の本名]  この名字になってから四半世紀以上が経つというのに、いまだに自分の名前として馴染めていない。 [旧姓と言われる生来の名字で本名に近いもの] 勤め人だったときは仕事で使っていた。退職してけっこう時間が経った。そう呼ばれることもなくなり、これもしっくりこない感。 [下の名前だけ]

    • 一年四ヵ月分の記憶

       札幌生まれの私は、室蘭の小学校に入学した。父が転勤族だったのだ。幼かった私は、幼稚園の卒園式の直後、事情を理解できないまま知らない町へ引っ越した。どうしてなかよしのマー坊といっしょに学校へ通えないのか、まったくわからないままだった。急行列車で二時間の距離は、子どもがひとりで簡単に行き来できるものではなく、同居の祖父と会えなくなるのも嫌だった。  室蘭の家については、ほとんど覚えていない。間取りも壁の色も記憶の中にないが、古い社宅で、二階に崩れそうな木製のベランダがあったこ

      • 夢で授かった金言

        「死んでからお参りに来たがる人はほんとうの友達ではないから、そんなの断ってしまいなさい」  と、夢の中で誰かに言われた。  真理だと思い、すぐダーリンに伝えた。ワタクシが死んだ後に誰かがお参りに来ると言っても、すべて断ってほしいと。  「どうして」と彼が尋ねるので、夢の中で言われたことと、夢の中で言われたことであることを、正直に伝えた。そして、付け加えた。  「だから、もしもワタクシが病気で入院して余命いくばくもないとわかったら、ワタクシが会いたいという人には会わせてほし

        • 一通の訃報

           半世紀も生きると、訃報に接する機会が増える。  大きなものとしては、自分や配偶者の親だ。ワタクシの場合、父はワタクシが三十九歳のときに他界したし、ダーリンの母は、彼が二十四歳のときに亡くなった。これらのケースは、平均的な年齢よりも早い死であろう。ダーリンの母は、事故死であったし。  ダーリンの父は三年前に鬼籍に入り、夫婦二人の四人の親のうち、最後まで残っているのはワタクシの母のみとなった。今のところは元気でいるが、矍鑠とは言えない。早晩、その日が来るだろう。  それから、

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        記事

          こんな初夢を見てよかった

           めずらしく初夢を覚えていた。そして、その内容が一生忘れないであろうものだったので、ここに書き留めておこうと思ったのは1月2日のこと。  早く書こう書こうと思っていても、なかなか環境が許してくれない。1月中には書きたいと思っていた。だって、初夢の話だから。  ふだんの夢は、比較的に覚えている方だと思っている。noteにも昔の夢の話を書いたことがある。   でも、今まで初夢をきちんと覚えていたことがない。もしかしたら、初夢を見ていないのかもしれない。それすら覚えていない。

          こんな初夢を見てよかった

          居場所

           十一月も半ばを過ぎてから、ようやく初雪が降った。今年は初雪が遅かった。  夏が暑く長く、秋が遠かった。秋が来たかと思えど、秋らしい秋にならない。暑くもなく涼しくもなく、中途半端な日々がだらだらと続いた。毎年、十月後半には初雪のことを考え出すのに、十一月になってもちっとも雪が降る気配がなかった。  それでも、気が付けば空はいっちょ前に冬色に近づき、「これはいよいよ」と思わせる日もあったのに、降らなかった。  空気が、冬のにおいにならないのだ。  雪が降る街に生まれ育って半世紀

          居場所

          「本物」の香り

           化学物質過敏症という、厄介な病を得た。元々嗅覚が敏感で、耐え難い臭いに接すると眉間に皺を寄せていた。でも、それだけだった。しかし、ある日を境に世の中の色々な香りが私にとっては不快な「臭い」となり、体調不良を招くようになった。  天敵は人工香料。柔軟剤、合成洗剤、香水、化粧品、そして入浴剤も。好きだった香りにも耐えられなくなった。雑踏が怖く、にぎやかな場所へは足が向かなくなった。  とは言え、全ての人工香料を避けて生きていくのは不可能だ。回復への道を探り数ヵ月、何とか体調が上

          「本物」の香り

          あの日の約束

           冬が近付くと、思い出すことがある。  私は小学校の二年生だった。父は転勤族で、子どもの頃は引っ越しが多かった。その秋は、記憶する限り三度目の引っ越し、そして初めての転校から二ヵ月ほどが経ったときだった。知らない町へ越してきたわけではなく、幼稚園時代を過ごした元の家に戻ってきた引っ越しだったのだが、転校生の私は友達が少なかった。隣の家に同い年の女の子がいたが、なかよくしていた記憶はない。  それでも、なかよしになってくれた友達がいた。同じクラスのゆうこちゃん。学校が終われ

