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荻窪随想録

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自分が生まれた土地にまつわること、そして昭和のこと、変わったこと、変わらないこと。とても個人的ではあるけれど、すべての杉並区loverへ。随時更新中。
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記事一覧

荻窪随想録23・どうぶつ公園(西田第二公園)

ところで、「西田たんぼ」のそばにあった、あの動物の置物があった公園はどうなったのだろう。…

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荻窪随想録22・西田たんぼ

昭和33年に荻窪団地ができた頃には、そのあたりには、もう田んぼはひとつも残っていなかったと…

Reiko.A/東 玲子
2週間前
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荻窪随想録21・元は田んぼの荻窪団地――西田町1丁目571――

自分は幼稚園に入った後のことは、入園式の日のことから始まって、割とはっきりと覚えているほ…

Reiko.A/東 玲子
4週間前
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荻窪随想録20・荻窪団地にできた大きな水たまり

東京の桜が満開になったというので、シャレール荻窪脇の、大谷戸さくら緑地に出かけてみた。 …

Reiko.A/東 玲子
1か月前
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荻窪随想録番外――西田小第7回同窓会総会

きのう、母校の西田小学校の同窓会が開かれるというので、 荻窪「タウンセブン」の8階のホール…

Reiko.A/東 玲子
2か月前
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荻窪随想録19・丸山橋から美濃山橋まで――善福寺川を遡上・続き――

後日、中途挫折した丸山橋から、善福寺川の川べりの道を、改めて川上に向かってみた。 その丸…

Reiko.A/東 玲子
2か月前
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荻窪随想録18・善福寺川の源泉とされる小さな滝を訪ねて

下流のほうまで歩いていくことはできたけど、なんだか私はもう自分の足には自信を持てなくなってしまった。途中で足をひねりかけたし。 それで、川沿いに善福寺川の水源を目指すよりも、まずは手っ取り早く源泉があるという善福寺公園に行ってみることにした。 そうしたのは、実のところ、以前、図書館で見つけてもらってきてあった、フリーペーパーである「すぎなみ景観ある区マップ」をじっくり見て、丸山橋から先、川沿いの道をすべて歩き通せるわけではないことを先に知ってしまったからでもあった。 だっ

荻窪随想録17・西田端橋から大宮橋まで――善福寺川を下っていったら――

善福寺川の川べりの道を、水源まで遡ってみようという先日の試みは中途半端に終わってしまった…

Reiko.A/東 玲子
3か月前
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荻窪随想録16・丸山橋まで――善福寺川を遡上――

善福寺川は、川べりにある道を、川上にも川下にもどこまでも歩いていける。 自分でそう書いて…

Reiko.A/東 玲子
3か月前
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荻窪随想録15・西田端橋の下で――昭和45年のある日のできごと――

西田端橋――にしたばたばし――という、うっかりすると舌をかみそうな名の、善福寺川にかかっ…

Reiko.A/東 玲子
3か月前
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荻窪随想録14・荻と数珠玉

元公団荻窪団地である、「シャレール荻窪」には、 大谷戸(おおやと)さくら緑地のほかに、や…

Reiko.A/東 玲子
4か月前
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荻窪随想録13・荻窪団地の集会所

荻窪の駅前からは、今も住宅地である「シャレール荻窪」へ行くバスが出ているけれど、 その前…

Reiko.A/東 玲子
4か月前
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荻窪随想録番外ーークリスマスツリー余談

そう言えば、幼稚園生の時から中学1年ぐらいまでの間は、 自分は山ほど童話を書いていたけれど…

Reiko.A/東 玲子
5か月前

荻窪随想録12・荻窪団地のクリスマスツリー

今はすっかり建て替えられ、 「シャレール荻窪」などという、しゃれたつもりなのだろう名前のつけられた、 ちょっと敷居の高そうな住宅地が、 かつては単に「荻窪団地」と呼ばれていた頃、 私はそこで育ち、そこで幼少期を過ごした。 生まれてから、小学校を卒業するほぼ一カ月前まで。 私は昭和34年生まれだから、 親はたぶん昭和33年にこの公団住宅が建てられた時、最初の入居者のうちの一組としてここに入ってきて、 そして、団地に引っ越してきた年だか翌年だかに、私が生まれたのだろう。 (入