見出し画像

『鹿の王 水底の橋』

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、本の紹介をします。

上橋菜穂子著 『鹿の王 水底の橋』 (KADOKAWA 、2020)


※感想から、ネタバレありで書きます。

『鹿の王』4巻まで読んだ後、最も考えさせられた「生き方」の思想の違い。
医術師ホッサルが「救いたい」と願う、その根本の違いに世界観が揺らいだ。
ホッサルは今作でも、救うことに関して異なる思想を持つ、清心教の祭司師に批判的であった。

私が最も深掘りして考えたかったところが、本という形になっている!!

タイトルにある「水底の橋」。
橋の隠喩にも驚いた。
橋のメタファーは知らなかったが、その使われ方があまりにも良くて、表紙絵への好感度がAランクへ向上。

本作はファンタジーというよりも、医療ドラマのような話。
しかし、よく見る医療ドラマと違うのは、そこにいるのが国を司どる重役ばかりなところ。
よって、政治も絡む。

個人的に『鹿の王』で、最も好きだったホッサルの祖父リムエッルが、今作でも裏で活躍していたことが嬉しい。

本作は、医術師の日常、そこに絡む政治的背景と思想、ホッサルとミラルの関係、裁判などジェットコースターのような1冊。
相変わらず固有名詞が覚えられないこともあり、1回読んだだけでは消化出来ない内容だ。
しかし、感想を書きたいので記事は書く!!


ざっくりあらすじ

『鹿の王』にて出現した、謎の病の危機を乗り越えた東乎瑠(ツオル)国。
そこでは、次の皇帝選出のため、争いが起きていた。

ホッサルとミラルは、東乎瑠(ツオル)を襲った謎の病で危機に瀕していた中、出会った清心教の祭司医(真那)に誘われ、真那の故郷である安房那(あわな)領に向かう。

医術、信仰、救うこと。
ホッサルとミラルは安房那領で、新しい世界に触れることに並行して、皇帝選出のための争いにも巻き込まれる。

感想


ネタバレあり






『鹿の王』にハマり込んだのは、2巻でホッサルが清心教祭司医に”救う”意味の違いを言われたところからだ。
そのハマり込んだところが、深掘りされているのが本書のメインとなって、話が進む。
どれだけ面白かったのかを書こうものなら、ものすごい量になりそうなので端的に書けるように考え込んでました(=自分自身にブレーキをかける)。

医者の倫理観、救いたいと願うことや、研究すること。
それは時に傲慢さや、研究者たちのどうしようもない性が出る。

ホッサルは清心教の言う「神」を、言葉を終わらせるためのものだと言うようなところがある。
乱暴な言い方になるが、要は、その時々の人々にとって都合の良い神である。(持論)

Aが生じる、Bが生じることは……
病にしても、生き方にしても、それを救うにしても、だ。

しかし、本書で清心教の教えやそのルーツを知ると、それほど簡単な言葉では結べないのである。
実際、ミラルは清心教医術を学ぶための最初のオタワル人となる。
(オタワルの医術と、清心教医術は相容れないところがある)


物事を細分化して、徹底的に研究しようとするオタワル人。
ホッサルが、このことについて言及するところがある。

「我らは、事を分けて、分けて分け続ける。分かちがたい真実へ辿り着くまで。君らは、むしろ、まずはまとまりを知り、そこから変化の予兆を感じ取るわけだな」
ホッサルはミラルに明るい目を向けた。
「面白いな。おまえが言う通り、歩いている道は違うが、行き先がひとつだとしたら、これは、本当に面白いな」

上橋菜穂子著『鹿の王 水底の橋』(KADOKAWA 、2020)、111頁。

清心教の祭司医、真那と心臓の病と心臓の形について語っている時の話だ。
解剖学を行わない清心教の祭司医真那は、心臓をほとんどきちんと見たことがない。
以前、怪我をしている患者の心臓を見て、たまたま心臓の形を少し知っているだけだ。
対して、ホッサルは徹底して分けて物事を細部まで捉えようとする。

しかし、着地点は同じだ。
結論までの、アプローチの方法が違うのだ。

面白いことに、病素も見ない真那は、外からの診断(可視化可能な情報、触診など)により、ホッサルと同様の診断をしている。

倫理観を問われるような気持ちになるのは、2人の思想の違いだ。
将来救える人数が多いのであれば、ある程度の研究や治療が許容されると考えるホッサル。
対して、清心教祭司医は、患者に寄り添いながら、身体を穢れさせるとなく、死後安心して天ノ苑に行けるように医療を行う。

