細い靴音

あれは世間が氷上に輝く彼の才能に注目し始めた頃のことでしたから確かそう今から五六年前のことになりますでしょうか。元来わたくしは世事に疎くまた野球を始め相撲サッカー卓球フットボールマラソンなどなどのスポーツを観戦する習慣がまるで無い種類の人間で御座いましてスポーツ選手の活躍といった事柄は普段なら振り返ることもなく通り過ぎてしまう数多くの情報のひとつに過ぎなかったでありましょう筈のものをその時たまたま何の気なしに点けてみたテレビの画面がいままさに一人の男子アイススケート選手が氷の面を滑っていくあまりに鮮やかな雄飛滑走の場面であったため息を呑み目を奪われ遂にはそのまま最後まで見続けてしまったのです。そう。そればかりでなく翌日「君村優希」という名前と彼の撮影写真を新聞紙上にみとめた時に一体あの素晴らしい一連の躍動の中からどういう根拠があってわざわざこのような的外れな隙だらけの締まらない姿形をあえて選び出すのかこれはきっと選手の輝く瞬間を快く思わない老いぼれて濁りきった新聞媒体というものの驕り高ぶった観る目の無さ心の狭さ嫉妬ひがみ邪心浅ましさに由来する迷蒙の産物に違いないなどとしばらくは本気でそのように考え憤慨していたくらいで御座いました。当時わたくしはとある都内の運河と倉庫の間にある今では取り壊されてもう痕跡はないと聞いておりますが赤茶けたビルディングの一室に勤務する毎日を送っておりました。わたくしの職業につきましてあまり多くを語るつもりもないので御座いますが一つだけご説明しておいた方がよいかと思うのは一つの場所に大体二三年くらいみじかくて半年ながくても七年くらいでしょうか。そのように勤務致しておりまして契約が終わればまた別の場所に人間関係もその度に変わるというようなつまり比較的場所やお付き合いする方々の変転の多い年月を私は重ねて来たのだということをあらかじめ申し上げておきましてからその夜に起こった出来事についてお話させて頂きたいと思います。

その日は仕事を終え執務室を出たのが夜の八時ぐらいだったと記憶しております。当時は場合によっては終電ぎりぎりとなる勤務状況で御座いましてそのせいもあってやや早く帰れているという緩んだ気持ちと少なからず疲労も覚えている状態でわたしはトイレに立ち寄り用を済ませその後出入り口を少し隠すかたちで立っている衝立のような壁(髭を蓄えシルクハットを被った紳士の絵が奇妙に細かく丁寧に描かれたデザインであったのを覚えています)の陰から出ると相変わらず電灯に照らされ夜も昼もなく妙に白々としている廊下をその細長く区切られた窓のない空間をエレベーターの方へ向かって歩いておりました。わたしの前には爽やかな若者(とはいえ三十代だとは思います)がひとり刈り上げた後頭部をこちらに向けたまま向こうへ向かって歩いておりました。そのままの廊下の突き当たりの休憩室へと消えていく後姿を見送りながらふいにむかし同じ部屋に勤務していた私の席の隣にいた青年の快活で押しの強い「感じ」を思い出しました。

息を吸いながら「誰だったか」誰だったかなあ「どこの会社の」人だっただろう。歯と歯の隙間から息を吐きながら「あの会社の人たちは飲み会の時に三人揃って同じネクタイをしてきた」過去から一緒に仕事をしたことのある人々の印象の色々が「休憩室で窓の外を見ながら屋上から投身した男と目があう話をした」あれは夜勤をしていた頃だ「カバンを机の上に置いてイヤァ〜暑い」と笑っている顔や声「感じ」を手掛かりにして誰かの姿があらわれる「営業担当で」仕事に慣れ始めていた「若い切れ者の上司がいて」その人の前では緊張していた「外から帰ってきて」汗を拭いて...「ガタッ」と開いた扉の音にはっと気がついてエレベーターから外に出た時わたしは私が追いかけていた快活な青年の「感じ」が誰であるかをはっきりと理解しました。
アイススケートの選手「君村優希」だ。
理解すると同時に過去から呼び寄せられた様々な印象の断片たちが織り成されて産まれようとしていた誰かは消滅しました。
「彼」は出会ったことのある存在ではない。私は確信しました。

長い間ご苦労様でした。ラジオのパーソナリティのお仕事の大変さはわたくしのようにただ聴いているだけの身には想像の域を全く出るものではありませんが偶然わたくしも同じ時期に勤務地が変わることもあり寂しさと環境が新たに変わることに向かう心の動きを重ねながら最後の放送回を聴くことになりそうです。第一回の放送から拝聴することが出来てまたわたくしのちょっとどうかと思うような投書を何度か取り上げて頂いたこともあり嬉しさと心安さから又ついつい長文をお送りしてしまったことを深くお詫びしながら最後にちょうどこの時季にこのラジオ番組で教わった曲をリクエスト致します。大瀧詠一で「レイクサイド ストーリー」。

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