Reiko.A/東 玲子

ステージにも立つが、筆も執る。オカルティスト。ステージワークとしては、かつてMERZB…

Reiko.A/東 玲子

ステージにも立つが、筆も執る。オカルティスト。ステージワークとしては、かつてMERZBOWでノイズ演奏とヴォイスで活動。現在は動きながら声を出すのが基本。訳書としてパティ・スミス詩集「無垢の予兆」など。過去ブログwebdice.jp/diary/124

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  • 荻窪随想録

    自分が生まれた土地にまつわること、そして昭和のこと、変わったこと、変わらないこと。とても個人的ではあるけれど、すべての杉並区loverへ。随時更新中。

  • 【萩尾望都】関連

    かつて私の一番尊敬するまんが作家であった萩尾望都。その萩尾望都の作品に関するあれこれ。やみくもに賛美してもしかたがない、という姿勢でたまーに更新。

記事一覧

荻窪随想録28・荻窪団地の柳の木

荻窪団地の南端、11号館のベランダ側にはかつては柳の木が何本か植わっていた。 むろん、住宅公団が団地を建てた後に植えたのだろう、元は田んぼだったわけなのだから。 …

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荻窪随想録27・東光ストアと、北口のマーケット

荻窪の駅前に西友ストアができるよりも早く、北口にはかつて別の大きめなスーパーがあって、それは東光ストアといった。 正確に名前を覚えていたわけではなく、後に誰かか…

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荻窪随想録番外――花火もできない

先頃、杉並区は公園の利用の仕方を見直して、 お試し期間として今月から、これまでより少し規則をゆるめてみることになった。 それによって私は初めて、公園で花火をするの…

Reiko.A/東 玲子
2週間前
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荻窪随想録26・バス停のあった通り――荻窪団地の南側――

団地の南側のバス停があった通りには、かつては今からでは想像もつかないほどいろんなお店が立ち並んでいた。 団地ができたことで開けていって、どんどんお店が増えていっ…

Reiko.A/東 玲子
4週間前
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荻窪随想録25・荻窪団地の花たち

あれは、昭和50年代の半ば頃だったか。 まだ、今のところに居を構える前、子どもの時に住んでいた荻窪団地をふらりと訪れてみて、 木々の豊かなことに目を奪われた。そして…

Reiko.A/東 玲子
1か月前
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荻窪随想録24・飯場の友だち

元は田んぼで、その後しばらくは空き地であったところには、 昭和3~40年代の高度経済成長期には折々飯場が組まれることもあって、 それは子どもたちの目には、一種異様な…

Reiko.A/東 玲子
1か月前
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荻窪随想録23・どうぶつ公園(西田第二公園)

ところで、「西田たんぼ」のそばにあった、あの動物の置物があった公園はどうなったのだろう。 ふとそう思い、それらしき位置にそれらしきものがあるのを、ネット上の地図…

Reiko.A/東 玲子
2か月前
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荻窪随想録22・西田たんぼ

昭和33年に荻窪団地ができた頃には、そのあたりには、もう田んぼはひとつも残っていなかったとしよう。 確かに、改めて子どもの頃のアルバムを見直してみると、まだ親に抱…

Reiko.A/東 玲子
2か月前
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荻窪随想録21・元は田んぼの荻窪団地――西田町1丁目571――

自分は幼稚園に入った後のことは、入園式の日のことから始まって、割とはっきりと覚えているほうだと思うが、 かといって、小学校の入学式の時のこととなると覚えているこ…

Reiko.A/東 玲子
2か月前
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荻窪随想録20・荻窪団地にできた大きな水たまり

東京の桜が満開になったというので、シャレール荻窪脇の、大谷戸さくら緑地に出かけてみた。 曇り空の下で、淡いピンク色の花が確かに木々の梢に咲きそろっていた。 この…

Reiko.A/東 玲子
3か月前
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荻窪随想録番外――西田小第7回同窓会総会

