猫柳萬月

10匹以上のニャンコちゃんと生活しているので、サポートは純粋にありがたいです。自作の小…

猫柳萬月

10匹以上のニャンコちゃんと生活しているので、サポートは純粋にありがたいです。自作の小説を連載形式でUPします。◆好きなジャンル:ミステリ、サスペンス、時代小説 ◆好きな作家(小説家以外も含む):宮部みゆき、畑中恵、ヒグチユウコ、吉田秋生、夢枕獏、石黒亜矢子、岡田あーみん など

マガジン

  • 長編小説「A'(エー・ダッシュ)」(完結)

    自作の長編小説です。長いこと書いては直し、時に諦めを繰り返してはどこへも出すことさえせずにいた作品を、noteの創作大賞に応募するべくこのアカウントを作りました。

最近の記事

A' 【37】

 ベッドの上に体を起こし、薄曇りの空を格子のついた窓越しに見ていた。目を覚ますとここに居たが、いつから眠っていたのか曖昧な一方で、とても長い間、例えるなら遠い異国に住んでいたような感覚もある。寂しさと懐かしさが同居する心は、この街の名を知らないはずなのによく知っていて、なぜここに入院しているのか分からないようで、すべてのいきさつを覚えている。  ゆっくりと振り返れば、ベッドには「三島清美」と書いてある。それは自分の名前だと知っていて、けれどどうして今更この名前を呼ぶんだろう、

    • A' 【36】

      「よう、久しぶり」  およそ半年ぶりに再会した山鉾に、祐介は無言で頭を下げた。どうした元気ねえなと肩をたたかれ笑顔を作ったつもりだが、硬い表情に見えたことだろう。実際、祐介の気持ちは新年の晴れやかさとは程遠い。世話になった相手を前に、目深に被ったニット帽を外すことさえ忘れていた。 「よし、じゃあ……行くか」  祐介は頷き、二人は歩き出す。  去年の夏、三島亜紀の自宅に強行突入した山鉾はあのあと、予想通り神崎にひどく叱られたらしい。意識を失った三島亜紀を介抱し救急車を呼んだこと

      • A' 【35】

         ばあば、どうなったんだろうか。ヘルパーの佐々木さん、施設にいるじいじ、職場のみんなは――特に新人のみいちゃんはあれから元気になったかな。まだまだ若く経験の浅い彼女は落ち込むことが多かったから、あの日も自信をなくして泣いていたっけ。  あの日。あの日から何日、何ヶ月経った?  私は今、何歳だ。  この点滴針はいつから腕に刺さっている? 昨日か、それとも数年前か。  何度も同じ夢を見ている。いつしかそれはどこからが夢で、どこまでが現実なのか分からなくなった。だから彼女の時間は止

        • A' 【34】

           世界との再会、それはカイにとって最悪なものだった。  目を覚ましたのはピンク一色で統一された部屋のベッドの上で、化粧品の匂いが鼻の奥まで激しく刺激した。飛び起き、足を滑らせながらドアを開ける。口許は手で覆っていた。トイレか風呂場はどこだ。吐きそうだ。その場で嘔吐するなどカイの美意識に反する行為だった。ようやくたどり着いた洗面所でカイは盛大に吐き出した。眩暈がし、頭も痛い。そういえばさっき、瓶につまづいた。吐瀉物と自分の呼気の臭さにますます気分が悪くなる。これは酒だ。カイは

        A' 【37】

        マガジン

        • 長編小説「A'(エー・ダッシュ)」(完結)
          38本

        記事

          A'  【33】

           高校を卒業したあとは目まぐるしかった。七海はすでに採用が決まっていた介護施設に勤め始めていた。最終目標は介護福祉士だ。専門学校へ進学するという選択肢もあるが、この道をゆくと決めたのが少し遅かったし、学費を知って目が飛び出そうになった。両親がいないことを恨んだりはしない。むしろこれでよかったと思っている。七海が選んだのは、実務経験を積みながら介護福祉士を目指すというルートである。働きながら――給与を得ながら学び成長できるなんて最高! 七海にとってやる気のみなぎる条件だった。

          A'  【33】

          A' 【32】

           夏樹は毎日のように七海を訪ねて来るようになった。七海は帰宅部で、放課後は真っ直ぐ家に帰る。自宅ではいつも祖父母と一緒に、近所に住む亜紀ちゃんが待っていた。亜紀ちゃんは母子家庭で、母親は一日じゅう働きづめだが幼稚園には通っていない。事情はなんとなく分かっていた。七海にも両親がなく、祖父母と三人で暮らしてきたから亜紀ちゃんの気持ちも分かるつもりだし、祖父母のほうも、すっかり大きくなってしまった孫の他に小さな女の子が舞い込んできたことを、心底楽しんでいるようだった。葉っぱや折り紙

          A' 【32】

          A' 【31】

           二人が出会ったのは、高校二年生の秋だった。落ち始めた木の葉を踏みながら、夏樹は憂鬱を噛み締めていた。来年になったら本気で進路を決めなくてはならない。むしろ遅い。だが本人の心がいまだ定まらないことなど、周囲は誰ひとりとして気付きもしない。  家は代々医師ばかりで、当然のように娘も医科大学に入れるつもりでいる両親の前で、夏樹の意思など無いも同然に思えた。教師も同じだ。広岡さんは外科医? それとも内科? 成績も家柄もトップクラスな広岡夏樹という生徒には、医師以外の選択肢は無いのだ

