二匹大介

特になし

二匹大介

特になし

最近の記事

かけ算たし算だけでなく、ひき算わり算においても、式の順序に関係なく文章題は解ける

かけ算や、時にはたし算にまで、文章題の解答の式の順序に文句をつける指導…例えば、2が3つだから3×2はイカンと添削・減点したり、最初に5人いたところに4人来たんだから4+5はよろしくないという…そういうおかしな算数指導がこの世にはあるわけですが、まあ、もちろん2×3でも3×2でも5+4でも4+5でも、どちらで計算しても正解を得ることはできる。 そして、どちらの順序の式で文章題を解答したとしてもそれを正解とすることを文科省は否定も禁止もしていないし、そんな当たり前のことを否定も

    • ドキュメント今日

      思い立って、朝、近所を散歩してみた。 理由は、運動不足による肉体の衰えと、死への恐怖である。 近所の道とはいえ、どの道がどこにつながるか全て把握しているかというと、私は把握していない。 ふだん行かない方に行くと、おや、駐車場になっている、おや、廃墟になっているということがあるわけで、そんな廃墟の庭にセイタカアワダチソウが生えている。 さらにふだん行かない方に歩いて行くと、どこかの家の壁に干し柿が吊るしてある。と、思ったら、それは、橙色のプラスチックのハロウィンのカボチャであっ

      • 『北の国から』ってあるだろう

        「『北の国から』ってあるだろう」 「テレビドラマの?」 「そう」 「倉本だけに?」 「なに?」 「いや、続けてくれ」 「あれを、全く同じ話で、だけど、全部違う配役で作り直して放映したら、どうだろう?」 「同じ年数かけて?」 「うん」 「子役から?」 「もちろん」 「ダメだろう...でも...」 「でも?」 「ちょっと観てみたいな」 「それでね。全く同じ話で全部違う配役と言ったが、もう一つ、全員が全場面で首から下駄をぶら下げている...そんなテレビドラマにしたいんだ」 「なんだ

        • 掛け算順序〈迷信〉 その奥義と解消

           掛け算順序〈迷信〉とは、掛け算の順序を固定し強制する指導から生まれた思い込みや勘違いによる非論理的な言動の総称ですが、様々な段階や形態のものがあり、その有り様は一概には言えません。  掛け算の順序を固定し強制する指導とは、小学校の算数の授業で行われたりもするので、まあ、ご存知の方も多いでしょうが、例えば、兎が3匹いれば耳は全部で何本?という文章題で解答欄に書く式は ・2×3 なら適切 ・3×2 なら不適切 ということになっておりまして、もし生徒が3×2と式を書けばバツに(ま

        かけ算たし算だけでなく、ひき算わり算においても、式の順序に関係なく文章題は解ける

          肌の丘

          急に寒くなり、あちこちから引っ張り出されて駅のなかへと一斉に広がった冬支度の雑踏を、割くように颯爽と歩く、衣から突き出した二本の脚。 肉体美はもちろん女性だけのものではないが、もしも男性肉体のなかで選ぶのならば、素のままでこれほど注目を集める部位が、「脚」であることはないのではなかろうか。 そんなことよりも重要なのはコロナコロナと言いながら今日も電車はそれなりに満員で、そしていま目の前に「禿頭」があることである。 面と向かって言うのもなんだが、これも、いや、これこそ、男性を代

          美しい男は、玄関で靴を脱ぐと、さわやかな風のように部屋の中に入ってきた。 男の周りを、くるくると飛び回る天使が三匹、桃色の花びらを宙にまき、ラッパを吹きならしていた。 「紹介するわ」 とまり子がいったので、父も母も、驚きや警戒の色があからさまになってしまった顔つきや居住まいをとりあえずは正して、その美しい男をしばらくは黙って紹介されているより他になかった。 「いや、しかし、実に、美しい」 と父が 「本当に美しい方ね」 と母が、同時に、偽らざる感想の言葉を思わず口から漏らした

