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居場所

 十一月も半ばを過ぎてから、ようやく初雪が降った。今年は初雪が遅かった。
 夏が暑く長く、秋が遠かった。秋が来たかと思えど、秋らしい秋にならない。暑くもなく涼しくもなく、中途半端な日々がだらだらと続いた。毎年、十月後半には初雪のことを考え出すのに、十一月になってもちっとも雪が降る気配がなかった。
 それでも、気が付けば空はいっちょ前に冬色に近づき、「これはいよいよ」と思わせる日もあったのに、降らなかった。
 空気が、冬のにおいにならないのだ。
 雪が降る街に生まれ育って半世紀以上、毎年冬を迎えてきた。冬には冬のにおいがある。そして、冬のにおいが雪を運んでくる。
 灰色の空が多くなったら、外に出て深呼吸する。冷たい空気が鼻に入る。すると、
「ああ、そろそろ雪が降るなあ」
と、感じる瞬間が来るのだ。そして、そのにおいは次第に冬へ冬へと変わっていき、やがて真冬のにおいとなる。混じり気のない、威厳さえ感じる凛としたにおいだ。
 数年前、十一月の終わりに沖縄へ行った。南国で数日を過ごしている間に、この街では雪が積もった。帰路の飛行機からボーディングブリッジに一歩進んだとき、そこには、出発した日のそれとは違う、凛とした真冬のにおいがあった。それは、自分の居場所に帰ってきたことを教えてくれるにおいだった。
 私は、この土地の冬のにおい、とりわけ真冬のにおいが好きなのだ。
 私たちは敏感ににおいを感じ取る。好きな季節や好きな街は、好きなにおいがするに違いない。そうでなければ、呼吸することすら難しいはずなのだ。
 においは呼吸で感じ取る。呼吸をしなくては、生きていけない。だから、私たちは自然体で生きていくために、無意識に好きなにおいを求め、そのにおいがする場所に住みたいと思っているに違いないのだ。
 この凛とした空気の中で、深呼吸する。それは、私にとって何物にも譲れない日常のしあわせだ。この当たり前がいつまでも変わらず続くよう、願ってやまない。ここで生き続けていくために。

(2021年作)

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