ねおねお

自分の感じた事、思った事を備忘録代わりに書いて公開しています。

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最近の記事

小説を書く時の長所の見つけ方の考察

 先日、柄にもなく日記のような記事を描いたのは一種の新たな試みであった。  常々、日記の重要性に関しては痛感しているところではあるがどうしても食指が動かなかった。  日記の効用を列挙するのであれば ①小説などのネタ帳 ②文章を書くことを習慣化できる ③描写の訓練 あたりが妥当であろうと考える。 とはいえ、①と②は継続しなければあまり意味がないというのは自明である。③も継続こそ好ましいがやる分には単体でも実りがある。とはいえ、それは何の目的もなくやるのではほぼ無意味と言ってい

    • 管理された不変

       いつもウォーキングの為に歩いている緑地公園がある。  コロナウィルスで世間は騒いでいるものの感染者がまだ出ていない地元では、運動の為にこの公園に訪れる人々も少なくない。例えば部活が出来ない陸上部らしき学生たち、あるいは家にこもりきりでストレスがたまった子供を連れだしてお弁当を食べている親子、健康の為に散歩をしている老夫婦等々。とはいえ車のサーキットコースの様に設置された散歩コースを歩いてみるとマスクをしている人やすれ違いざまに大きく距離を取る人も多く、全く警戒していないとい

      • 「物語化」について思う事

         アメリカの作家エルバート・ハバードは「人がお互いをよく知れば、憧れも憎しみも生まれないだろう」という言葉を残した。しかし現実ではおびただしい数々の人間とすれ違う。時には見知らぬ男に肩をぶつけられてムカついたり、時には初めて見る店員の雑な対応に青筋をたてたり、横柄な客の態度に殺意を抱くこともある。そんな縁もゆかりもない自然災害と等しい遭遇率の人々の心情や原因を理解しようとするのは現実的ではない。肩をぶつけた男を捕まえて「なぜ謝りもせずに通り過ぎた? 責めてるんじゃない、理解し

        • 「天気の子」再考 反対意見を聞いて

           前回の「天気の子」論評を出した事を契機に、天気の子を見に行った友人から色々な話を聞く機会が出来ました。その中で、あまり良く感じなかったという人の指摘した点が共通している事に気が付きました。これについて自分の個人的解釈を述べていきたいと考えています。もう言うまでもないとは思いますがネタバレ注意です。また前回の記事を読んでいないと理解しづらい点もあるので前回の記事を先に読むことを推奨いたします。  「天気の子」において友人が指摘した問題点というのは以下の通りです。 ①帆高の

        小説を書く時の長所の見つけ方の考察

          「天気の子」から見る功利主義の否定と抵抗権

          「天気の子」を見ました。 とても批評や作品分析の甲斐がある作品だと考えています。 しかし批評とネタバレは不可分ですから少々気後れをしていたのですが、公開から結構時間がたったのでそろそろネタバレをしても許されるだろうと考えています、というかします。 論点私が「天気の子」を見て感じた事は大量にあるのですが主旨を逸脱して乱文になるのも嫌なので題材を絞って論じてみようと思います。 ①功利主義の否定 ②ロックの抵抗権の推奨 今回はこの二つをキーワードに論じていきます。私はこの『天

          「天気の子」から見る功利主義の否定と抵抗権

          死とは、医療とは。

          G20に参加中の河野太郎外務大臣がこんなツイートを投稿した。  iPS細胞から作り出された心筋シート。ベンチャー企業「クオリプス」が開発したもので、既存の投薬治療が難しい重度の心臓病患者への治療法として2022年までに実用化が目指される。科学によって不可能が可能となるブレイクスルーには常々驚かされる。特に医学においてのそれは一際である。神の領域と思われていた生死の天秤に人間の叡智がという指先が触れた、そんな風に考えれば然もありなんと言ったところだ。  ギリシャ神話にアスク

          死とは、医療とは。

          本を大量に読めと言うのは何故なのか?