きのう、母校の西田小学校の同窓会が開かれるというので、 荻窪「タウンセブン」の8階のホールに行ってきた。 私はこの同窓会の存在をこれまで知らなかったけれど、 同じく…

Reiko.A/東 玲子
4か月前
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荻窪随想録19・丸山橋から美濃山橋まで――善福寺川を遡上・続き――

後日、中途挫折した丸山橋から、善福寺川の川べりの道を、改めて川上に向かってみた。 その丸山橋までは、以前、途中で西荻の駅に向かって方向転換した時に通った道を、そ…

Reiko.A/東 玲子
4か月前
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荻窪随想録18・善福寺川の源泉とされる小さな滝を訪ねて

下流のほうまで歩いていくことはできたけど、なんだか私はもう自分の足には自信を持てなくなってしまった。途中で足をひねりかけたし。 それで、川沿いに善福寺川の水源を…

Reiko.A/東 玲子
5か月前
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荻窪随想録17・西田端橋から大宮橋まで――善福寺川を下っていったら――

善福寺川の川べりの道を、水源まで遡ってみようという先日の試みは中途半端に終わってしまった。 でも、その続きをする前に、ちょっと久しぶりに、川沿いの道をたどる形で…

Reiko.A/東 玲子
5か月前
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荻窪随想録16・丸山橋まで――善福寺川を遡上――

善福寺川は、川べりにある道を、川上にも川下にもどこまでも歩いていける。 自分でそう書いておきながら、ほんとうにそうなのだろうか、と思った。 それは自分が子ども心に…

Reiko.A/東 玲子
5か月前
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荻窪随想録15・西田端橋の下で――昭和45年のある日のできごと――

西田端橋――にしたばたばし――という、うっかりすると舌をかみそうな名の、善福寺川にかかっている橋。 その橋が荻窪団地に行くバスの決まって通る道だったし、団地に住…

Reiko.A/東 玲子
5か月前
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荻窪随想録28・荻窪団地の柳の木

荻窪随想録28・荻窪団地の柳の木

荻窪団地の南端、11号館のベランダ側にはかつては柳の木が何本か植わっていた。
むろん、住宅公団が団地を建てた後に植えたのだろう、元は田んぼだったわけなのだから。

なんで柳だったのだろうか。

しかもその柳の植わっていたところから、11号館に向かっては少しゆるやかな傾斜がつけてあったような気がする。ただそれは、自分たちがその柳を使ってした遊びから、そんな印象が残っているだけなのかもしれない。

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荻窪随想録27・東光ストアと、北口のマーケット

荻窪随想録27・東光ストアと、北口のマーケット

荻窪の駅前に西友ストアができるよりも早く、北口にはかつて別の大きめなスーパーがあって、それは東光ストアといった。
正確に名前を覚えていたわけではなく、後に誰かからもうひとつあったスーパーは東急ストアだった、と聞かされた時、
東急だったっけ? 違うと思ったけど、といぶかしみながらも特に深く気にも留めないでいたら、
ずいぶん最近になって昭和の写真集(※)で、東光ストアから東急ストアに、昭和50年に店名

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荻窪随想録番外――花火もできない

荻窪随想録番外――花火もできない

先頃、杉並区は公園の利用の仕方を見直して、
お試し期間として今月から、これまでより少し規則をゆるめてみることになった。
それによって私は初めて、公園で花火をするのが「事前届け出制」であったことを知った。

しかも、任意の「団体」が青少年の育成を目的とした場合、さらに夏休み期間に限ってしか許されていなかった。

なにかと知らないことの多い私には、にわかには信じられないことだった。
公園に行くと、確か

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荻窪随想録26・バス停のあった通り――荻窪団地の南側――

