【私小説】勉強のこと
私は誰よりも勉強ができなかった。そう言いきれる自信がある。
国語、社会、英語、数学、理科と言った主要科目は平均点よりも下だった。なら、主要な5教科以外はできたのかと言えば、そうではない。芸術科目や技術家庭科、体育の実習では、持ち前の不器用さを発揮し、絶望的なセンスを同級生に晒していた。そうしていつも怒られたり、笑い者にされたりしていたものだ。
何を言いたいのか一言で言えば、
「学校の勉強が絶望的にできない」
ということだ。
それゆえに、親戚や友達、母親と親しい親の子どもと比べられ、嫌な思いをたくさんした。
もし私に兄弟姉妹がいたなら、母親は兄弟姉妹の方を可愛がっていただろう。私よりも賢くて器用、そして運動神経も抜群で話し上手。そんな完璧な兄弟姉妹の方が、いいとこなしで小憎たらしいだけの私より、ずっと愛おしいに決まってる。
アジサイが咲き、雨空の日が多くなった6月。テスト期間が終わり、返却期間に入った。
最初に返されたのは、数学のテストだった。
返されたときに、私は右上にある点数を見てみる。
右上に書かれた点数は、9点だった。
(え、ちょっと待って)
私は何度も、右上の数字を見返した。だが、9点という数字に変わりはない。
(とうとう来るべきところまで来たか)
答案用紙を折りたたんだ私は、ため息を一つついた。
数学の点数は、いつもひどい有様だった。毎回テストで、10点とか15点という人には言えない点数を取っていた。ちなみに20点以上は一度も取ったことがない。
10点や15点をいつものように取っていた私だが、さすがに9点は応えるものがあった。今までに取ったことのない一桁という点数。あと一点取れていれば、いつもの12点だったのだ。だが、単純な問題を間違えたせいで、史上最悪の点数を取ってしまった。
「はぁ……」
ため息しか出ない。あまりに将来が心配すぎて。
「おう、健。数学どうだった?」
数学の授業が終わったあと、三浦くんに声をかけられた。彼の声色からは、強者の余裕のようなものを感じる。
「言えるほどのものじゃない」
「まさか、0点とか?」
「そうじゃない!」
強めの口調で私は言うと、三浦くんは、
「ムキになってるところが怪しい」
と笑った。
「お前……」
握りこぶしを軽く作り、私は三浦くんを睨みつけた。数学のテスト返しのあと、彼はいつもバカにしてくる。バカにするだけならいいが、自分の点数を自慢してくるから、無性に腹が立ってくる。
「やっぱりそうだと思った」
いつの間に通学カバンから取り出したのだろうか。三浦くんは私の数学のテストの答案を真剣そうに見つめていた。
「ちょ、お前いつの間に人のテスト見てるの!?」
「まあ、せいぜい俺が取ってる50点の境地に至るまで、頑張るんだな」
先ほどのバカにするような口調で、三浦くんは教室を出て行った。
「最悪」
そうつぶやき、私はため息を一つついたあと、机に臥せった。
5教科全てのテストが返ってきた。家に帰った私は、ファイルから返された全てのテストの答案用紙を見つめ、
(またろくでもない点数取ったな……)
ため息をついた。
国語40点、社会38点、英語20点、数学9点、理科21点。どれも親に見せるのは気まずい。絶対に怒られる。どうしよう。
怖くなった私は、返されたテストをシュレッダーにかけ、黒い袋に入れて処分した。
だが、9点の数学のテストの回答用紙を捨てたことが、母親にバレた。嘘や隠ぺい工作というものは、自分のことをよく知っている人間や賢い人はすぐに気づくものらしい。
リビングで、顔を真っ赤にした母親に、
「とうとう9点取った。親として恥ずかしい」
と怒鳴られた。
正直、数学の授業を聞いていてもよくわからない。
基本的な計算はわかる。けれども、応用問題になると、あまりに難しくて解けないのだ。何をどうしていいかわからないうえに、いつもとやり方が違うから、混乱してしまう。
「9点を取った証拠が、どこにあるの?」
淡々とした口調で、私は聞いた。
先ほどよりも声のトーンを上げて、
「そんなの関係ないでしょ。他の教科ではしっかり二桁(20点とか30点くらい)なのに、どうして数学だけこうなの。もっと勉強して」
「私にこれ以上求めないで」
しばらく黙り込んだあと、母親は、
「健、あんたの成績の悪さで、お母さんがどれだけ苦労してるかわかるの。あんたの頭が悪いせいで、姉にはバカにされるし、弟には怒られるし。もっとお母さんの苦労を知って、この親不孝者が! 鬼の子!」
と泣きながら叫んだ。
(勝手に泣いていれば……)
冷ややかな目線で、私は母親を見た。
勉強ができない原因については、頭ではしっかりわかっている。普段から予習復習もしない自分が悪いと。でも、普段から大事な予習復習をしようと思っても、気力が出ない。
好きでもない授業を受け、体育の時間には罵倒され、芸術科目や技術家庭科では壊滅的なセンスで笑い者にされる。ボロボロになったメンタルのまま部活へ向かい、ガス抜きに友達と話しながら帰る。それでもガスが完全に抜けきらない。だから、体内で糖分が化学変化を起こして乳酸になるように、心の中に残った不満が倦怠感へと変わる。
そんな状態で、勉強しろとか、もっといい点数を取れ、とか言われてもできるわけがない。仮にできたとしても、10分くらいだ。
毎日罵倒されるとわかっていても、学校へ行っている。いや、それ以前に辛いことしかない俗世で生きている時点で、十分に偉い。私の母親は、それをわかってほしい。でも、私に人以上をと言ってばかりいるので、わかってくれるはずもないから諦めているけれど。
※
今になって思えば、少しでもいいから勉強をしておけばよかったと思う。無駄なことばかり詰め込んだり、遊んだり、疲労感を言い訳にして怠けたりしている暇があるのなら。もし、少しでもしていたなら、もっとマシな点数を取っていて、中3以降も勉強のことで苦労しなかっただろう。
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