差別

みんな家に帰ってがらんとした教室に先生が入って来た時、ぼくは自分がよそ見をしていたことにはっと気がついて、すぐに黒板の方を見たのです。
窓の外は陽の光がさしていて誰もいない校庭はとても静かでした。
先生は怒っている風ではなく、しかしいつもとは違ったよそよそしい顔つきで、ただ「できましたか?」と言いました。
ぼくは、机の上の原稿用紙に目を落とし、題名と自分の名前と、とちゅうまで書きかけた最初の一行をもう一度読んで、それからまた消しゴムで文字を削りました。
先生は教壇から降りてきて、ぼくのかたわらに立ち、ぼくの文章の題名のところを指で差して、それを読みあげました。
それからその後にぼくの名前を呼んでから
「題名のなかに"差別"って言葉を入れたのは...」
ぼくは先生が軽く指で押さえている"差別"という文字を見ていました。
「...どうして?」
「ぼくが差別をしたからです」
ぼくは答えました。
「ぼくは、なぜ、差別をしてしまったか、ぼくはこれから、どうすれば差別をしないか、考えましたが、それは、」
先生は黒板の方に歩いていきながら、教壇に上がって、ぼくの話をさえぎるように
「君は」
と言いました。
名前ではなく「君」と呼ばれることがあまりなかったのでぼくが少し驚いて顔をあげると、先生はぼくの後ろの方の、遠くの方を、見ているような目で、しかしぼくを見つめていました。
「本当に心から、差別をいけないものだ、と思っているのだろうか。どうだろう。君だけじゃない。みんな、ただ、駄目だから駄目だ、と思っている、そうではないのかな」
先生は教卓から手を放しおもむろに教壇の上を歩き始めました。
「例えば、この世に存在しない心の中だけの、この世に存在しない架空の人を、差別するのならどうだろう」
身体の向きを変えて窓の外の方を見ながら
「それだったら、それはいけないことだろうか。差別は絶対にいけない。しかし、もし、その差別が、この世の中に存在しない、まったくの架空の人だけを差別するのだとしたら、どうだろう」
先生はまた教卓に手をついて
「君は、いけないことをした。そして、それに気がついた。これからは、いけないことをしなければいいのですよ。君は...」
先生はぼくの住んでいる町の名前を言った。
「...だったね」
ぼくはうなずいた。
「さあ、行きましょう」
先生は、教壇から降りて、いつもの柔らかい表情で笑いながら
「確か君の家の近くにも、架空の人たちがいたはずです」
先生が近づいて来ます。
窓の外は陽の光がさしていて誰もいない校庭はとても静かでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?