           大学に入ってしばらくすると、ぼんやりと教授の立ち位置や人柄などが分かるようになってくる。親身に色々教えてくれる教授、講義はつまらないが単位を簡単にくれる教授、性格は最悪だが恐ろしいほどに面白い講義をしてくれる教授等々。そうして日々を過ごしているとお気に入りの教員というものが数人ほど頭の中に浮かんでくる。そして、研究内容などをもっと知りたいと思った時に、入学式で貰った教員紹介の冊子の存在を思い出した。  冊子に書かれているのは研究内容や担当の学問分野、担当講義の名前、入学生

          本を大量に読めと言うのは何故なのか?

          「なぜ人を殺してはいけないのか」問題の個人的な所感

           「なぜ人を殺してはいけないのか?」は昔からよく語られる問題である。 専ら、思春期の子供たちが特に解を求めるわけでもなく、その提起をする自分自身に酔いしれて発言する為に「中二病乙」と一蹴されることも多い。  一蹴される故に、あまり適切な回答らしいものもあまりないように思えるがよく言われるのは以下の言説である。 ①殺人を肯定したら、自身が殺されることも容認しなければならない ②別に殺してはいけないわけではない。法的制裁を恐れなければやってもいい。 ③社会秩序の維持の為に

          「なぜ人を殺してはいけないのか」問題の個人的な所感

          無知とリンゴとバナナ

           二十数年生きてきて自分が食品アレルギー持ちであると初めて気づいた。  事の始まりはリンゴを食べた時のことである。 大雑把に4等分したリンゴを皮ごと食べていたら、食べ終わったあたりで強い吐き気に襲われた。前々からリンゴやキュウリを多めに食べた時には吐き気を催す事は多々あったが、青臭さにやられてしまったのだろう程度に考えていた。  不意に、「リンゴを食べて気持ち悪くなるのは私だけなのだろうか?」という疑問が浮かんだ。軽い気持ちで検索エンジンに「りんご 食べる 気持ち悪い」で

          無知とリンゴとバナナ

          法律を学ぶことの意義の個人的所感

          法律ってなんだ? 「お前の行為は、民法96条に抵触する。法に則り取り消させてもらうぜ!」「く、くそう……!」  法律を用いて快刀乱麻に事件を解決。昨今のドラマや漫画、ゲームなどでもよく見られる痛快な展開だ。現代の法治国家において法律というものは強力なものである。生きている中で法律を意識しない人間はまずいない。そんなに仲良くない友達の友達からいきなりムチャ振りをされて「よし、殺そう」と決意をしても、法律というものを意識してしまうとどうしても揺らいでしまう。犯罪に対する抑止力と

          法律を学ぶことの意義の個人的所感

          不良の「ナメられたら終わり」という思考は意外と正しいという話

           「俺たち不良はナメられたら終わりなんだよ!」 昔の映画やドラマなどで、不良がこう叫ぶのを聞いたことがある人もいるだろう。大抵、他校の不良に主人公の可愛がっている舎弟がボコボコにされて、不良仲間が恐れおののいている中で、主人公がこの台詞を叫んで単身乗り込んでいくような物語の流れがよくあるように思う。  ここには不良たちという学校社会でアウトサイダーな生き方をしている一種の自治組織が、教師などの通常の秩序的な救済に頼ることが出来ずに、独自の手段で組織的危機を解消しようとする、

          不良の「ナメられたら終わり」という思考は意外と正しいという話

          なぜ人は表現をするのか?

           noteなるものを初めて書く。書く題材もこれしか浮かばなかったので少し昔話をさせてほしい。  私が小説を始めて書き始めたのは高校生の時であり、筆を折ったのは大学四年生の時だった。始めた理由は、好きだったギャルゲーがアニメ化した際に酷い原作レイプが発生したことに因る。 「テメーらよりも、本を読まねえガキの方が良い物語を書けるんだぞ!」  これが今でも明瞭に思い出せる、当時の私の憤りである。この若さゆえの傲慢が私に小説を書かせる発端であった。いや、でも本当にアニメは酷かった

          なぜ人は表現をするのか?