並行世界の幻影城城主「木崎ゆきお」その〈まったく同じで異なる世界〉

出会いは、突然だった。
その日、朝から図書館で、様々な新聞をひたすら黙々とめくり続けていた二人は、思わずお互いの顔を見つめた。
日本各地の新聞四コマ漫画を読んでみよう。
そんな思いつきのままに、私と友人は、千九百九十七年(平成九年)の二月三日日付の各紙新聞四コマ漫画をひたすらコピーする閑事業に取り組んでいた。
なぜその二月三日を調査対象に選んだかは覚えていない。
図書館に行った当日がその日だったか。あるいは、その当時当日において参照しやすい数日前の、新聞四コマで取り上げられやすい行事のある日を選んだのだったか。
その日の作業に参加できない友人もいた(さぞや無念だったことだろう)ので、そんな仲間たち(とはいえ約一名)と世界の真理を分かち合うためにも、せっせと新聞をコピーしていた作業の手が止まり、「おや?」と不思議な光景に、四つの目玉は吸い寄せられることになる。

それが「木崎ゆきお」との出会いであった。

以下に1997.2.3(月)奈良新聞朝刊(15面)きざきのぼる『あきれたとうサン』第229回の一コマ目を引用する。

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ややミステリアスな出だしだが、彼が本編の主人公あきれたとうサンなのだろう。タイトル文字の下でコタツでうたた寝する姿の愛らしさ。全体に一目で新聞四コマ漫画らしいと思わせる熟練の趣きある安定した筆致である。主人公の年齢表現にご注目頂きたい。いっぽう、同日の神戸新聞夕刊(9面)に掲載された木崎征夫『アッパレ君』はこのように始まる。

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先程の漫画の主人公よりは若い。しかし、もしかしたら若き日の姿なのではないかと思わせる程、このアッパレ君の佇まい、靴、服装、姿勢、手にしたビニール袋、散歩紐のたるみは、先程の禿頭紳士に似ている。もしかしたら犬も同じ犬もしくは先代かもしれない。不思議なことに、これだけ似ていながら、トイレのマーク、金棒の太さ、犬の顔の角度は微妙に違っている。
あとは、タイトルと作者名と掲載紙くらいにしか違いはない。では、さらに、もう少し上空からこの二つの世界を眺めてみよう。

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千九百九十七年二月三日、まだ様々なサービスが世界をつなぎ合わせてはいない、インターネット前夜の奈良新聞の朝と神戸新聞の夕を遥かにまたいで、同日に会した異なる時空間の、鮮やかで不思議な感応がここにはある。
何という奇観であろう。
特に三コマ目、正に「転」というべき、驚きの展開。そこから二つの世界は、『アッパレ君』でも『あきれたとうサン』でもない別の人物が豆を撒く場面に転じ、しかもそこに先の二つの世界にもいた同じ鬼が現れるのだ。ん?同じ鬼なのか?…よくみると、三コマ目の外壁の点、四コマ目の豆の散らばり方、鬼のスイングの勢い、歯のくいしばり方は微妙に違っている。

図書館内の新聞コーナーであらためてお互いの顔をみつめた私たちは、先程とは違う目的を持って、また、新聞をめくり始めた。

そのようにして確認された1997.2.4、2.5、2.7掲載の新聞四コマ漫画作品『あきれたとうサン』(奈良新聞朝刊)および『アッパレ君』(神戸新聞夕刊)における細部の異同を検討しながら、本論では、これらを、後述する理由から「木崎ゆきお」作品であると考えたうえで、この芸術の意味について、考えてみたい。

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上の図版、右は1997.2.4(火)奈良新聞朝刊(15面)『あきれたとうサン』、左は同日の神戸新聞夕刊『アッパレ君』(9面)。
たまごっちが懐かしい。あきれたとうサンは「たまごっち」と括弧に括って言うが、アッパレ君は、単にたまごっちと言う。流行りものへの感受性の老若差を表しているようで面白い。社長の目、側頭部の髪の量、女性社員の服の色、ドアノブの位置。カバーをかけて社長椅子らしさを醸し出す演出は同じだが、よくみると微妙な皺の相違がある。台詞の相違(二コマ目)がお悔やみの言葉であり、そこには、主人公たちの微妙な心情表現の差や、心情表現に差が出るならお悔やみの言葉だろうという作者の人情についての見解が、読み取れるように思われないでもない。吹き出しの形の相違がこの並行世界表現の白眉だろう。
主人公の同情はさいご憤慨に変わって幕となる。主人公は、たまごっちなるもの哀悼を捧げるに足らず、とばかりに社長と袂を分かつが、よく考えてみると、主人公にとって、生き物には他に変え難い唯一無二の固有の希少性がありそれが死によって失われてしまうのは悲しく同情に値するが、たまごっちにはそんな固有性はなくその死は同情に値しないのである。他に変え難い唯一無二の固有の希少性。そう考えると、社長がたまごっちに寄せる同情は極めて意味深なものに思えてくる。よく考え過ぎか。深読みついでに贅言を費やせば、もしかしたら、この何もかもがあちらとこちらにある世界の中で、たまごっちだけが、卵型の容器の奥でひそかに同一性と一貫性を保持し続けているのかも知れない。

