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YOLOと呟いてみる

 今朝、寝坊をして、最後の砦のアラーム音に叩き起こされた。5時頃に一度目が覚めてからの二度寝だったから、うっかり熟睡モードになっていたようだ。

 勤め人の生活ではなくなってから、2年以上が過ぎた。寝坊しても致命的な何かが起こる訳ではないのに、寝過ごすと罪悪感に苛まれるのは、きっとワタクシが真面目な善人だからだろう(笑)

 それよりも、久し振りに目覚める瞬間まで夢を見ていた。夢の中の自分が自分だったので、夢の中のワタクシはアラーム音で心臓が飛び出るほど驚いた。「何事が起こったんだ…」と戸惑っている途中で覚醒し、現実に戻された。残念。

 なぜ残念なのかというと、授業中だったからだ。夢の中でワタクシは、授業をしていた。現実の年数で換算するならば、とても久し振りだ。3年2ヵ月振りくらいだろうか。

 たぶんあれは、就職指導だ。U字ピンを見せながら説明していた。

 「自分のやりたいこと、なりたいものがあるのは大切なこと。でも最初から狙いを定めすぎないで。ピンポイントにせず、せめてU字ピンくらいの幅を持たせて将来を考えて」

 というようなことを言っていた。いいこと言うじゃない、ワタクシ。

 仕事をしていた頃は、似たようなことを授業で話していたけれど、U字ピンなんて喩は思いつかなかった。この夢を活かすところがないのも残念だ。

 学校の仕事、好きだったな。
 ワタクシは対面授業よりもリモートがメインで、そちらを得意としている教員だった。とはいえ、専門学校勤務だったので、教員免許を持っていない。

 退職してから、化学物質過敏症の改善が生活のメインになり、そうこうしているうちに、老母の頼りなさの加速度が増しはじめた。持病に介護となると、それだけで再就職は厳しい。そして、いくら学校が好きでも、教員免許を持たない者の学校再就職は厳しい。自衛隊だったら、そろそろ退役カウントダウンの年齢だし。

 たぶん、昨日ツイッターで学生時代の友人と久し振りに話した(文字で)から、授業の夢を見たのだろう。ワタクシが尊敬する彼女は、弛まぬ努力を積み重ね、高等教育の場で活躍しているのだ。

 さて、ああだこうだ考えていても、結論は自分で出さなくてはいけない。世の中には、持病があり介護を抱え仕事をする人など、めずらしくないはずなのだから。

 必死になって譲れない条件で探すか、妥協ラインを見つけるか。はたまたまったく別の針路を取るか。それも自分で決めなくては。

 YOLO
 人生は一度きりだ。

 

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