荻窪随想録26・バス停のあった通り――荻窪団地の南側――

団地の南側のバス停があった通りには、かつては今からでは想像もつかないほどいろんなお店が立ち並んでいた。
団地ができたことで開けていって、どんどんお店が増えていったからだった。
そうなる前には、お菓子の買えるようなお店は確か橋の向こう側に1軒、パン屋さんだったか酒屋さんだったか、食料を販売しているところがあったぐらいで、夏にはそこにきょうだいだけでアイスを買いに行かせてもらえた。
ソーダ味のアイスキ

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荻窪随想録25・荻窪団地の花たち

荻窪随想録25・荻窪団地の花たち

あれは、昭和50年代の半ば頃だったか。
まだ、今のところに居を構える前、子どもの時に住んでいた荻窪団地をふらりと訪れてみて、
木々の豊かなことに目を奪われた。そして、ここはずい分緑にあふれた団地だったんだな、と改めて思った。
子どもの頃には、自分の住んでいるところが世界のすべてで、それが標準だと思っているから、取り立ててそのような感慨を抱いたことはなかった。
ただ、私が訪れた午後には確か子どもの姿

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荻窪随想録24・飯場の友だち

荻窪随想録24・飯場の友だち

元は田んぼで、その後しばらくは空き地であったところには、
昭和3~40年代の高度経済成長期には折々飯場が組まれることもあって、
それは子どもたちの目には、一種異様な光景として映るものだった。

屈強そうな、日焼けした肉体労働の男たちと、同じく汚れてもかまわないような身なりの女たち。
大人数の食事を作るためか、外で煮炊きをしているところを見かけることもあったという。
団地のように小ぎれいに区分けされ

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荻窪随想録23・どうぶつ公園(西田第二公園)

荻窪随想録23・どうぶつ公園(西田第二公園)

ところで、「西田たんぼ」のそばにあった、あの動物の置物があった公園はどうなったのだろう。
ふとそう思い、それらしき位置にそれらしきものがあるのを、ネット上の地図で確認してから、いつものように歩いていってみた。

今までこの公園を本気で探したことはなかった。しかも、どういうわけだか歩いていて見つけたこともなかった。
たとえば、田端神社に表参道のほうから入って、裏門を抜けて――今は裏木戸はないので――

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荻窪随想録22・西田たんぼ

荻窪随想録22・西田たんぼ

昭和33年に荻窪団地ができた頃には、そのあたりには、もう田んぼはひとつも残っていなかったとしよう。
確かに、改めて子どもの頃のアルバムを見直してみると、まだ親に抱いてもらうこともできるほど小さかった時に、団地を背景にして私たちきょうだいと母親が写っているすぐ後ろにあるものはなかなか広い畑だし、ほかの写真でも、1人で草むらに立っていたり、まだ舗装もされていない田舎のような道を歩いていたりするものはあ

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荻窪随想録21・元は田んぼの荻窪団地――西田町1丁目571――

荻窪随想録21・元は田んぼの荻窪団地――西田町1丁目571――

自分は幼稚園に入った後のことは、入園式の日のことから始まって、割とはっきりと覚えているほうだと思うが、
かといって、小学校の入学式の時のこととなると覚えていることがない。自分にとってはそれほど変わったことはなかった日だったのだろうか。
でも、この随想録を書いているうちにだんだんわかってきたのだけれど、幼い日のことでよく覚えていることというのは、たいてい大泣きした日か、食べものにからんでいることがあ

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荻窪随想録20・荻窪団地にできた大きな水たまり

荻窪随想録20・荻窪団地にできた大きな水たまり

東京の桜が満開になったというので、シャレール荻窪脇の、大谷戸さくら緑地に出かけてみた。

曇り空の下で、淡いピンク色の花が確かに木々の梢に咲きそろっていた。
この緑地でなら、下のほうに伸びた枝の先についた花を、近寄っていって間近に見ることができる。
花が咲く前のつぼみは、少し濃いピンク色をしていて、そのようなつぼみをつぶさに眺めたあげくに、写真に収めることもできるのだ。

