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【短編】『僕が入る墓』(遡及編 五)

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僕が入る墓(遡及編 五)


「ああ、やけどどうすりゃあいい。米がねえんじゃ生きてくこともできねえ」

「諦めんとき――」

 太助は地主に顔が効くためなんとか小作料をまけてもらっていたが、又三郎はそうはいかないのだ。太助はどうすれば良いかわからなかった。いくら又三郎を宥めたところで、彼の貧しい生活は変わらないのだ。

「なあ、地主の久保田はんにおねげえしてみるってのはどうや? もう少し小作料さ減らしてくれと」

「そうやな。それがええ」

 太助は何か大事なことを話す前かのように黙り込むと、又三郎に向かって言った。

「実は、おら畠さ返してもらおうと思っとるだに」

「畠?」

「ああ。あの畠、元々おらのやったんや――」

「そうやったのか――。返してもろてどうすんのや?」

「おら商い始めたい思うとる。久保田はんにはお世話になったけんど、これからはおら一人でなんとかやって税納めよう思うとる」

「おめえ、そりゃ大変なことやぞ? 外の物価舐めちゃあかんで?」

「わかっとるだに――。でもおらの家も厳しいんや、そうするしかなかろ?」

「――」

「それに、なぜか家の朱印忘れた思うとったら、この机においてあったんや。やっぱし運命なんや。天がそうしろ言うてんのや」

 清乃は太助の話を聞きながら、母が自分に預けた小包に入っていたものが朱印であったことを知った。同時に母が中身に関して何も言わなかったのも納得がいった。話が聞こえなくなったかと思うと、突然椅子を引く大きな音が響いた。清乃は即座に建物の裏手へと回って身を潜めた。

「んじゃ。行こうか」

「ああ」

 二人は清乃に気づくことなく、真剣な眼差しで茶屋を去っていった。

 屋敷には久保田はんはいなかった。代わりに商いを任されている重役のような者に話をさせてもらえるとなり、屋敷の奥へと案内された。屋敷の中は、部屋が数え切れぬほどあり、中で働く者たちが忙しなく行き交っていた。その広さは、戦国時代であれば大名の家と肩を並べられるんじゃないかと思うほどだった。

 客間に案内されると、太助と又三郎は置かれていた椅子にそれぞれ深く座った。何も言葉を発することなくただ険しい顔をこちらに見せてくる重役に二人は圧倒させられていた。身なりの良い又三郎への目つきはなお一層厳しかった。おおよそ商いの取引でももちかけられると思っているのだろう。太助は小包から小さな朱印を取り出し机にそっと置いた。

井上

と掘られていた。太助は又三郎の方を一度見ては深く息を吸い込んで言った。

「うちの朱印でござんす。実は――、畠さ返してもらいたく、地券さ見せてくれねえかと思い――」

「畠を返せと?」

「へえ」

 重役はしばらく黙り込むと、険しい目つきで言葉を放った。

「そりゃ困る話や。だいたい買う金はあるんか?」

「金はありゃしませんが、米なら貯めた分がありやす」

「どのくらい?」

「二俵ありやす」

 太助は二俵も米を持ってはいなかった。もしこれで畠を買い戻せることさえわかれば、村人に米を少しずつ恵んでもらえないか頼み込むつもりだったのだ。

「だめや。十俵はもらう」

「十俵――」

 太助にとって米を十俵貯めることは今までにない一大事だった。久保田はんには毎年収穫量の七割は持っていかれ、残りの米でも家族を養うことさえ危うかった。米を十俵貯めるには、仮に毎日の食事の量を切り詰めたとしても、あと三十年は見積もる必要があった。太助は思わず息を漏らして落胆した。

