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あの日の約束

 冬が近付くと、思い出すことがある。
 
 私は小学校の二年生だった。父は転勤族で、子どもの頃は引っ越しが多かった。その秋は、記憶する限り三度目の引っ越し、そして初めての転校から二ヵ月ほどが経ったときだった。知らない町へ越してきたわけではなく、幼稚園時代を過ごした元の家に戻ってきた引っ越しだったのだが、転校生の私は友達が少なかった。隣の家に同い年の女の子がいたが、なかよくしていた記憶はない。
 それでも、なかよしになってくれた友達がいた。同じクラスのゆうこちゃん。学校が終われば、いっしょに家路についた。ゆうこちゃんの家は、私の家から子どもの足で五分くらい先にあった。大きな道路まで行くと、向こう側にゆうこちゃんの家が見えた。
 その日は、学校で何かとてもおもしろいことがあったのだと思う。それが何だったのか思い出せないが、帰り道、ふたりとも笑い転げていたことを覚えている。既に初雪を迎えていただろうか。私たちは、帽子をかぶって少し着膨れして赤いランドセルを背負っていた。着膨れしている身体に、ランドセルの背負い紐が窮屈だった。
 「ばら公園で遊ぼうね」
いつもと変わらない約束をした。前の日も、その前の日もそうしたし、次の日もその次の日も、同じ約束をするはずだった。
 いったん帰宅した私は、二階の子ども部屋にランドセルを放り投げ、階下の台所にいた母に、
「ゆうこちゃんと遊んでくる」
と告げて、玄関を飛び出した。
「ばら公園?」
と追ってくる母の声に、
「うん」
と、走りながら返事をした。
 
 ばら公園に、ゆうこちゃんはいなかった。いつも私の方が早く着いた。
 いつも通り、私はひとりで遊び始めた。ゆうこちゃんを待ちながら、ひとりでブランコ、ひとりで滑り台、ひとりでジャングルジム・・・ でも、その日は遊んでも遊んでもゆうこちゃんは現れなかった。
「遅いなあ。先に宿題やってるのかなあ」
そんなことを考えていたような気がする。
 どのくらい待ったのだろうか。三十分くらいだったかもしれないし、もしかしたら一時間以上待ったのかもしれない。夕方が早くやってくる季節は、素手で握る鉄棒が冷たかった。私は、とぼとぼと家に帰った。
 そのあとのことは、実は覚えていない。ゆうこちゃんはばら公園に来られなかったことを、明日もあさってもいっしょに遊べないことを、学校でももう二度と会えないことを私に伝えたのは、母だったのか、近所の人だったのか。それとも、翌日学校へ行ってからはじめて知らされたのか、一切記憶がない。
 ゆうこちゃんは、交通事故に遭ったのだ。あの大きな道路を渡っているときに、車に撥ねられたのだと聞いた。曖昧な記憶の中に、それはダンプだったと誰かが言った断片があるが、今となっては断言できない。ただ、そこには横断歩道がなかったことは覚えている。
 後日、彼女が命を落とした現場の傍に街路樹が植えられ、「ゆうこの樹」と名付けられた。クラス全員で植樹を見守り、そこで私はゆうこちゃんにさよならを告げる作文を読んだ。ちらちらと雪が降っていた。
 
 あれから四十数年が経った。私の実家は今も同じところにあり、ばら公園もある。秋の終わりに公園で戯れる子どもたちを見かけると、あの日から宙ぶらりんになったままの小さな約束が、心の中にそうっと頭をもたげる。
「ばら公園で遊ぼうね」
私はいまだに、夢の中でもあの日の約束を果たせていない。

(2019年作)

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