          並行世界の幻影城城主「木崎ゆきお」その〈まったく同じで異なる世界〉

          出会いは、突然だった。 その日、朝から図書館で、様々な新聞をひたすら黙々とめくり続けていた二人は、思わずお互いの顔を見つめた。 日本各地の新聞四コマ漫画を読んでみよう。 そんな思いつきのままに、私と友人は、千九百九十七年(平成九年)の二月三日日付の各紙新聞四コマ漫画をひたすらコピーする閑事業に取り組んでいた。 なぜその二月三日を調査対象に選んだかは覚えていない。 図書館に行った当日がその日だったか。あるいは、その当時当日において参照しやすい数日前の、新聞四コマで取り上げられや

          並行世界の幻影城城主「木崎ゆきお」その〈まったく同じで異なる世界〉

          掛け算順序のある社会を生きる

          我々が「我々」と言ったり「住んでいる」と言ったりしながら住んでいるこの日本語の世界には、小学校というものがあり、算数が教えられていて、そこでは、掛け算の順序についてのこだわりが、伝承されている。 私も1980年から1986年までは小学生だったので何となく覚えているが、「日本の小学生向け教科書、学習参考書に例示されている式は「1つぶんの数×いくつ分」の順序にほぼ統一されている」 そして「1つぶんの数×いくつ分の順序で書かれている式のみを正解とする」つまり、その順序で掛け算の式を

          掛け算順序のある社会を生きる

          いつまでも

          いつまでもこうやって続いていくのだろうか。 この長い廊下をひとりで歩いている時にはそう思うことがよくあった。 窓の外は、陽の光によって輝いているが、遠く連なる木立の彼方の空の色は冬の外気の冷たさを、思い起こさせた。今日の予定では、肌身に寒冷を感じる機会はさて...あっただろうか。 「いづれの時」 それは、今の私の時である。そうでなかった頃のことをつい最近のことのように、そうである今をはるかむかしのことのように、時間の遠近を逆に感じる錯覚に懐かしさを認めながら、廊下の角

          いつまでも

          音楽が終わり、かわりに音声が船内に流れて、飛行船が目的地の上空にさしかかったことを説明し始めました。 「......目的地の上空に入りました。もう大昔の出来事になってしまいましたが、今を去ること......」 地上には黒い海のような巨大な穴が、果てしなく、どこまでもひろがっていました。 「......この大きな穴が地上に生まれた時、なぜこのような穴が出現したのか、どうやって出来たのか、かつてそこにあったものはどこへ行ったのか、多くの疑問に対して、無数の調査、研究が行われました

          差別

          みんな家に帰ってがらんとした教室に先生が入って来た時、ぼくは自分がよそ見をしていたことにはっと気がついて、すぐに黒板の方を見たのです。 窓の外は陽の光がさしていて誰もいない校庭はとても静かでした。 先生は怒っている風ではなく、しかしいつもとは違ったよそよそしい顔つきで、ただ「できましたか?」と言いました。 ぼくは、机の上の原稿用紙に目を落とし、題名と自分の名前と、とちゅうまで書きかけた最初の一行をもう一度読んで、それからまた消しゴムで文字を削りました。 先生は教壇から降りてき

          細い靴音

          あれは世間が氷上に輝く彼の才能に注目し始めた頃のことでしたから確かそう今から五六年前のことになりますでしょうか。元来わたくしは世事に疎くまた野球を始め相撲サッカー卓球フットボールマラソンなどなどのスポーツを観戦する習慣がまるで無い種類の人間で御座いましてスポーツ選手の活躍といった事柄は普段なら振り返ることもなく通り過ぎてしまう数多くの情報のひとつに過ぎなかったでありましょう筈のものをその時たまたま何の気なしに点けてみたテレビの画面がいままさに一人の男子アイススケート選手が氷の

          細い靴音