世代を超える隠れキリシタンの記憶

キリスト教の一派カトリックは戦国時代の最中に伝来したと言われていますが、その後豊臣秀吉、徳川幕府の禁教令で信者は迫害されたため、表向きは仏教徒として振る舞い、隠れキリシタンとして信仰をつづました。
時代は変わって幕末に、修好通商条約が結ばれ、宣教師が再入国できるようになり、長崎に大浦天主堂を建てたところ、隠れキリシタンが名乗り出て、神父が腰を抜かしたという事件がありました。
歴史としてより、こんな能力が人間にあるという視点から書きたいと思います。

安土桃山時代から江戸時代まで、政治的な弾圧が行われた後のキリスト教信者たちは、公には教会がなく、集落や家族で密かに教えを受け継いでいったようです。
200年くらいにわたって、多くの人の目に触れず、指導者もいないからか、元々の教えから変質していったとされています。

迫害しまくっていた江戸幕府も、黒船来航のあたりから、外国の圧力に屈し、欧米各国と修好通商条約を結びました。
これにより、宣教師の殉教の可能性が事実上乏しくなり、フランスから宣教師が派遣され、長崎の地に大浦天主堂を建てました。
この時教会を訪れた隠れキリシタンの人たちが、神父に禁令下で自分たちは信仰を守り続けたことを告白し、仰天したという事件が起こりました。(「長崎の信徒発見」と呼ばれているそうです)

天主堂にあった像などからキリスト教の教会、神父だとわかったそうです。

神父など見たこともない人が、それとわかるということは、重要な情報として世代間で受け継がれてきたのでしょう。
ただ、時代背景から、出版したり、大規模な記録を作ったりするのは難しかったでしょうから、限られた記録、ともすれば口伝によるものもあったのではと想像します。(詳しい方、記録があったりしたら、ご指摘ください)

ある世代の隠れキリシタンから見ると、受け継がれた出来事(再び別の信者/宣教師が現れる)の情報が、自分の代で起きるかもしれないと考えていたということですね。

自分の祖父、父でも起こらなかったのであれば、それを後世に残す意味ってなくなっても不思議ではないのかなと思います。
つまり、直接経験したのでもない、起こるという確証もない、概念みたいなものが保存されていたということですね。

社会学的な視点からはそれますが、
人間は、重要な考えについて世代間で知識を継代していく能力があるということだと思います。

以下は妄想に近い話としていただければと思いますが、
自分が受けたネガティブな記憶は残りやすいことはわかっています。

一方で、医者の中では、「こんなひやっとした症例を経験した」といった会話は日常的にしています。
自分は未経験でも記憶に残っているものって多いんですよね。しかもよく話します。
うまくいった経験より多く話すかもしれません。

実際自分が体験していなくても(つまり人聞きでも)、リスクに関わる情報は世代間や個体間で保存・共有されやすい神経学的な基盤があるのではないでしょうか。
(わかる人がいらっしゃれば教えてください)

余談ですが、隠れキリシタンの話は、
大学で研究テーマとして取り組んでいるお友達の大学院生から聞きました。

隠れキリシタンの多かった町に行って、インタビューを中心に地道にフィールドワークを行うそうです。

「大学に行って意味があるのか」と人気のあるテーマとして取り沙汰されます。
確かに、ヒトゲノムの解読に成功したのは、アメリカの民間団体だったり、
NASAが民間企業にロケットを発注するなど、研究開発系は大学以外でやられているものも多いです。

しかし、隠れキリシタンのフィールドワークを民間企業がやると、
訪問営業とか詐欺師と間違われて、まともにできないのではないでしょうか?
大学の肩書きがあると、受けいられやすそうですよね。
僕は社会科学の一部には、やはり大学や研究機関でないとできないことがむしろ多いように思います。

話を戻すと、
人間の学習とか、記憶とかの観点から見ると、人間とは何かに迫るポテンシャルがあるように思います。
(ちょっと知らない部分もあるので、一概には言えませんが)民俗学の一領域としては惜しい、素晴らしいテーマと思います。