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上の図版、右は1997.2.7(木)奈良新聞朝刊(19面)『あきれたとうサン』、左は1997.2.5(水)神戸新聞夕刊『アッパレ君』(11面)。
長期連載作品には、本来の主人公は脇に退き、それ以外の人物が中心となって物語が展開する例が多くみられる。上の例もそれにあたるが、これほどまでに〈主人公以外の人物で展開された物語〉の部分が、二作品間で相違がないと、この〈受験生が塾講師に電話をかける物語〉は、もしかしたら同じ時空にある同じ物語であり、そこに、あきれたとうサンとアッパレ君が通りかかっただけではないかとも思えてくる。
なお二月五日と七日については以下のように日をずらして二世界の連動がみられる。
①1997.2.7『あきれたとうサン』=1997.2.5『アッパレ君』
②1997.2.5『あきれたとうサン』=1997.2.7『アッパレ君』
後者②の引用は割愛するが、内容は、我らが主人公(あきれたとうサン、アッパレくん)の朝寝継続とそれに業を煮やす主人公の妻(微妙に容姿の異なる)の物語である。

あれから二十三年経って二千二十年になったが、わかっていることはそれほど多くはない。ウィキペディアの「木崎ゆきお」の項目によると、木崎ゆきお、きざきのぼる、秋里とんぼ、あきさとる、秋さとる、前田ひろしは、同一人物が用いている筆名とのことである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%B4%8E%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%8A

また、現在は存在しないWebページだが、二千六年に調べた時には木崎ゆきお、きざきのぼる、きさぎのぼる、木崎征夫、秋里とんぼが同じ人物の異なる筆名とのことであった。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~shinbun/notebook/001.html

以上の情報では「木崎ゆきお」の筆名が代表的なものとしてあげられていることに因んで、本論では、『あきれたとうサン』『アッパレ君』を「木崎ゆきお」作品と総称する。

「木崎ゆきお」作品はどのようにして成立したのだろうか。どのような広がりと展開をみせているのだろうか。

私は答えを持っていない。

新聞四コマ漫画の書籍化、特に地方紙に掲載された作品の書籍化は、世の慣例となってはいない。『あきれたとうサン』も『アッパレ君』もやはり本にはなっていないようだ。古本市場には新聞読者の切り抜きよる四コママンガ集が出品されることはなくはないようだが、作品の総体を知るための近道は、過去の新聞にあたり、掲載作品間の異動を確認すること...になるだろう。

異作品間における同一内容の転生とそれにより生まれた並行世界について、大著が編まれ、「木崎ゆきお」作品の全貌が明らかになる日が来ることを、夢想しつつ期待したい。

この世の中には「木崎ゆきお」作品以外にも、別作品をまたいだ同一内容の展開の例はあるのだろうか。なかなか「木崎ゆきお」作品のような条件(日刊媒体への同時連載による、同一内容展開の即日性)を満たすことは難しいと思われる。

なお、異なる新聞紙上に、同時期に同じ漫画作品が連載されること自体は、珍しくないようだ。1997.2.3にみられる例を本文末尾に付言としてまとめた。

あの日図書館を出て家路に着いたその家路の果てに現在の私がいるはずだか、その狭くて細い道は、世界の片隅を自分の領地とする有象無象が大手を振って往来する大道と、決して交わることの無い小道だったとは言えないだろう。焉んぞしらん、遠ざかる人生の並木道のなかで、一個人の影は一人のあきれたとうサンであり、同時に一人のアッパレ君でもあったのだ。


付言。異なる新聞紙上に、同時期に同じ漫画作品が連載される1997.2.3の例。井田良彦『ヒラリ君』は六紙(注1)に掲載されている。(手作りしたお面が何だか弱そうな鬼になってしまい苦笑する主人公。好事魔多し。クラブ通いが店の名刺により発覚。鬼のように怒る妻)。新聞マンガ研究所の新聞マンガデータベースによれば、1997年には同作品は、他にも八紙(注2)に連載枠を持っていたようである。1997.2.3には、他にも佃公彦『ほのぼの君』(三コマ漫画だが)が四紙(注3)。にしみやおさむ『トマトさん』が四紙(注4)。かずあきお『のんびりさん』が二紙(注5)で同日に同内容だった。しかし、吉本どんと『こつぶちゃん』は二紙(注6)で連載していたが、1997.2.3の内容は、異なっている。また、ウィキペディアに「木崎ゆきお」の筆名の一つと記載のある秋さとる『トンガリ君』が三紙(注7)に同日同内容が掲載されている。主人公の家族が撒く豆を、路上で鬼が、もったいないといいながら掃除機で吸う。タイトル文字の下で、トンガリ君はコタツに入っていて、卓上に眠る犬を眺めている。コタツには、あきれたとうサンやアッパレ君と同様に、板がない。

(注1)熊本日日新聞朝刊、大分合同新聞夕刊、日本海新聞朝刊、信濃毎日新聞朝刊、山陽新聞朝刊、北國新聞朝刊
(注2)河北新報朝刊、新潟日報朝刊、南日本新聞夕刊、沖縄タイムス夕刊、京都新聞夕刊、高知新聞夕刊、富山新聞朝刊、静岡新聞夕刊
(注3)徳島新聞朝刊、西日本新聞朝刊、中日新聞朝刊
(注4)南日本新聞朝刊、神戸新聞朝刊、岐阜新聞朝刊、京都新聞朝刊
(注5)山陰中央新報朝刊、中國新聞朝刊
(注6)静岡新聞朝刊、山梨日日新聞朝刊
(注7)長崎新聞朝刊、宮崎日日新聞朝刊、福井新聞朝刊

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