遠い国の夢をみる
人生に生き詰まりを感じることがある。
言葉にしづらい、この国で生きることへの違和感。
閉塞感と無力感。。。
死にたいとかじゃない。
でもはやくここから自由になりたい。
そんな時、行ったことのない、遠い異国の地を夢みる。
表現はしたい。。けど、しばらくの間SNSから距離をとって、北欧の田舎あたり。。で、自然と戯れながら、食事をゆっくり深く味わって、何かの目的のためではなく、そこにあるものを感覚的に捉えながら、ただ息を吸いたい。
北欧には、「すべての人に教育を」を理念に掲げるフォルケホイスコーレという教育機関があるらしい。全寮制で、試験や成績も一切なく、民主主義的思考を育てる場、知の欲求を満たす場として存在する。
さらに生徒はみな国籍関係なく国からの助成金を受けることができ、学費の一部を払うだけで入学できるという。
スキルを身につけるためとか履歴書に書けるような経験を積むためとか、社会的な肩書きに直結する目的ではなく、自分の内側にある興味・関心から、心と身体をつかって学ぶための場所。
人生の余白を大事にする場所。
北欧の学び、ライフスタイルに触れることで、自分にとっての幸せにより近づきたい。。
そんなことを思うけど、現実にはお金もないし、人と長い間一緒に暮らすことを怖いと感じるし、海外なんて行ったこともなくて、いつも注意力散漫な私が諸々の手続きをできるだろうか。。
(外国語だって喋れない)
いちばん足りてないのは、積極的にコミュニケーションをとろうとする気持ちだって、わかっているんだけど。
対話の重要さを散々自覚して発信しようとしているけど、ディスカッションって避けてきちゃったし、こわいなとも思っちゃう。
それとも、いろんな国の人たちと多様性を認めるこの学校だったら、こわくないのかな。。
ここだったら、ひとりよりもみんなといるほうがいいって、思えるのかな。。
北欧以外だったら、自分にとってはやっぱりチェコ。チェコは名前も好きだし、何より自国の表現が制限された歴史からの人形劇や人形アニメという文化。
人形劇推しとしては、そういう文化は外せない。
最近、チェコと日本の共同制作を観たりチェコセンターでプラハ芸術アカデミー映像学科(FAMU)の生徒たちが作ったストップモーションアニメーションの上映会に行ったりして、チェコという国が憧れからより近い存在へと感じられるようになっている。
上映会でみたチェコアニメの印象は、いい意味で作られすぎてなく、想像できる余白があることと、二次元のものであれ三次元のものであれ、人の手で作ったことが感じられて、なんというか不器用さが残っているところに愛おしさが感じられた。
自由だな、と思うし、なんか、きつきつしてないのだ。
あと、ほとんど人の言葉は使わずに、アニメーションのゆったりした言語だけで魅せているから、国を超えて、伝えたいことが伝わってくる気がする。
人形のことばで会話してるみたいに。
生のチェコ語のちょっと朴訥とした雰囲気やナイーヴさ、素朴さとかわいらしさを感じさせるチェコ人やチェコのアートに触れるたび、この国で新しく生き返ることを夢にみる。
いままで、劇場とか神社とか現実逃避をコンセプトにした喫茶店とかに逃げてきたけど、いまはもっと遠く、遠くに行きたい。
なんでだろう。現実、暮らし。。そのものを変えてかないといけないみたい。
どうやって変えるのか。海外移住で?アートで?
人形で?
とにかく、東京(というか新宿周辺)がいやすぎて吐きそう。ごめんだけど。
ネガティブな気持ちだって大切な自分のいちぶ。なかったことにするもんか。
参照:考える。暮らし、雛形 ''特集 デンマークの“人生の学校” 「フォルケホイスコーレ」とは?''
https://www.hinagata-mag.com/comehere/31980
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