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2018年12月福島、夕暮れの浪江駅前<終>

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<続き>

帰りの代行バスが出る1時間以上も前に浪江駅に着き、カフェにも気後れして入れずにいた僕は、改めて駅前を少し徘徊して見ることにした。10月に歩いたばかりだが、2ヶ月前と比べても、次々に家が解体されていると聞いていたからだ。駅から見える風景も、少し変わっている。

浪江駅から右側(南側)を見る。お昼に駅前で様々なダンスを披露していた中学生たちは、この時間になってこの道を向こうからゾロゾロと歩いてきていた。おそらくそのまま役場に向かい、バスで避難先に戻るのだろう。
この道にも廃墟が立ち並ぶ。しかし中学生はそれを気に止めることもなく、ひたすら話に熱中していた。駅前に並ぶ廃墟が完全に日常と化している。非日常が日常になることのおかしさ。シュールにさえ見えて、つい苦笑いが出てしまう。

5月と風景が違っていたのはここだった。駅前の西病院の解体がいよいよ始まっていた。

(浪江幼稚園も解体されるようだ)

「僕はずっと見ていたよ」
自然と涙が出た。

(北深町の公園)

10月は雑草に覆われていた浪江小学校の校庭は、整地され駐車場になっていた。ふるさと祭り。

ふるさとは廃墟になりにけり。

どんな心情だろう。

ドローンで宅急便。イノベーションとかほざくのかな。

夕焼けの空も相まって、切ない風景ばかりが並ぶ。
浪江駅前はしっかりと除染されており、空間線量は0.2〜0.4μSv/h程度で推移している。しかし何より、富岡と比べて圧倒的に廃墟が多く、人も戻っておらず、ひたすら寂しい姿を晒している。事実、帰還者数(移住者含む)は未だ800人足らずだ。こんな状態だが、避難指示解除された場所の元の住民は「自主避難者」である。帰還困難区域でさえも2020年には住宅支援が打ち切られ、「震災避難者」のカウントからはずされてしまう。これは「福島県」の方針だ。内堀知事は「福島は復興した」と嘯くが、それはつまり避難指示が出された地域の現状を無視し、その地域の住民だった人々を切り捨てるということだ。

(駅前の撮影をしているうち、16:28の代行バス出発時刻になった)

帰りの代行バス車中のモニター。車内の空間線量が出ている。0.05μSv/hだが。

しかしガイガーフクシマはこの数値だ。

双葉町へ入るとこの数値。2.34μSv/h。

しかしバス車内のモニターは0.41μSv/h。

帰りのバス車内の最大値はこの数値。一瞬6マイクロを超えたあと数値が点滅し、16カウントの再測定ののち4.67μSv/hを叩き出した。行きは大熊で最も高い数値が出たが、帰りは双葉で最高値。道路の右と左でも汚染度が違うということかもしれない。

(日は暮れていく)

富岡からいわきへ向かう列車も特急列車。シートの座り心地は素晴らしい。元原発作業員の友人Kさん曰く、「これでご機嫌とってんだ」

広野駅前。コンクリで固められ、前橋駅前のようになっている。僕が2015年3月に訪れた時とは違う場所のようだ。しかしこれだけ立派に整備しても、この駅で乗降する人数はたかが知れている。

いわき駅に到着し、コインロッカーから荷物を出して、帰路についた。今回は靴が比較的いいものだったおかげか、それほど足は疲れていない。

今回も様々なものが吸収できた。ここからどうアウトプットしていくか、しっかりと考えよう。

帰宅後、靴と手袋は処分し、服は1時間かけて洗濯、シャワーとひたすら自分を除染する。リュックも洗濯され、とにかくうちの奥さんは徹底している。夜の11時をすぎてようやく夕食となり、いわき駅でゲットした又兵衛で一献。

以前にも書いたかもしれないが、相双地域では非日常が日常であり、また、人体実験としか思えないような異常なことが普通に行われている。何回行っても似たような感情に襲われ、その不条理に地団駄を踏まずにはいられない。東電関係者が「福島を差別するな」と嘯き、自己正当化を諮りながら避難者や放射能を忌避する人を平気で傷つける。そんな今の日本、福島は明らかに異常だ。こういった現状を訴えていく作業は、実は絵描きとしては何の得もないどころか、敬遠さえされるが、僕は続けていこうと思う。失うものはないのだから。「福島は復興した」と愚かなツイッター民だけでなく首相や知事までがデマまがいの言動を平気で行なっているが、まだまだより多くの人が関心を持っていかねばならないと思う。

<終わり>

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