足元の緑の中には、よくわ

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荻窪随想録番外――西田小第7回同窓会総会

荻窪随想録番外――西田小第7回同窓会総会

きのう、母校の西田小学校の同窓会が開かれるというので、
荻窪「タウンセブン」の8階のホールに行ってきた。
私はこの同窓会の存在をこれまで知らなかったけれど、
同じく西田小を出た兄のところに届いたお知らせで知り、初めての参加
(出無精の兄は不参加)。

予想どおり、同期には一人として出会えなかったものの、
自分よりはるかに年上の同窓生の人たちがフレンドリーに接してくれ、
気になっていたことを知ること

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荻窪随想録19・丸山橋から美濃山橋まで――善福寺川を遡上・続き――

荻窪随想録19・丸山橋から美濃山橋まで――善福寺川を遡上・続き――

後日、中途挫折した丸山橋から、善福寺川の川べりの道を、改めて川上に向かってみた。

その丸山橋までは、以前、途中で西荻の駅に向かって方向転換した時に通った道を、そのまんま反対にたどり直した――駅を出たら荻窪方向に少し戻って、材木屋さんのある四つ角で左に曲がる――住宅街を抜けて10分くらい。普通に歩いていけば、源泉のある善福寺公園には数十分で着くのでなんだかばかばかしいことをしているような気もしたが

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荻窪随想録18・善福寺川の源泉とされる小さな滝を訪ねて

荻窪随想録18・善福寺川の源泉とされる小さな滝を訪ねて

下流のほうまで歩いていくことはできたけど、なんだか私はもう自分の足には自信を持てなくなってしまった。途中で足をひねりかけたし。

それで、川沿いに善福寺川の水源を目指すよりも、まずは手っ取り早く源泉があるという善福寺公園に行ってみることにした。
そうしたのは、実のところ、以前、図書館で見つけてもらってきてあった、フリーペーパーである「すぎなみ景観ある区マップ」をじっくり見て、丸山橋から先、川沿いの

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荻窪随想録17・西田端橋から大宮橋まで――善福寺川を下っていったら――

荻窪随想録17・西田端橋から大宮橋まで――善福寺川を下っていったら――

善福寺川の川べりの道を、水源まで遡ってみようという先日の試みは中途半端に終わってしまった。
でも、その続きをする前に、ちょっと久しぶりに、川沿いの道をたどる形で、川下のほうに行ってみたらどうだろうか、と思った。

川下なら西田端橋のすぐ次の神通橋から先が、延々と続く緑地になっているので、今でも桜の季節にはもっと下流のところから緑地に入って、桜並木を眺めながら散策することもある。それに、その緑地は、

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荻窪随想録16・丸山橋まで――善福寺川を遡上――

荻窪随想録16・丸山橋まで――善福寺川を遡上――

善福寺川は、川べりにある道を、川上にも川下にもどこまでも歩いていける。
自分でそう書いておきながら、ほんとうにそうなのだろうか、と思った。
それは自分が子ども心に思っていたことであり、実際には今となってさえも、川上には荻窪駅に通じる通りに出られるあたりまでしか歩いていってみたことがない。
それで、一度善福寺川を遡っていってみようかと思った。

もちろん目指すのは、善福寺川の源であるという善福寺池の

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荻窪随想録15・西田端橋の下で――昭和45年のある日のできごと――

荻窪随想録15・西田端橋の下で――昭和45年のある日のできごと――

西田端橋――にしたばたばし――という、うっかりすると舌をかみそうな名の、善福寺川にかかっている橋。
その橋が荻窪団地に行くバスの決まって通る道だったし、団地に住む小学生や中学生が通学するために通る道でもあった。
今は左右に人が通るための歩道をつけ足して、ずいぶんと広くなっているが、以前はもっと狭く、もっと飾り気のない橋だった。
橋の下を流れる善福寺川も、今の善福寺川しか知らない人には想像もつかない

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