          A' 【31】

          A' 【30】

           恋人の様子がおかしい。それは今に始まったことではないが、彼女が信頼を寄せている精神科医の素性を調べて欲しい。六月上旬、そう相談を持ち掛けられた時まず最初に、その精神科医というのは男なのかと、神崎は思った。ありがちな浮気調査である。しかし混内山聡の言い分はこうだった。  ななみクリニックというのは架空の病院なのではないか。  彼女が飲まされている薬は本当に医療用のものなのか。  そもそも、高柳七海という女は本当に、医師なのか。 「え……じゃあ、混内山さんはとっくに気付いてたっ

          A' 【30】

          A' 【29】

          「ジンさん。あいつ、またいますよ。例の若い男」  ジャムパンを頬張りながら、山鉾勘太は報告した。  片手にパン、もう片手には双眼鏡を構えているので、肩と頬の間に挟んだ携帯電話が落ちそうになる。上司にはレーシック手術を受けるか望遠鏡を買えと言われているが、どちらも安月給では無理だ。経費でなんとかならないのかという相談は、するだけ無駄なので持ち掛けていない。 「ったく、あっちも男、こっちも男。野郎ばっかで嫌ンなっちまう。そっちと交代してくださいよ、ジンさん」  だが、「あっちの男

          A' 【29】

          A' 【28】

          「何回も同じこと言わせないで! 小町はもう消えたわ。死んじゃったのよ。だから、もう用はないでしょ? 帰って。サヨナラ」  しつこく食い下がる祐介に彼の荷物を押し付けて、そのまま玄関までぐいぐいと追いやった。油性のマジックペンを買って来て欲しい、とお使いを頼んだのは十五分ほど前のことだった。思っていたよりずっと早く帰ってきたので、洗濯物を丁寧に畳んでやる余裕もなかった。もっとも、ここでの暮らしでマイカが洗濯物を畳むなんてことは、これまで一度もなかったのだが。 「納得できませんよ

          A' 【28】

          A' 【27】

           どこにも痛みは無かった。だが融合が進むにつれて、体力は奪われてゆく一方だった。三島亜紀を少しずつ取り込んでいるはずなのに、生命の炎は勢いを増し燃え盛るのではなく、今にも消えそうな燻りほどに小さくなっている。だから、融合の度に襲い掛かる衝撃に身を強張らせることもなくなった。解剖された蛙の筋肉が、電流によって勝手に収縮するのと同じだ。  うっすらと目を開けると、膝の上で弛んでいるスカートの生地が見えた。繰り返し捩れたせいで皺だらけになっている。派手に裂けた部分から糸を吐き出して

          A' 【27】

          A' 【26】

           七海が三島亜紀の自宅を訪れるのは久々のことである。まだ夏の暑さが本格的なものになる前、当時交際していた男に暴行された彼女のもとへ、新しいスマホを届けたあの日以来だ。今日その番号へ電話をかけると、通話口に出たのは小町だった。それは何の問題もない。小町はマイカと違い、自分専用の端末を所持していないので、七海から三島亜紀への着信に出ることはこれまで何度もあった。むしろ、七海と小町が連絡を取り合う場合はいつも三島亜紀のスマホを通じてであった。三島亜紀が目覚めなくなって以来、毎日しつ

          A' 【26】

          A' 【25】

           小町の恋人なんかに頼み事をするなんて何だか悔しい気がしたけれど、それでもマイカは祐介に、お願いがあった。けれど祐介は小町のための物探しに夢中で、ちっともマイカを見ようとしなかった。それなら、いっそ催眠にかけてやろうかとも思った。小さなお願いを叶えてもらうより、よっぽど大きな達成感や満足が得られるかもしれない。けれど、遂に振り向いた祐介が手にしていた物により、集中力は途切れてしまった。 「マイカさん、これに見覚えは?」  そう言った祐介の片手には一つの招き猫があった。そしても

          A' 【25】

          A' 【24】

           その日、朝食を摂ってすぐに、祐介は三島亜紀の通帳探しを始めた。高柳七海に電話をかける予定があるが、常識的に考えて午前八時は早すぎると思った。  昨晩、悪夢にうなされていたマイカは気分が悪いらしく、食事を拒否して自室に引きこもっている。そんな彼女に手伝って欲しいとは言えなかったが、家の中で探し物をする許可はちゃんと得てある。  三島亜紀に代わって生活費もろもろの収入を得ているマイカが、小町に依頼された日用品の購入代金と、水道光熱費や携帯電話使用料、家賃の引き落とし、更には自分

          A' 【24】

          A' 【23】

           マイカは夢を見ていた。これまで一度も「夢を見た」という実感を得たことのないマイカだが、今夜はそれが夢であると自覚することができた。その理由は二つある。  一つは、目の前にいるカイが「ここは夢の世界だよ」と優しく微笑み言ったからだ。もう一つは、天使のような笑顔を見せた彼の手が血に濡れ、残虐な行為に及んでいたからである。彼がこんなことをするわけがない。そうか、これは夢なんだ。あたし今、悪夢の中にいるんだわ。必死で自分に言い聞かせた。 「マイカの時は、もっと優しくしてあげるからね

          A' 【23】

          A' 【22】

           松本久恵は、結婚後長い間子宝に恵まれなかった。検査の結果、原因は夫の側にあったが、同居する彼の両親はそれを認めなかった。松本家はそもそも厳格な家柄で、片親である久恵を嫁に入れることもなかなか許してくれなかったのだ。久恵に父親があったなら、世間でよく聞く話のように、むしろ彼との結婚を反対したかもしれない。だが夫とは恋愛結婚であり、どれだけ彼の両親に冷たくされようが構わないと思っていた。愛する人との間に子供を授かれば、舅や姑との関係など悩みのうちにも入らないだろう。それに彼らも

          A' 【22】