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『豆乳の彼岸帰航』 魯迅の『社戲』を模した散文詩 (漢文官話訳付き)

魯迅の『社戲』 より
社戲 作者:魯迅 1922年10月)
当時北京で魯迅の過去十年の間見た京劇と自分が少年の頃に航船*1
乗って水上劇場で越劇(えつげき)を見る経験を比べる散文そして思い出話であります。

ーーー「川底に ねむる草柳(くさやなぎ) 煙(けぶ)しらず」
俗諺俗言戯れの北京歌舞伎(京劇)には
乗るご召し物油が腹を下す程に分厚く
歌の小休止(カエスーラ)の時間の一言半句の所には
大豆の香りを恋しくなり、大豆の乳でも買えようかなと
晩帰りの河渡り航船(こうせん)*1で
河畔では豆の麥(ばく)、河底では水草(みずくさ)
そしてそれぞれより発散して散らばった
ひと吹き二吹きの顔吹き清香
朧の江南(こうなん)月色を紅木(こうき)大舟で織り貫ぎ
彼岸の豆乳を乞って
それが売れ切ったのために
桂生*2と言う友より水を盛った
一枚の瓢箪を得たのは

*1 航船
(こうせん・江蘇省浙江省一帯で町との間を定期運航する木造船)


漢文官話訳

ーーー「川底に ねむる草柳(くさやなぎ) 煙(けぶ)しらず」

“在何川之底 沉睡之葱草色柳 枝不知人烟”

(這是自己做的寫江南的俳句5-7-5)


俗諺俗言戯れの北京歌舞伎(京劇)には

竟是俗諺俗言和戲謔的北京歌舞伎(京劇)


乗るご召し物油が腹を下す程に分厚く

作爲靈魂的軍糧麵包上面凃的牛油是太厚重了


歌の小休止(カエスーラ)の時間の一言半句の所には

在歌曲的小休止時間,劇中人在説一言半句的時候


大豆の香りを恋しくなり、大豆の乳でも買えようかなと

我思念起了大豆的香味,因此我想著是不是應該去買豆漿咯?



晩帰りの河渡り航船(こうせん)*1で

乘著那晚歸的渡河的航船去


河畔では豆の麥(ばく)、河底では水草(みずくさ)

在河畔長著滿是豆子的麥,河底裏生著水草。


そしてそれぞれより発散して散らばった

她們各自発散流逝到四方的


ひと吹き二吹きの顔吹き清香

伊吹爾吹威吹的清香


朧の江南(こうなん)月色を紅木(こうき)大舟で織り貫ぎ

朦朧的江南月色下織起穿過紅木的大舟


彼岸の豆乳を乞って

準備去彼岸乞討豆乳的我


それが売れ切ったのために

但是因爲在鬼市裏給先客賣完了


桂生*2と言う友より水を盛った

所以我從叫做鬼生的朋友那裏收下了


一枚の瓢箪を得たのは

打了一瓢奈何橋的河水的空酒瓢箪


*1 航船
(こうせん・江蘇省・浙江省一帯で町と村の間を定期運航する木造船)

江南的木造船

*2 
「桂生」と「鬼生」は中国語では似てる発音なので。
漢文版では自分が
江南の川を奈何橋(中国の三途の川)の流れ川を例え

彼岸で豆乳を売る屋台を「鬼市」「鬼市場」を例え
(鬼市は北京の真夜中を過ぎたほんの少し後から盛んではじまる朝市場、奇怪なオブジェ、蛇油の軟膏、謎の薬草、胡散臭い骨董品、和洋折衷、漢洋折衷の時計、昔のなんらかの朝代より家傳のお召し物や変な道具を売るとか、山師詐欺師が多い場所だっただと思います。勿論いまでは既にいなくなって、歴史になった風俗です)

「ひと吹き二吹きの顔吹き清香」

『伊吹爾(おれ、君の意味)吹威吹の清香』を訳したから

これは水上で劇を見る水上市場で豆乳を買う事を鬼の世に行く事を例えすることです。

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