          あの日の約束

          亡父の書斎で見つけたもの

           先日、老母が入院し、一時の間、実家が無人になった。それを機会に少し実家の中を片付けようと思い、亡父が残した書籍を眺めていた。母がいるときには、書斎に長居しづらいのだ。  父が残した書籍は膨大だ。父亡き後、母は相当数の書籍を図書館への寄付で減らしたが、それでもまだかなりの数が残っている。  父は読書好きで本好きだった。本棚に並ぶ背表紙群のラインナップには、幼い頃から見ているものも多い。読みたい本は多いが、本道楽だった父の蔵書はハードカバーが多く、読書時間の大部分をバスルー

          亡父の書斎で見つけたもの

          銀杏並木とこの国の将来

           北大の銀杏並木を見に行ってきた。  毎年必ず、訪れることにしている。何年来の年中行事になっただろうか。  ワタクシは、札幌に生まれて主に札幌に育ったのだが、残念ながら若い時分の努力が足らず、北大に通うことはできなかった。こんなに環境に恵まれた大学なのに、もったいないことをした。すべては自分の努力の至らなさであるが。  だからという訳ではないが、黄葉の季節にはキャンパスを歩かせてもらっている。  毎年、どんなに遅くとも11月3日までに行かなければ、美しい黄葉は見られな

          銀杏並木とこの国の将来

          YOLOと呟いてみる

           今朝、寝坊をして、最後の砦のアラーム音に叩き起こされた。5時頃に一度目が覚めてからの二度寝だったから、うっかり熟睡モードになっていたようだ。  勤め人の生活ではなくなってから、2年以上が過ぎた。寝坊しても致命的な何かが起こる訳ではないのに、寝過ごすと罪悪感に苛まれるのは、きっとワタクシが真面目な善人だからだろう(笑)  それよりも、久し振りに目覚める瞬間まで夢を見ていた。夢の中の自分が自分だったので、夢の中のワタクシはアラーム音で心臓が飛び出るほど驚いた。「何事が起こっ

          YOLOと呟いてみる

          彼女は何をしているのだろうか

           8月25日は、ワタクシの大切な友人の誕生日だ。大切な友人なのだが、もう何年会っていないだろう。  とても会いたいが、反面、もう一生会えないような気もしている。  でも、ワタクシはあなたのことが大好きだ。あなたのことを忘れない。  どこにいるのかな。何をしているのかな。  お誕生日おめでとう。友へ。すばらしい一年を送ることができますように。あなたなら、必ずできる。

          彼女は何をしているのだろうか

          カラスの知的な遊び

           ワタクシは、カラスが好きだ。だが、カラス好きな人と出会ったことがない。唯一の例外はダーリンだが、カラスが縁で結婚した訳ではない。  ワタクシが思うに、ダーリンは「カラス好き」というよりは、カラスに敵意を抱いていないとか、カラスのことを理解している、カラスを社会の隣人として認めている、という部類だ。  彼は動物に好かれるタイプの人間だ。公園の池を泳いでいる鴨たちが、水際に座っている彼に向かって次々と寄ってきて、彼らから親愛のキスを受けたことすらあるのだ。彼は餌など持ってお

          カラスの知的な遊び

          とある葬儀で

           足元も言動もおぼつかなくなった母を、母の友人の葬儀へ連れて行った。ワタクシの母は83歳。故人は、もう少しで卒寿に届く歳だった。  母の友人であるが、出会いのきっかけはワタクシだ。故人であるおばさんと母は、ワタクシが幼稚園児だったときの、所謂ママ友なのだ。  ワタクシとおばさんのお嬢さんとの間は、まったく付き合いが続かなかった。おそらく引っ越しのせいだろう。小学校へ上がるタイミングで、ワタクシは父の転勤で地元を離れ、その後も父の転勤生活に左右される子ども時代を送っていた。

          とある葬儀で

          Duran Duran "Union of the Snake"

           デュランデュラン(・を入れる表記があまり好きではない)は、真のロックバンドだと、ワタクシは思っている。たまたまルックスに恵まれていたせいで、ビジュアル系と思しき扱いを受けていたけれど、若い頃からロック魂があって、演奏だって上手い部類だった。  あの時代のイギリスのロックバンドにはよくある話で、デュランデュランもメンバーの出入りが激しかった。でも、黄金期は第四期だろう。日本でも最高にもてはやされていた。  第四期を含め、彼等には相当の数のヒット曲があるが、ワタクシはこの曲

          Duran Duran "Union of the Snake"

          Jill Jones "Mia Bocca"

           学生のときに大好きで大好きでたまらなかったミュージック・ビデオを見たくなってYouTubeで探したら、あっさりと見つかった。日本では商業的には全く成功しなかったシンガーだから、彼女を覚えているという人は、かなりの音楽好き、プリンス様好きだと思う(ワタクシは、デヴィッド・ボウイ様とプリンス様に対しては、常に『様』なのだ)。  そのビデオはこちら。 Jill Jones の "Mia Bocca"だ。  夜中のMTVでメガプレイされていた。彼女はプリンス・ファミリーの一員

          Jill Jones "Mia Bocca"