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私の考え-コロナと大学-

新型コロナウイルスと大学との関係

今回は、私の考える大学の価値の観点から、
現在でも活発に議論がなされている新型コロナウイルスとの影響に関連した持論を書き綴ろうと思います。

私の考える"大学の価値"については、
以前に投稿したnoteをご覧ください。
こちら↓

ここからは、私の考える"大学の価値"についてご理解いただけていると仮定して進めていきます。

今回は、新型コロナウイルスの影響でオンライン化を余儀なくされた大学と"大学の価値"の関係を、大学生である私が、オンラインの実態を交えながら考察していきます。

大学はオンラインでいいのか?

結論から言えば私は反対です。
社会的に見れば、大学や広く教育に関してオンラインの有用性を訴え、今後ますます推進していこうという意見や流れが伺えます。
私の場合は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防ぐために、前期が全面オンラインになり、実際にオンラインで半年過ごしてきました。
しかし"大学の価値"の観点から言えば、これでは大学が無意味なものになりかねないのです。

"時間の価値"が失われた?

以前のnoteで、大学の価値の根底にあるのは"時間の価値"と述べましたが、その時間の価値が、オンライン下では失われてしまうのです。
これは度々話題にもなっていたように、学生への過度な負担が原因です。
オンラインでは、普段の講義と同等の質と量の内容を理解するのに、ただでさえより時間をかけなければなりません。このことについては後で詳しく述べます。
その上、普段の比にならない課題が出されます。
つまり、科目の理解や課題をこなすのに膨大な時間と労力を要するのです。そうすると、自ずと時間は失われていき、同時に貴重な"時間の価値"も失われてしまいます。

以上のことから、大学在学期間に最大の力を発揮する"時間の価値"はかなり失われてしまいました。
このことは人生という範囲で見ても大きな損失と考えています。

オンラインでの"学びの価値"

まず大学に求められる"学びの価値"ですが、はっきり言ってこれも激減しています。
社会的には大学の勉強はオンラインでできる!オンラインのほうが効率的!どんどん進めよう!といったことかもしれませんが、それは平常時の理解や成果が担保されていると信じ込んでいるからで、実際に大学生の私はそう思いません。
というのも、私たちはもちろん、大学側も初めて、それも突然こうした状況を強いられていますから、本来なされるはずだったものとは大きく異なります。
その結果、効率的どころか十分な成果を得ることさえ叶いません。また、実習や実験、演習といったオンラインではどうにもならない側面も大学にはあります。
そして、当然ですが大学の設備や環境も利用できなかったため、学びの価値は大きく減退します。
そもそも、オンラインで全て満足ゆく学びなら、それこそ通信制やその分野の専門学校等に進学すればよいのです。
さらに、大学以外での自習などの学びの価値についても、上記で述べたように時間の価値をそがれているので、これまでより厳しかった印象です。

以上のことから、大学での学問や研究大学の設備や環境の利用他分野の自学自習を含めた学びのどれを取っても平常時より減退しており、これらから構成される"学びの価値"は激減したと言えます。

オンラインと"人の価値"は対極にある?

今回の新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴うオンライン化や社会的な自粛の波は、人同士の接触を減少させる目的で行われたため、その成果として当然ながら人と会う機会は大きく失われました。
これはつまり、新しい出会いや人との繋がり、そこから生み出される経験や発見という"人の価値"の喪失でもあります。
そして、その喪失が最も顕著に表れているのが大学だと私は感じています。なぜなら、そもそも"人の価値"は普通、長い人生の中でも大学において最大化されやすいからです。
これは以前のnoteでも述べましたが、大学では、単純に多くの人と接する機会があり、自分の行動次第でかなりの数の人々と出会い、そこから多くのものを得られる可能性が一番高いのです。
では、多様な出会いを通じて何が得られるのか。
それは、その人が時間やお金をかけて経験してきたものを、無償で、それも整理された形で知れる、得られる可能性を内包しており、これこそが"人の価値"なのです。

ここから、大学というのは、その性質上、多様な人々で構成される組織であり、そこに属することで、自身を含む多くの人が密接に関わり合い、新たな出会いや繋がりを育んでいく場であり、それらを通じて多くの経験や知識、発見が得られるといった"人の価値"を最大化することに適した環境が整っている場でもあると言えます。
これは人生という長い目で見ても、簡単に代替できる期間は作れません。だからとても貴重で、失うことは大きな損失になると考えています。

そして"発見の価値"

オンラインの進行によって、"大学の価値"を根底で支える潤沢な時間が失われたことにより、そこから生み出される"時間の価値"も減退してしまいました。
その結果、"学びの価値"や"人の価値"も大きく減少し、言わずもがな"発見の価値"も失われてしまいました。
つまり、オンラインは価値のサイクルを停止させてしまったのです。
ただ、すべての価値が完全になくなったわけではありません。特に発見の価値は、オンラインで厳しくなったものも多いですが、自分の意識や行動によって獲得することができます。
そもそも、発見の価値は生きている限りは、常にそこら中に存在していて、自分がその意識を持って行動する、獲得していくことができるかどうかなのです。

とはいえ、オンラインが大学の価値、そしてそのサイクルに与えた影響は大きいです。
これは現在大学生の私が、私なりに考える大学の価値の観点から、オンラインと大学の関係について考察したものです。
賛同や称賛を求めるものではなく、こういった考えがあるんだと知ってもらって、その上で「確かに」と納得してもらえるとさらに嬉しく思います。
また、こうした考えも踏まえて、みなさん自身でも大学とオンラインについてもう一度深く考えてみてほしいです!
では!

私は、アニメの紹介やファッション、美容と健康、勉強のことに加え、知って得する(?)情報、今回のような私の考えなど幅広くnoteで発信しています!
これからも随時更新していく予定ですので、是非是非フォローしてお待ちください!
それではまた次のnoteでお会いしましょう!!