好きという心地よさと心強さと#創作大賞感想文
39歳でトライアスロンをはじめて、20年以上今も続けているのは好きというのももちろんですが、応援してくださる方々がいるからです。
家族、仲間、指導してくださった方。大会運営者、スタッフ、ボランティアの方々、名前も知らないそのとき、一瞬だけお会いした方。一緒にレースに参加した国籍が違う方々。noteでもわたしのトライアスロンを応援してくれている方々がたくさんいらっしゃいます。
noteは、好きがいっぱい。好きの発表会。誰かの好きという気持ちは心地よいし、パワーを感じます。誰かの好き、応援したい。
ミーミーさんの好きは、タモリさん。なんと35年間の好き。誰かを35年間想い続けているのはそれだけでもすごい。タモリさんを好きになった歴史がそのままストレートにラブレターになっています。
ふふふ。人の公開ラブレターって恥ずかしい感じがするけど、そうでなく清々しい。ミーミーさん特有の明るさがあるから、心地よい。あけっぴろげに堂々と好きが伝わってきて、私もタモリさんがもっと好きになってきちゃうような感じ。
好きは伝わり、つながり、広がります。
友だちの輪のように、好きの輪。
ミーミーさんが広げた好きの輪のnoteです。
かつて死にたいと思っていた方、今死にたいと思っている方。その中にいたときは、あしたが遠く、きょうを乗り越えるのが精いっぱいで。
彼らはひとりだけどひとりじゃない。彼がいる。お互いすれ違いもあるけど、ひとりじゃないからすれ違う。ひとりじゃないから悩む。
誰かがいる、話せる人がいるって大事だなと思いました。
第1話の冒頭で、いきなり
「あした死のうと思って」とあるのだけど、隣りに誰かがいるから
言葉に出せたのだと思います。言葉に出せる、それだけでも「生きていくあした」がくるのかもしれません。
最終話でふたりが自転車に乗っている場面が一番好きです。
自転車のふたり乗りなのに背中合わせなんです。
背中と背中で話せる人。
背中と背中だからこそ話せること。
最後の「あした死のうと思っていたのに」が冒頭のそれとは
違う響きがあるのもいい。やさしく心強い。
吉本ユータヌキさんが、最終話を描きあげたときのnoteの言葉です。
作品の中の彼らも傷ついて傷つけて、背中と背中で安心できるようになったのではないでしょうか。
わたしにはわたしの背中は見えません。
だけど、ミーミーさん、吉本ユータヌキさんをはじめ創作大賞に応募
なさった方々の背中は見えます。
その背中を見ているだけで安心し、心地よさ、心強さををいただくことができます。それをこうして文章にしてその背中をもう少し前に進めたいと思います。
あなたの背中が遠くなってもいい。
見えるところにいてくれれば。
点になったあなたの背中でも。
傷ついて傷つけて、それはあしたにつながるのかもしれません。
勇気をありがとうございます。