どちらが正しいとかではない。

「分けるということは、分かるということだ。」
以前、私は教えていただいた言葉を思い出した。

しかし、私はこの話を読み、今もなお進めていない自分に気づく。
知るには時間があまりも不足し、私は理解力も乏しい。
それでも知りたい、分かりたい、見てみたいから、時に意図的に悪いと分かっていながら、その状態を放置する。
私の口は開くには遅く、好奇心や探究心が衰えない。
これらが、ただの愚行であり、傲慢さであるなら、この気持ちが消えて欲しいと願う。(私は医者でない)
思想について書いていると、終わらないので、この辺で強制終了。

本書は、医療ドラマのようだと書いた。
医療ドラマのような話と並行して、次期皇帝選出のための争いが起きる。
疑われるのはホッサルと、暗躍していたその祖父、リムエッル。

ホッサルとミラルは重篤な食中毒の患者を治す一方、後半では突然裁判が開かれる。
次期皇帝の暗殺の可能性があれば、当然のことだろう。
そして、この展開が胸熱過ぎると感じたのは、私だけではないはず。

裁判のようなシーンはあっという間に過ぎるが、それでも面白くてたまらない。
話の内容について、深掘りして考えながら急展開されるような、裁判のようなシーン。
あまりの衝撃に身体が少し震えた。
圧倒されるような、衝撃的な面白さ直面する時に、身震いすることないですか?あの現象です。

個人的に、この裁判のようなシーンで比羅宇(ひらう)への好感度が爆上がりした。
もう結論は分かり始めている。
しかし、比羅宇(ひらう)は自分自身の疑問を、きちんと公の場で明らかにする。

ーー才気溢れる切れ者という印象も与えず、押しも強くないので、真那が言っていたように一見保守的に見えるが、実際には、他に惑わされず、自分の疑問を疑問として保つことができる、冴えた目を持っている。

前掲書、407頁。

ホッサルが、疑問を投げかける比羅宇(ひらう)に対して思うところ。
比羅宇(ひらう)は自分から、進んでいくタイプではないが、言うべき時にはきちんと言う。
疑問を持つということは、それだけ思考してのこと。
ホッサルの上からのような意見に内心少しイラッとしたが、私も同感だ。

さらに言うと、比羅宇(ひらう)が、いつまでも兎季(とき)への感謝を忘れていないところも好きだ。
そして、この記事の中で何も書いていないが、私は兎季(とき)も好きだ。

静まり返るであろう、緊張の場で笑う安房那(あわな)侯。
初めから、ホッサルが疑念を抱く者。
最後の最後に、種明かというわけでもないが1発ぶちかます。
これで、全てに決着がつく。
安房那(あわな)侯も好きだ。
ミステリ要素が、一気に明かされる。
誰も気付けなかった水底の橋が、水面に持ち上げられたような展開。

ホッサルとミラルには、幸せになってくださいと書いておく。


『鹿の王』が超絶ファンタジーだったので、この本を読み始めた時、最初は驚くばかりだったが、本作もめちゃくちゃ素晴らしかった。
正直、読書後に、この1冊で良いのではないかとさえ思った。

しかし、『鹿の王』あっての外伝というか本書。
あの謎の病の危機に直面してから、どう考えるのか。

1冊の本で、これだけ多角的な視点で考えられるってすごくないか?
もう単純に、著者の上橋菜穂子先生に感嘆するだけでなく、ゾッとする。
どう表現すれば、失礼にならないのか。
自分と同じ人間が、これを書いているというのが信じられん!!!!

ところで。
このような素晴らしい体験の出来る本を、薦めてくれた人にも大感謝。
自分じゃ絶対に選ばない本。

AI頼りのお薦めも良いですが、対話を通してのお薦めもおすすめ。
オススメって書き過ぎて、自分でも分からんくなる文章になった。


本書の1冊だけでも、超おすすめ。

この記事が参加している募集

読書感想文

読んでくだり心から感謝します。 サポートいただけたら、今後の記事に役立てたいと考えております。 スキしてくだるのも、サポートもとても喜びます!!!!