「そうですか。ちと十俵は大層な量なんで、もういっぺん考えさせてくだせえ」

「ああ、十俵持ってくりゃいつでも畠は売ってやる」

「へえ」

 重役は話を終えたと言わんばかりに、客間を出ていこうと立ち上がった。すると、又三郎も立ち上がり忙しない口調で言った。

「待ってくだせえ」

「なんや?」

「わしも頼みがありやして――」

 すると、重役は一度持ち上げた尻を再び椅子に座らせて又三郎を睨みつけた。又三郎はすぐに腰掛け重役に面と向かって言葉を切った。

「実は、小作料さ減らしてもらいとう思っておりまして」

「また米の話かい」

「わしは数年前にこの村に来た者で――。実は昔は地主をやっておりやした」

「ほう。なるほど」

「わしは、家さ抜け出して旅に出たんだが、途中で野垂れ死にしそうになってしもうて、その時に偶然太助はんに助けてもろうたんです。この村でもういっぺんやり直そう思うとって必死に畠さ耕しやした。そんな身分のもんが惨めも承知で言うんやが、この村の畠じゃああんたらの満足のいく収穫は望めへんのですよ」

「何を言いたいんや?」

「収穫の七分は土地代としてお返ししてますが、それやと計算が合わんのです。七分制さやめて、小作人のもらえる米の量を一律にするんのはどうやと。でないとこのまま凶作続きやとわしら死んでまう」

 重役の答えはすぐに返ってきた。

「ありえへん。そんなことした暁にゃわしらの生活が危うくなってまう」

「そこをなんとか――」

「あかん」

 重役は一言返すと、椅子から立ち上がって二人に挨拶することなく客間から消えていった。又三郎の方を見ると、気分を落としていると思いきや、その表情からはふつふつ湧き上がる怒りを感じた。太助の頭の中では、十俵という言葉が何度も繰り返されていた。

 惨敗だった。そもそも何の策略もなくその時の勢いに任せて屋敷にやってきたことが間違っていたのだろうか。略を練ったところで太刀打ちできないことは決まっていたのだろうか。天に示された運命に見合う人間ではなかったと絶望する限りだった。

 屋敷を出てからのこと、又三郎は一才言葉を発しなかった。自分の敗北を受け止め切れていないのだろう。その茫然と地面を睨みつける顔からは、どこか世間に無理やり大人にさせられてしまった若い頃の又三郎の嘆く姿を見た気がした。又三郎はとうに立派な大人ではあるが、自分よりも歳は下に違いないのだ。

 分かれ道まで来ると、又三郎がとあることを聞いてきた。

「太助はん。わしゃ納得いかねえ」

「ああ、おらもだ」

「ちと頼み事があるんや」

「ああ、なんでも聞きや」

「ありがてえ。太助はん、争議っちゅうもん知ってっか?」

「争議?」

「農民が一致団結して雇い主に抗議さするんや」

「さあ、聞いたことねえな」

「実は他の地域じゃそこら中争議やってるんや。それでもだめやともう一揆さ起こすほどや」

「それで、争議が何なんや?」

「わしらもやるべきでねえかと――」

 太助は又三郎の吐き捨てるような言葉を聞いてどこか焦りを感じた。

「でも久保田はんはええ人やし、このままのほうがいいんでねえか?」

「ええ人? 地主にええ人なんかいるめえ。あんたにはいい顔見せとるが、必ず裏があるで」

「そんなことあるめえ」

「ほんまや。太助はん、あんたは呑気にやってるからわからんのや。んじゃ聞くが、わしらの暮らしは良くなっとるのか?」

「いやあ、それはなんとも言えんが――」

「一生貧乏でええんか?」

「そりゃ、嫌やけど」

 又三郎は黙り込むと、真剣な顔つきになって言葉を切った。

「おりゃ組合さつくろう思うとるんや」

「組合?」

「ああ。小作人の組合や」

「そんなことできるんか?」

「ああ。そこでや、太助はん、あんたに村の小作人どもまとめてもらいてえんや。わしより顔が広えやろし」

「いやあ、おらにゃそんなこと――」

「できる。あんたしかいねえんや」

「いやあ、おらにゃできねえだに――」

「頼むよ――」

「いやあ、そう言われてもなあ――」

 太助は唐突な又三郎の提案に恐れをなした。又三郎がこれほど大胆で危険なことを考えていたとは思いもよらなかったのだ。同時に、長年の付き合いである地主の久保田はんにも悪い気がした。


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