性はわたしに語りかける。
性。
とにかくタブー視されやすいものです。
出来るならそれについて語るのは避けて通りたいって思う人も結構多いのではないかな。
性って命だと思うので、今日は心からのリスペクトを込めて書いていきます。
大変上品に書いて参りますが(自分で言った)、このトピックそのものに苦手意識のあるかたもいらっしゃると思うので、無理に読み進めなくても大丈夫です。また次回お会いしましょう。
ここから先もお付き合いくださるかたにはリラックスして読んでいただけたら嬉しいので、優しい音楽貼っときます。ご一緒にどうぞ♡
*
性や死に対する認識がどのようなものであるかによって、生きることへの向き合いかたって大きく変わってくるんじゃないかなって思うんです。
性とか死の力って生命力とか創造(生み出す)エネルギーと同義語だと思うから。
一応タブーになっているのにもワケがあって。
これまでの時代的に、わたしたちを管理する側としては “ 優秀な従業員 ” を育てるにあたって、一人一人に性とか死を意識されたらすごく面倒くさいわけなんですよね。たぶん。
「従順な従業員やってる場合じゃない」って気付かれちゃうから。
性とか死とかって、そのくらいエネルギーの強いもの。
生きている自覚を揺り起こすものというか、人間の根源ですからね。
死についてはいつだったか書いたことがあったので、今日は性についてなんですけど。
自身の性がどのようなものであるかに関わらず、社会生活を送っていると、性というものには罪悪感とか被害者意識が絡みつきやすいんですよね。
人によっては生理的な嫌悪を抱くほどに。
確かにそこにあるのにも関わらず、ないもののようにして振る舞わなければいけないと教えられるから。
人に迷惑をかけないために、変だと思われないために、隠すことや「らしさ」とか「こうあるべき」の枠に収まることばかりを教えられるから。
女の身体で生きてるのに、揺れることや沈むことを許されないから。
それは、生きてるのに死んだように振る舞えって言われているのと同じこと。
性を恥じるのは、生(自分の存在)を恥じるのと同じこと。
性を嫌悪するのは、生(自分の本質)から目を背けるのと同じこと。
性を肯定することが許されないのは、生命力を抑圧されているようなもの。
そりゃ生きづらいよ。そりゃあ生きるのが嫌にもなるよ。
そんなのさ、悲しいじゃん。
心やからだの都合よりも人に迷惑かけないことを優先するとき、自分の性(生)は泣いている。
言いたいことを言えずに飲み込むたびに、性(生)の力は枯れていく。
評価されるため、受け入れられるために自分を抑えつけるたびに、性(生)の力は拗れていく。
そうやって、少しずつ少しずつ、生きる力を奪われていく。
物質的に満たされたはずのこの国にこんなにも生きたくなくなる人が多いのって、性(生身の人間として生きてること)を恥だと思う文化が厳しすぎたからなんじゃないのかな。
性とは本来、無条件の愛のような質感のもの。
自身の性を罪悪感や被害者意識から解放してあげることは、生命のエネルギーを解放するという意味を持ちます。
性にまとわりついた悲しい思い・抑圧の記憶をひとつずつ剥がしていくことで、生命のエネルギーは戻ってきます。
そして思い出すんだよね。
自分は被害者などではなかったのだと。
被害者の対義語は、創造者。
自分の生きる道を創造していくクリエイター。
性はいつでも持ち主に訴えかけてくれているんですよね。
“ I love you(あなたは被害者ではなく、創造者なんだよ)” って。
*
自分と向き合うにあたって、欠陥だとしか思えなかった自分の弱さを受容できたのも、自分がHSPであることに気づいてもう一度生き直そうって思えたのも、
元はと言えば全部全部、性と向き合ったことによる単なる副産物というか自分からのご褒美だったのだと思ってます。
(だから生きづらい人とかに本当に必要なものって、性を敵にしない適切な性教育なんじゃないかって思います。)
ここでは書いたことがなかったけど、Twitterはわたしの『心のデリケートゾーン』、そしてここnoteは『心のデリケートゾーンのさらに奥』という位置付けになってます。(これはTwitterにしか書いてない)
これはわたしの挑戦だったのだけど、noteでは性にまつわる言葉や表現を一切使わずに心の官能エッセイを描きたかった。
ずっと秘めていた自分の一番デリケートな部分を、わたしらしく優しい言葉で優しく語りたかったのだよね。
デリケートゾーンって、デリケートだけど恥ではないと思うんです。
だから晒そうって思った。
わたしがそこを恥ずかしがったり否定してしまったら、自分にたいしても、そして同じような感性や感度を持っている人にたいしても失礼だから。
感性とか人間っぽさとか、弱さとか繊細な部分を恥とする世界なんて、もういやだって思ったんだ。
そんな世界では生きられないって。
自己犠牲と被害者意識とそれによる恨みからわたしを救い出してくれたのが、心とからだの(タブーとも言えるほどに)デリケートな部分を認めるということだったのだよね。
自分の生きる世界を泣いちゃうくらい愛しく思えるようになったのは、自分の性を、そして一番繊細な部分を受け容れて愛することができたから。
(受け容れてみたら恥とか弱さどころか最強にパワフルな部分だということがわかったのだけど)
こうして書くことでわたしを生理的に受け付けなくなる人も中にはいるかもしれないけど、
それでも自分の原点とも言えるこのトピックについていつか書きたいって思ってたので、やっとこうして言葉にして告白できる日が来て幸せです。
以上、性を拒絶していたわたしが性によって救われた話でした。
ご清聴ありがとうございました。
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性と死と。
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